09話 新学期、片耳だけ空けた距離④
「……あー。いーのいーの、気にしないで。なんか勝手に集まっただけで、一緒に食べる約束とかしてないから」
如月さんはあっさり答える。
「ていうかさ」
声の音量を下げて続ける。
「あたし、ご飯は静かに食べたいんだよね」
軽い言い方なのに、本音っぽく聞こえた。
(それは、わかる)
騒がしい中で食べると味がわからない。
会話に気をとられ箸を動かすタイミングが合わない。
如月さんは自分と真逆のタイプだから、その考え方は意外だった。
オレは目線を落としたまま、短く答える。
「……分かった」
如月さんが、ぱっと明るく笑った。
「やったー、じゃあお昼にね!」
◇ ◇ ◇
「お待たせー」
オレンジ色の巾着を手に、迷いのない足取りで如月さんが現れた。
向かいの椅子を引いて、そのまま座る。
距離が一気に縮まる。
机一枚分しかない。
(……近い)
如月さんは気にした様子もなく、巾着の結び目をほどく。
ピンク色のお弁当箱。
蓋を開けた瞬間、彩りが揃う。
白米にごま、赤黄緑にきっちり分かれたおかず。
崩れていないエビフライの衣、同じ大きさで並んだ唐揚げ、光る焼き鮭の皮。
詰めたというより、並べたに近い綺麗さだった。
「いただきまーす」
如月さんは、静かに手を合わせる。
その仕草がやけに丁寧で、少し目を奪われた。
(あ、挨拶……また言われる)
オレも遅れて、
「……いただきます」
と真似をした。
如月さんは、箸運びに迷いがない。
まずエビフライへ向かう。
口に運ぶとき、顎の角度がほんの少しだけ上がる。
(いや、なに見てる……)
如月さんが食べ始めるのを見届けてから、自分の弁当を開ける。
いつも通りの中身。
見慣れた配置。
でも向かいにいる人物だけは、いつも通りじゃない。
意識を持っていかれて、箸を持つ手だけぎこちない。
普段は教室の中心で明るく笑っている如月さんが、目の前にいる。
如月さんは本当に黙って食べていた。
一口一口、美味しそうによくかんで。
会話が途切れてるのに、気まずくない。
(なんか、楽だな……)
自分の感覚に戸惑う。
人と向かい合って飯を食っているのに、気をつかっていないわけじゃないのに、息が詰まらない。
たまに、カチリと小さく箸が当たる音がするだけ。
静かなのに、居心地が悪くない。
オレは卵焼きを口に運ぶ。
如月さんは、こっちをちらっと見た。
何か話したそうに唇が少し動く。
でもオレが箸を動かしてるのを確認すると、口元だけで笑って、何も言わずに自分の弁当へ目を戻した。
話しかけても大丈夫か、どうか。
如月さんは、その選び方が上手い。
如月さんが声を出したのは、オレがお茶に手を伸ばしたときだ。
「ね」
「……ん」
目が合う。
如月さんは箸を持ったまま、軽く首を傾けた。
「今日ちょっと多めに作っちゃってさ。一人じゃ食べきれないから貰ってくれない?」
「……作った?」
「うん、あたし作ってきた」
当たり前みたいに答える。
手作り。
如月さんの。
「……いいのか」
緊張で、いつもより低い声になった。
「むしろ食べてほしいって言ってるの」
(……断る理由、ないだろ)
「……じゃあ、もらう」
如月さんの表情がぱっと明るくなる。
「ほんと? よかったー」
嬉しそうに笑う。
(喜ぶのはこっちだろ)
如月さんはスッとオレの前に弁当を差し出した。
(女の子の弁当……)
きれいに詰められたおかず。
(……レベル高い)
「どれでもいいよー、好きなの取って」
迷ってから、エビフライへ箸を伸ばした。
口に運ぶと、衣のサクッとした音。
少し遅れて、エビの食感。
「……うま」
勝手に声がもれていた。
如月さんは嬉しそうに、
「えへへ」
と笑う。
「……如月さん、料理できるんだな」
「えー、できなさそうに見えた?」
「いや、なんか……なんでも完璧にできるんだなって」
如月さんの箸がぴたりと止まる。
「え」
頬に、ほんのり色がのる。
「いやいやいや、別に完璧じゃないし。全然抜けてるとこあるし……」
急に落ち着きがなくなった。
恥ずかしさを誤魔化すようにおかずを差し出してくる。
「……も、もう一個どうぞ」
「いいのか」
「う、うん。お口に合うなら、どんどん食べてほしい」
今度はから揚げに箸を伸ばす。
もぐ、と咀嚼してから、顔を上げた。
すると、向かいの如月さんが目を細めてこっちを見ている。
食べてるところを見られてる。
自分の作ったものを食べる人の反応が気になってるだけだ。
オレを見てるわけじゃない。
でも、視線がくすぐったい。
視線をそらすために、つい聞いてしまった。
「……なんで、自分で弁当作ってる? 親は?」
踏み込むつもりはなかった。
弁当の話の延長だった。
如月さんの手が止まるのを見て、親のことなんて軽く聞いていい話じゃなかったと気づく。
如月さんはふっと笑ってから、あっさりと答えた。
「一緒に住んでないの。ニューヨークで仕事してるから、たまにちゃんと帰ってくるよ」
その言い方は、あくまで軽い。
