観測されたもの
※この物語はフィクションです。
あなたが観測するまでは。
朝。
宮島悟は、スマホの画面を見たまま動かなかった。
『問題は確認されていません』
昨夜見たニュースと同じ文面。
だが、内容は違うはずだった。
「……おかしいだろ」
小さくつぶやく。
指で画面をスクロールする。
関連記事も、どれも同じ結論に辿り着く。
“問題はなかった”。
それで終わっている。
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悟はスマホを伏せた。
頭の中で、昨夜の光景を思い返す。
信号待ち。
スーツの男たち。
確かに聞いた会話。
——なかったことにしましょう。
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「……」
しばらく黙り込む。
やがて、小さく息を吐いた。
「俺の勘違い、か?」
そう言いながらも、違うと分かっていた。
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大学へ向かう道。
いつもと同じ景色。
同じ人の流れ。
だが、どこか“薄い”。
何かが、少しだけ欠けているような感覚。
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講義室に入る。
席に着くと、後ろから声がした。
「なあ、悟」
振り向く。
昨日と同じ友人。
「昨日のニュースのやつさ、結局デマだったらしいな」
「……デマ?」
「ほら、ネットで騒がれてただけで、証拠も何もなかったって」
悟は一瞬、言葉を失う。
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確かに、そういう“処理”はよくある。
だが——
「いや、でも……」
言いかけて、止まる。
何を言えばいいのか分からない。
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「まあ、よくある話だろ」
友人は興味なさそうにスマホを見る。
それで終わり。
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悟は、何も言えなかった。
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昼休み。
食堂のテレビ。
『一部で拡散された情報については、事実関係が確認されておらず——』
同じ言葉。
同じ流れ。
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悟は立ち止まる。
画面を見つめる。
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「……じゃあ」
小さく、口に出す。
「確認されたら、存在するのか?」
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その瞬間だった。
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音が、消える。
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ざわめきも、食器の音も、テレビの声も。
すべてが遠くなる。
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悟は、ゆっくりと顔を上げる。
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テレビの画面が、わずかに歪む。
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映像が止まる。
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『確認されておらず——』
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その言葉の途中で、止まったまま動かない。
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悟の視界が、ほんの少しだけ“遅れる”。
世界が、自分の後ろについてくるような感覚。
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悟は、無意識に手を伸ばした。
テレビに向かって。
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「……じゃあ」
指先に、力を込める。
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「確認すれば、いいのか」
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その瞬間——
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画面が、ノイズに包まれる。
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砂嵐の中に、映像が浮かび上がる。
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見覚えのある場所。
昨日の交差点。
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スーツの男たち。
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『価格は調整済みで』
『上の了承も取れてます』
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“消えたはずの会話”が、そこにある。
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食堂の空気が、凍る。
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誰かが声を上げる。
「え……何これ」
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他の学生も、テレビを見る。
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「これ、さっきのニュースと違くない?」
「こんなの出てたか?」
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ざわめきが広がる。
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止まっていた時間が、動き出す。
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テレビの音が戻る。
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『——新たに公開された映像によると』
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アナウンサーの声が変わっている。
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『関係者による不適切なやり取りが確認され——』
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悟は、ゆっくりと手を下ろした。
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呼吸が、少しだけ乱れている。
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「……今の」
自分の手を見る。
何も変わっていない。
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だが、分かってしまった。
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さっきの映像は、“見つかった”んじゃない。
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自分が、“出した”。
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「……はは」
小さく笑う。
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「マジかよ」
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その時、テレビの画面の端に、何かが映る。
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一瞬だけ。
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会議室。
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あの老人が、こちらを見ている。
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目が合う。
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次の瞬間、消える。
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誰も気づいていない。
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悟だけが、立ち尽くしていた。
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世界は、観測された瞬間に形を変える。
——この物語は、あなたに観測されたことで成立しました。




