始まり
※この物語はフィクションです。
あなたが観測するまでは。
ニュースの音が、部屋に流れていた。
『本日、都内で発生した死亡事件について——』
宮島悟は、ソファにもたれたまま画面を見ている。
『被疑者とされていた男性について、東京地検は本日、不起訴処分とすることを発表しました』
映像には、スーツ姿の男が頭を下げている。
その背後に、別の男。
よく知っている顔だった。
テレビで何度も見たことがある。
現職の国会議員。
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『なお、現時点で有力な証拠は確認されておらず——』
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悟はリモコンを取らず、そのまま聞き続ける。
表情は変わらない。
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『関係者によると、事件当時、被疑者は現場とは別の場所にいたとされる映像記録が——』
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画面が切り替わる。
防犯カメラの映像。
時間も、位置も、完璧に整っている。
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“そこにいなかった証拠”。
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悟の指が、わずかに動く。
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「……全部、揃ってるな」
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小さくつぶやく。
完璧すぎるほどに。
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スマホを手に取り、記事を開く。
どの媒体も同じ結論だった。
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『不起訴は妥当との見方』
『証拠不十分』
『慎重な判断』
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スクロールを止める。
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「……ふざけんなよ」
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声が、少しだけ低くなる。
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脳裏に浮かぶ。
食堂での出来事。
テレビに映った“なかったはずの映像”。
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あれは、偶然じゃない。
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「……できるんだよな」
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誰に向けたわけでもない言葉。
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悟は、目を閉じる。
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頭の中で、さっきの映像を再生する。
防犯カメラ。
時間。位置。構図。
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違和感。
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「……ズレてる」
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目を開ける。
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「ここじゃない」
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テレビに向かって、手を伸ばす。
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指先に、意識を集中させる。
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「現場は、そこじゃないだろ」
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その瞬間——
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空気が、止まる。
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テレビの音が消える。
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画面が、わずかに歪む。
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映像が“揺れる”。
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防犯カメラの映像。
人物の位置が、ほんの数メートルずれる。
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それだけで——
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“別のカメラ”に繋がる。
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映像が切り替わる。
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薄暗い路地。
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そして——
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男が、誰かを突き飛ばす瞬間。
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倒れる影。
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動かなくなる。
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はっきりと映っている。
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顔も。
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手も。
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逃げる姿も。
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さっきまで“いなかったはずの場所”に。
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悟の呼吸が、わずかに乱れる。
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「……これが」
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指先が、震える。
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「正しい位置か」
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次の瞬間、時間が動き出す。
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テレビの音が戻る。
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『——新たな映像が公開されました』
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アナウンサーの声が変わる。
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『被疑者とされていた人物が、事件現場付近にいた可能性が——』
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悟は、手を下ろした。
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胸の奥が、ざわついている。
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「……やったのか、俺」
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問いかけるように言う。
だが、答えはもう出ていた。
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スマホが震える。
通知。
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『新証拠浮上 再捜査へ』
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画面を見つめる。
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少しの間。
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「……これでいいんだろ」
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自分に言い聞かせるように。
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だが、その言葉はどこか軽かった。
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ふと、テレビの端に目をやる。
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一瞬だけ。
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会議室。
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あの老人が、座っている。
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今度は、何も言わない。
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ただ、悟を見ている。
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評価するでもなく。
止めるでもなく。
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“観測している”。
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次の瞬間、消える。
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悟は、目を逸らした。
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胸の奥に残る違和感を、消せないまま。
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「……」
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正しいはずだった。
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間違ってはいないはずだった。
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それでも——
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どこかで、何かがズレた気がした。
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この日、初めて。
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宮島悟は、“意図して”世界に触れた。
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そして同時に。
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戻れない場所へ、一歩踏み込んだ。
——この物語は、あなたに観測されたことで成立しました。




