無意識の選択
※この物語はフィクションです。
あなたが観測するまでは。
夕方。
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大学の前の通りは、人の流れが少しだけ増えていた。
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講義終わり。
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帰る者、立ち止まる者、談笑する者。
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いつもと同じ時間。
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宮島悟と吉田凪も、その中にいた。
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「腹減ったな」
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凪が伸びをしながら言う。
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「どっか寄る?」
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悟は前を見たまま答える。
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「任せる」
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「じゃああの定食屋——」
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凪が歩き出す。
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その瞬間。
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遠くから、音。
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エンジン。
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妙に近い。
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妙に速い。
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「……?」
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悟の視線が上がる。
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道路。
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トラック。
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明らかに、速度が異常だった。
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「おい——」
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誰かの声。
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ブレーキ音。
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間に合わない。
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凪の背中。
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気づいていない。
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「凪!」
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叫ぶ。
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だが。
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距離がある。
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間に合わない。
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その瞬間。
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視界が、歪む。
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音が、引き延ばされる。
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時間が、遅れる。
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無意識に。
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手が動く。
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ポケットの中。
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触れる。
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翁。
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冷たい。
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だが。
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次の瞬間。
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世界が、ズレる。
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トラックの軌道が、わずかに変わる。
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凪の足が、ほんの数センチ後ろにずれる。
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風だけが通り抜ける。
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何も、起きていない。
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はずだった。
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「……え?」
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凪が振り返る。
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「今……」
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トラックは、そのまま走り去る。
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周囲がざわつく。
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「危なっ」
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「今のやばかっただろ」
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声が戻ってくる。
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時間が元に戻る。
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「……」
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悟は、その場に立ったまま動かない。
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自分の手を見る。
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何もしていない。
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はずなのに。
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「……今の」
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喉が乾く。
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理解してしまう。
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選んだのは、自分じゃない。
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でも。
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結果は、変わった。
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■
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「悟?」
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凪が近づいてくる。
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「お前、さっき叫んでたよな」
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「……ああ」
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「何だったんだよ」
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軽い調子。
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だが。
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その目は、少しだけ違う。
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「……分からない」
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本音。
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凪は少し黙る。
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「……でもさ」
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一拍。
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「助かったよな」
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あっさりと言う。
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「結果的に」
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その言葉。
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胸に残る。
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「……結果」
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小さく繰り返す。
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それでいいのか。
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考える。
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だが。
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答えは出ない。
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■
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夜。
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部屋。
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静かな空間。
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机の上。
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翁。
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そこにある。
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悟は、それを見ている。
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「……俺じゃない」
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小さく言う。
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自分の意思じゃない。
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選んでいない。
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なのに。
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結果だけが変わる。
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「……じゃあ誰だ」
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問い。
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答えはない。
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ただ。
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翁が、そこにある。
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何も語らず。
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ただ。
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“存在している”
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その意味だけを残して。
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ゆっくりと手を伸ばす。
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触れる。
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一瞬。
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また、別の記憶が流れる。
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違う視点。
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違う時間。
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老人。
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自分。
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「……っ」
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手を離す。
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呼吸が荒くなる。
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「……」
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理解が、追いつかない。
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だが。
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確実に。
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“何かが選んでいる”
——この物語は、あなたに観測されたことで成立しました。