でも。
(いま、この子……急いで笑顔をつくった)
目線が、如月さんの弁当に落ちる。
綺麗に整えられたおかず。
(……全部、自分でやってるのか)
明るくて、よく笑って、誰とでも自然に話して。
クラスの中心にいて。
なにも困ってなくて。
なにも足りてなくて。
そういう側の人間だと、勝手に決めつけていた。
当たり前みたいに、明るいと思ってた。
楽しそうにしてるのが普通だと思ってた。
でも、違うのか。
親がいない生活をしてる。
それを、何でもない顔で言う。
特別な話としては扱っていない。
そこが一番、引っかかる。
言葉が喉まで出かかる。
けど、出ない。
軽く流せる話じゃない。
でも如月さんは、それを軽く扱ってほしいのかもしれない。
話せばちゃんと話せる人間だ。
でも、踏み込んだ分だけ、そのまま関係が変わることもある。
できる・できないの話じゃない。
自信がある・ないでもない。
単純に、まだ自分はその位置じゃない。
聞けば答えてくれる気がする。
でもそれは、聞いた側の責任も一緒に増えるやつだ。
理解したふりをするのも違う。
分かったつもりになるのも違う。
今のこの距離でそれをやると、全部ズレる。
だから結局、出てきたのは、
「……そうか」
その一言だけだった。
如月さんはきょとんとしてから、ふっと笑った。
「一人暮らしめっちゃ楽しいよー、羨ましいでしょ」
にこっと笑う。
作った笑顔だけが引っかかる。
本当は、こういうとき「大変だったね」とか「寂しかったね」とか、そういうことを言うんだろうな、とは分かっていた。
でもオレには、その大変さが分からない。
親が遠くにいて、一人で生活して、それでもいつも通り笑ってる。
その重さを、自分は知らない。
知らないのに分かったみたいに言うのは違う気がした。
だから、言えるのは
「……無理するなよ」
だけだった。
如月さんはそのまま黙って、弁当箱を見つめた。
間があった。
しばらくして、顔を上げて笑う。
「無理してないよー」
声が弱い。
今のオレと如月さんの距離は、こんなもんだ。
オレは短く息を吐く。
「……そうか」
それだけ返した。
◇
「ごちそうさまー」
「……ごちそうさま」
弁当箱をしまい、巾着をきゅっと絞る如月さんを見ながら、これで終わりかと思った。
そのとき、如月さんが言いかける。
「……あのさ」
指先に力が入るのが見えた。
「連絡先、交換しない?」
連絡先。
意味の処理が遅れる。
(きっと、LINEとかの話だ)
連絡先を交換したら、学校以外でもこの子とつながる。
放課後でも。
家に帰ってからでも。
この子から連絡が来るかもしれない。
断る理由は、ない。
「……おう」
ポケットからスマホを取り出す手が、ぎこちない。
(……いや、変な期待するな)
ただの連絡手段だ。
クラスメイトとして、必要になるかもしれないから聞かれている。
それに、周りのやつらはもう当たり前に知っているのかもしれない。
これは別に特別なことじゃないし、自分だけが聞かれたわけでもない。
そう思うことにする。
その方が、まだ落ち着ける。
画面をつけて、指が止まった。
(どうやって交換するんだっけ)
動きの止まったオレに如月さんが気づき
「あ、えっと……QRでいい?」
前のめりになってオレのスマホ画面を覗き込んでくる。
距離が急に縮まった。
石鹸みたいな匂いが混ざって、意識が持っていかれる。
(……近い)
「ここ」
如月さんが指を伸ばして画面の位置を示そうとするが、スマホを握るオレの手が緊張で微妙に揺れていて、狙いが定まらない。
「松前くん、手ぶれてるよ」
(……落ち着け)
そのときだった。
そっと。
如月さんの手のひらが、スマホを握るオレの手に添えられる。
上から包み込むように押さえられた。
(え)
柔らかく、思ったより温かい感触が手の甲に乗る。
オレの手がさらにぶれると、如月さんの手にぎゅっと力が入った。
「あれ、こっちじゃない?」
如月さんは、おそらく気づいていない。
声を出せばいい。
たぶん、それだけで済む。
なのに、言葉が出てこない。
「合ってるよね」
小さく呟いて、オレのスマホを手ごと目の前に寄せ、自分のスマホと見比べている。
如月さんはスマホを睨むように操作している。
機械が得意ではないのか、手つきがおぼつかなく、ゆっくりで、何度も手を迷わせていた。
(これ、どうすればいいんだ……)
読み取り音がなるまでの時間がやけに長く感じた。
いや、実際、長かった。
ぴろん。
「あ、追加されたー」
如月さんの声が途切れた直後、ぴたりと固まった。
視線は重なったままの手に向けられている。
「…………」
「…………」
如月さんの頬が徐々に赤くなっていく。
「ご、ごめん」
ゆっくり手を離す。
「ほんとごめん」
もう一度謝る。
「いや、オレは気にしてない」
(気にしてないわけない)
むしろ、気にしすぎている。
だが、如月さんは謝った。
わざとじゃなかったと分かっている。
それなら、気にする方がおかしい。




