11話 球技大会・前日、ちゃんと聞いてほしい①
一限目が終わったチャイムと同時に、体育館には各クラスの生徒が集まりはじめた。
球技大会の練習と準備のために、割り当てられた時間を使って、どのクラスも慌ただしく動いている。
あたしが実行委員を引き受けたのは、競技じゃ役に立てないから裏方に回ろうと思って――ということになっている。
本当は違う。
実行委員を押しつけられそうになっていた松前くんの姿を見て、気づいたら「あたしもやります!」と手を挙げていた。
隣の枠をゲットするのに、迷いはなかった。
なのに。
本来なら、コートでバレーの練習をしてなきゃいけないクラスの男子生徒数名が、ここにいた。
「如月さーん、それ重くない? 運んであげるよ」
「ううん、大丈夫。自分で運べるから、ありがとう。それより、みんなは練習に戻らなくて大丈夫なの?」
ネットの束を抱えたまま、精一杯の笑顔で答えて、それとなく一歩下がる。
「大丈夫だよ、俺らバレー部だし。練習しなくても勝てる」
「いいから、一緒に運んであげるって」
「球技大会が終わったら打ち上げ行かない?」
下がった分だけ、また距離が詰まった。
「後片付けも実行委員の仕事だから、当日は無理だと思うの。ごめんね」
やんわり断ったつもりだった。
《照れ》や《遠慮》とでも思われたのか、
「如月さんは真面目だなあ」
と茶化されて終わる。
「如月さんて、ジャージ姿もいいよね。雑誌とのギャップがすごい」
「ほんとー? ありがとう」
笑って流さなきゃ、空気が悪くなる。
クラスの団結を乱したくない。
でも、もう限界だった。
(松前くんと一緒にいたかっただけなのに)
こんな調子でずっと囲まれて、身動きが取れない。
ネットを抱え直しながら、どうしようもない苛立ちが込み上げてきた。
一番つらいのは、男子たちの距離の近さじゃない。
自分の中に、後ろめたさがあることだった。
練習をサボってまで近づいてくる男子たちを、嫌だと思う。
断っているのに、笑って流される。
そのたび、ちゃんと聞いてよ、と言いたくなる。
でも、自分だってきれいな理由で実行委員になったわけじゃない。
松前くんの隣にいたかった。
話す機会が増えると思った。
誰か別の女の子が、松前くんの隣に立つのが嫌だった。
(自業自得だ……)
押しつけられた役目でも、面倒そうな顔をしながら、松前くんはきちんとこなしていた。
ちゃんとやっている人の隣に、こんな気持ちで立とうとした。
目の前の男の子たちと同じだとは思いたくない。
でも、完全に違うと言い切れない。
そう思うと、強く言い返すことができなくなっていた。
「ほらー、そろそろ練習に戻って?」
笑顔だけは崩さない。
崩したら、惨めさも申し訳なさも苛立ちも、全部見えてしまうから。
◇
体育館の二階のギャラリー。
オレは手すりに腕を置いて、一階の喧騒を見下ろす。
(……何やってんだ。あんなに囲まれて)
イヤホンからは普段通り音楽が流れているが、下から響く男子たちの浮ついた笑い声のほうがやけに耳についた。
如月さんが半歩下がるたびに、男子たちがその分だけ前に出る。
位置を変えながら、逃げ道が少しずつ潰されていくのが、二階から見るとよく分かる。
如月さんは笑っている。
男子たちの顔を順番に見て、角が立たないように上手く返す。
けれど、如月さんの手は忙しなくネットの端を握り直していた。
あれは、楽しんでいる顔じゃない。
困っている顔だ。
なのに、下にいる連中はそれに気づいていない。
なぜあの子がこんな地味で面倒な役目を引き受けたのかは分からない。
クラスの中心にいる人なら、もっと華やかな役割で大会を盛り上げることもできたはずだ。
自分が助けに行く理由なんて、どこにもない。
自分で選んだ役割なんだし、あの子自身の問題だ。
(……オレには関係ない)
そう言い聞かせて、手元のファイルに視線を戻す。
折れたシャーペンの芯を指の先で弾き飛ばす。
それから、また一階を覗き込んだ。
如月さんが無理して笑っている。
男子たちはそれを都合よく受け取っている。
如月さんが止まれば、準備も止まる。
あいつらが練習をサボれば、コートの方も止まる。
その分のしわ寄せが、結局どこかに回ってくる。
(……面倒くせぇな)
別に助けるわけじゃない。
あのままでは準備が進まない。
後で自分の作業にも響くかもしれない。
それだけだ。
ファイルを脇に抱え直して、ゆっくりと階段を降りた。
(……何て言って呼び出すか)
