14話 球技大会・前日、ちゃんと聞いてほしい④
あたしは待ち合わせ場所の校舎裏のベンチに、早めに着いていた。
スマホを取り出して時間を確認する。
まだ数分ある。
スカートのポケットから小さい手鏡を取り出して、それを見ながら肩にかかった髪を後ろへ流す。
前髪を軽く指で整える。
右から見て、左からも見る。
(いやいや、別にデートじゃないし)
自分に言い聞かせても、心臓は落ち着かない。
ただお昼を一緒に食べるだけ。
でも今日は、倉庫での近すぎた距離がある。
(……あれ)
一気に顔が熱くなる。
反省はしている。
ちゃんと反省はしている。
でも、松前くんを前にすると、いつも調子がくるう。
膝の上に置いたお弁当の包みに目を落とした。
朝から張り切って作りすぎたおかず。
何度も味見して、詰める場所まで考えた。
(崩れてないかな)
見た目が崩れていたとしても、味は変わらない。
でも、できれば綺麗なまま見せたかった。
スマホの画面をもう一度見ると、約束の時間を三分過ぎていた。
短く息を吐いたところで、足音が近づいてくる。
松前くんが息を切らして現れた。
立ち止まる前に一度だけ後ろを確認する。
「悪い、つかまってた」
「誰に?」
先生かな、と一瞬思う。
松前くんは、目線を横へはずしたまま言った。
「如月さんを探してる男連中」
「えっ、からまれたの?」
「そういうのじゃない……友達になりかけた」
「なりかけたって何ぃ? 断ったってこと?」
「断った。どうせ如月さんと繋がりたいだけだから」
(あたしのせいか……)
その考えが浮かんで、ほんの少しだけ視線が落ちた。
◇
如月さんは少し黙って、弁当のコロッケにソースをたらしている。
この距離の近さ。
この軽い感じの会話。
(オレが一人じゃなくなったら……こういうの、なくなるのか)
頭の中で、少しだけ引っかかる。
話題を振ってくるのも向こうだし、沈黙になっても、なんとかしてくれる。
だから、居心地がいいってだけだ。
そう言い聞かせる。
でも。
(……それだけか?)
考えがまとまる前に、
「はい」
目の前に弁当箱が差し出された。
蓋の開いた弁当の中には、鶏の照り焼きやアスパラのベーコン巻き、ピーマンの肉詰めが隙間なく並んでいた。
端の方には、さばの塩焼きとウィンナー入りの卵焼きが入っていて、その隣にはしゅうまいと、中身の分からないコロッケまで詰められている。
空いた隙間にはブロッコリーとかぼちゃの煮付けがきれいに収まっていて、見ただけで、朝からかなり手をかけたのが分かった。
(うまそう)
見た目で分かる。
「……本当にたくさん作ったんだな」
「松前くんと実行委員やるの楽しみで、今日は朝からはりきっちゃったんだよね」
如月さんは、ぱっと顔を明るくする。
本人にとっては、弁当を多めに作った理由を話しただけだ。
(勘違いするな)
如月さんは誰にでも優しい。
それなのに、『楽しみで』の一言だけで、胸が変に熱くなったりする。
(きも)
全部、《気遣い》で説明つく。
そう思わないと危ない。
オレみたいなのと釣り合うわけがない。
「……如月さんさ。オレがクラスで浮いてるから、今みたいなのしてくれてると思うんだけど」
「今みたいなのって?」
「一緒に飯食うとか。……それ、もういいよ。別に一人でも平気だから」
わかってて言ってる。
これは平気なやつの言い方じゃない。
勝手に期待して、勝手に怖くなって、先に逃げようとしている。
自分だけ勘違いしてたって分かった時が、一番きついから。
(如月さんは、誰にでもこうだ)
なのに、如月さんみたいな相手に近づかれたり、優しくされたら、勘違いくらいする。
男なら普通だろ。
如月さんの動きが止まった。
弁当を差し出している手が、宙に残る。
「え、どういう意味……あっ」