男子たちの浮ついた声と、如月さんの無理をした笑い声を聞きながら、連れ出すための理由を探す。
申請書類の誤り。
用具の数が合わない。
進行表の変更。
いくつか並べてみるが、どれも弱い。
(あいつらが付いてこなくて、後回しにもされない理由がないと……)
考えがまとまらないまま、一階に足がついた。
その時だった。
如月さんと目が合う。
こちらの姿を見つけた瞬間
「あ、ごめんね。ちょっと」
と、男子たちの間を抜けて、まっすぐこちらへ向かってくる。
後ろから
「え、どこ行くの」
「また松前?」
と声が飛んでも、振り返らない。
用意しかけていた理由が、全部意味を失う。
如月さんが、自分から来た。
「松前くん、やっと見つけた」
息を弾ませながら駆け寄ってくる。
白いTシャツの胸元が動くたびに揺れる。
後ろでひとつに編んだ髪が跳ね、走ってきたせいで頬がうっすら赤い。
甘いシャンプーのような匂いがふっと近づいた。
ジャージ姿なんて地味なはずなのに、むしろ飾ってなさがやけに可愛い。
こっちを見つけた瞬間、さっきまで男子たちに向けていた顔とは違う表情になっていた。
それを、自分を見つけて嬉しそうにしたのだと思いかけた。
(……いや、違うだろ)
男子たちの輪から抜け出す口実ができて、ほっとしただけだ。
相手がオレだったからじゃない。
実行委員で、たまたま呼び出されてもおかしくない相手だった。
都合よく使える逃げ道が、ちょうどそこにあっただけ。
(……なに期待してんだ)
如月さんの後ろから複数の男子が近づいてきた。
「え、何で松前なの」
「如月さん、俺たちも手伝いたいんだけど」
「俺らでいいじゃん」
オレの隣へ来た如月さんは、距離が近い。
これだと、如月さんが自分の隣を選んだみたいに見えてしまう。
感情は乗せず、短く線を引く。
「如月さんに用あるから、付いてくんな」
とだけ言う。
さっきまで軽かった空気が、そこで途切れた。
「行こう」
◇
廊下へ出ると、体育館の喧騒が扉一枚をへだて、嘘みたいに遠ざかる。
「ちょうど良かった、あたしも松前くんに用事あったの」
「そうか。オレはない」
即答すると、如月さんが一瞬詰まる。
けれどすぐに笑って、
「そうなんだ。助けてくれてありがとう」
と軽く受け取った。
《助けるために嘘をついた》ことには踏み込まない。
でも、なかったことにはしない。
「松前くん、いまなに聴いてるの?」
「別に……如月さん、用事ってなに?」
「いま教室、机とか動かしてて使いづらいから、今日は外でお弁当食べようかなって」
あの日から、如月さんと一緒にお昼を食べるのが当たり前になっている。
とはいえ、会話が急に増えたわけではない。
相変わらず如月さんが少し話して、オレが短く返す。
それくらいの距離だった。
クラスの目は、なくなったわけじゃない。
でも、教室の中でなら、見られる範囲はまだ限られている。
外に出れば、他クラスの生徒の目にも入る。
如月理沙が、誰と昼を食べているのか。
それを気にする人は大勢いるだろう。
「……オレといるとこ見られるの、嫌じゃないのか」
言ってから、自分でも何を聞いているんだと思った。
嫌じゃないと、言ってほしいみたいだ。
「え?」
「如月さん、人気あるし」
「だから?」
「変な噂とか立ったら、如月さんが困る」
言い訳のように続けると、如月さんは笑いながらあっさり返す。
「なにそれー。松前くんと食べようと思って、おかずいっぱい作っちゃったから、食べてくれないほうが困るんだけど」
言葉に詰まる。
イヤホンに触れかけて、やめる。
(……逃げんな)
「……じゃあ、どっか人少ないとこ探すか」
如月さんの顔がぱっと明るくなった。
「うんっ」
(……なんでそんな可愛い反応するんだ)
「……用事ってそれだけ?」
「そだよ」
「LINEでよくない?」
昼の場所を伝えるだけなら、それで済む。
わざわざ体育館から連れ出されたあとに、こうして廊下で話す必要なんてない。
如月さんは一歩だけ前に出て、くるっと振り返る。
「そんなん会う口実だよー」
会う口実。
誰に、何のために。
如月さんはそのまま少しだけ距離を詰めてきた。
「同じ実行委員なのに作業別だから全然会わないじゃん、口実ないと会えないでしょ」
「……如月さんってさ。そういうこと、普通に言うよな」
「ダメだった?」
「……別に、ダメじゃないけど。勘違いするヤツ、いるだろ」
如月さんが首をかしげる。
「誰が?」
「……オレとか」