何かに気づいたみたいに、声がうわずる。
「もしかして、あたしのせいで絡まれたりするから? ご、ごめんね。迷惑かけて」
「それは気にしてない」
短く否定する。
でも、それ以上は続かない。
如月さんはまばたきをして、強引に話を切り替えるみたいに言う。
「そっか、じゃあお弁当食べて」
目の前にもう一度差し出してくる。
無理矢理に空気を戻してきたとわかった。
目の前のお弁当はどれも一口で食べられるようにカットされていて、食べてもらう前提で詰められてある。
オレは箸を取って、最初に鶏の照り焼きを口に入れた。
(……うま)
味は濃すぎないのに、ご飯にちゃんと合う。
さっきまで頭に残っていた会話の引っかかりが、頭の隅へ追いやられた。
無意識にもう一口食べてから、今度はアスパラのベーコン巻きに箸を伸ばす。
(これもうまい)
特に何も言わないまま、手だけが次へ進む。
言葉を探すより先に、箸が動いていた。
如月さんはその様子をじっと見ていた。
目を細めて、微笑む。
(がっつき過ぎた……)
オレは箸を止めた。
せっかく作ってくれたのに、黙って食べ続けるのは失礼だ。
軽く咳払いしてから、如月さんを見る。
「こういうのって、ちゃんと感想言ったほうがいいよな?」
如月さんはきょとんとしたあと、笑みをこぼす。
「うん、言ってくれるのは嬉しい」
オレは言葉を探した。
朝から手の込んだものを作ってくれたことに対して、それにふさわしい言い回しが必要だ。
慣れないことをしようとした。
「これは、店で売ってても違和感ない……と思う」
口にした瞬間に、しまったと思う。
褒め言葉のつもりだった。
それくらい美味い、と言いたかっただけ。
なのに、店で売っている商品と比べる言い方になっていた。
如月さんが朝から自分のために作ってきたのに、その気持ちまで、まるでお金を払って買うものみたいに例えてしまった。
(……同じにするなよ)
言い直そうと、口を開く。
続けようとして、止まる。
言葉が出てこない。
昔からそうだった。
ただしく言おうとして、言葉を選びすぎて、変な方向にずれる。
『なんかめんどくさいやつ』
『普通に言えばいいのに』
そう言われて終わる。
でも、オレにはその《普通》が分からない。
(……だから結局、喋らないほうが楽なんだ)
余計なことを言わなければ、引かれることもない。
そうやっていつの間にか、自分から友達を作ろうと思わなくなっていた。
やっぱり、黙っている方がいい。
そう判断しかけた、そのとき。
如月さんが、ふふっと笑った。
「なにそれぇ。普通にうまいって言ってくれれば充分なのに」
オレが顔を上げると、如月さんはなぜか嬉しそうに笑っている。
あのときオレは、何が《普通》なのか分からなかった。
どう言えばよかったのかも、どこを直せばいいのかも分からないまま、ただ自分の言い方がズレていたことだけが残った。
正解がわからなくて、責められて終わる。
でも、如月さんは違う。
《普通》のあとに、答えまで置いてくれる。
こういうことは、前にもあった。
帰り際の挨拶は、『ばいばい』とか『またね』がいいと教えてくれた。
うまいって言えばいい。
それでいい。
難しくしなくていい。
短い間があって、それから。
「……うまい」
短い。
でも、如月さんはすぐに、嬉しそうに頷いた。
「うんうん、分かるよ。いっぱい食べてくれてるもん」
(……そんなもんか)
うまく言えなくても、如月さんには伝わるらしい。
言葉を探して止まったことも、どう言えばいいのか分からなくなっていたことも、如月さんは責めない。
(……楽だな)
そのまま、弁当に視線を戻す。
本当は、さっき言うつもりだったことがある。
『気をつかってるだけなら、やめろ』
そう言うつもりだった。
これ以上近づかれたら、こっちが勝手に勘違いする。
距離の近さも、声をかけてくれることも、自分に向けられた特別なものみたいに受け取ってしまう。
だから、線を引くつもりだった。
でも、如月さんは『一人でも平気だから』と言っても、いつもと同じ距離で、同じ笑顔で、当たり前みたいに弁当を差し出してきた。
(……言えねぇだろ)
引けとか、やめろとか。
むしろ逆だ。
(……離れたくない、だろ)
都合がいいのは分かってる。
言葉に詰まった相手の逃げ道を作って、軽く拾って返す。
急に重い空気にさせたのに、如月さんは強引にそれを戻してくる。
(……そりゃモテるだろ)
こういう対応ができるやつは、男女関係なく人が寄ってくる。
まして、見た目もいい。
話しかければ受け止めてもらえて、変な返しをしてもそこで終わりにされない。
そういう相手のそばは居心地がいい。
だから、もっと話したくなる。
距離をちぢめたくなる。
離れにくくなる。
朝の体育館の男子たちも、さっき絡んできた連中も。
たぶん、一分でも長く、何か理由をつけてでも、如月さんのそばにいたかっただけだ。
弁当を食べて、感情を拾われて、それだけで気持ちが軽くなって、離れたくないと思った。
自分も、結局は同じかもしれない。
そういう気持ちがある時点で、あいつらとどこが違うのか分からなかった。
その事実に、思わず苦笑した。
如月さんはそんなことなど何も知らないふうに
「あ、松前くんニンジン食べてくれてない。嫌いなの?」
軽く眉をきゅっとして、もう一度弁当を寄せてくる。
オレは間を置いてから、ニンジンの肉巻きに箸を伸ばした。
「……もらう」
短く返して、口へ運ぶ。
◇ ◇
(……めっちゃ食べてくれてる)
松前くんの表情はほとんど変わらない。
卵焼き、しゅうまい、ピーマンの肉詰め。
どれか一つで止まることもなく、同じペースで箸を動かしている。
胸の中が、じわっと温かくなる。
(よかったぁ……朝から頑張ったかいあった)
思い出す。
早起きして、キッチンに立って、何度も味見して。
(……あたし、なにやってんだろって思ったけど)
今は、はっきり分かる。
(全部これのためだよねー)
松前くんの箸が止まらない。
それだけでいい。
なんでこんなに満たされているのか、自分でもよく分からない。
うまいって言ってくれれば充分、と言えば、ちゃんと「うまい」と返してくれる。
ニンジン食べてくれてない、と言えば、素直に箸を伸ばしてくれる。
ただそれだけのことなのに、じんわりと満たされていく。
こういうことは、前にもあった。
別れ際の挨拶は『ばいばい』とか『またね』とか、そういうのがいいと言えば、小さな声で「ばいばい」と返してくれた。
イヤホンをしていると話しかけづらかったと言えば、片耳をはずしてこちらの声が届くようにしてくれた。
朝の体育館でのことを思い出す。
大丈夫だと言っているのに、遠慮してるみたいに受け取られる。
無理だと言っているのに、照れているみたいに流される。
ちゃんと聞いてよ、と言いたくなった。
でも、松前くんはそうじゃない。
言葉は短いし、分かりやすい反応をくれるわけでもない。
でも、あたしが言ったことを受け止めて、返してくれる。
最初は、自分をちゃんと見てくれる人だと思った。
笑ってごまかしている時に、嫌がっていることに気づいてくれた人。
でも今は、それだけじゃない。
(ちゃんと、聞いてくれるんだよね)
そういうところが、やっぱり好きだと思った。
松前くんはそんなことには気づかないまま、ニンジンの肉巻きを飲み込むと、またお弁当に箸を伸ばした。
あたしはその何でもない横顔を、静かに見つめ続けた。
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