記憶のズレ
※この物語はフィクションです。
あなたが観測するまでは。
昼。
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大学の廊下。
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人の流れ。
ざわついた空気。
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いつもと同じ。
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宮島悟も、その中を歩いていた。
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「なあ悟」
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横から声。
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吉田凪。
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ポケットに手を突っ込みながら、いつもの軽い調子で並んでくる。
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「昨日の続きだけどさ」
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悟は足を止めない。
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「何の話だ」
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凪が少し笑う。
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「おいおい、忘れたのかよ」
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肩を軽く叩く。
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「事件の話だよ。あの会社のやつ」
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悟の視線がわずかに動く。
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「……ああ」
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短く返す。
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「お前さ」
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凪が続ける。
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「昨日めっちゃ語ってたじゃん」
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悟は止まる。
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「……語ってない」
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一言。
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「いやいや」
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凪は笑う。
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「普通に話してたって」
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「証拠とか揃ってても意味ない、とかさ」
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悟の表情が、わずかに固まる。
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「……言ってない」
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はっきりと言う。
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一瞬、空気が止まる。
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「え?」
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凪の笑いが止まる。
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「マジで言ってたぞ」
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「言ってない」
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短く返す。
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凪は、少しだけ真顔になる。
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「……じゃあ誰と話したんだよ」
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その言葉。
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妙に引っかかる。
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「……」
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悟は答えない。
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ただ、違和感だけが残る。
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教室。
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席に座る。
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スマホを取り出す。
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トーク履歴を開く。
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凪とのやり取り。
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スクロールする。
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昨日のログ。
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そこに。
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ある。
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『証拠が揃ってても意味ないこともある』
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送信者。
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宮島悟。
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「……」
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画面を見つめたまま、動かない。
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指が、わずかに震える。
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「……俺か」
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小さくつぶやく。
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だが。
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記憶にない。
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そんなことを言った覚えはない。
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「……」
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もう一度スクロールする。
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会話は自然だ。
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流れもおかしくない。
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“普通に存在している”
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だからこそ。
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「……おかしい」
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講義中。
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教授の声が流れる。
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だが、悟の意識はそこにない。
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考えている。
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記憶。
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記録。
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どちらが正しいのか。
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「……」
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無意識に、鞄に触れる。
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中にある。
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翁。
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触れた瞬間。
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音が、わずかに歪む。
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教授の声が遅れる。
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時計の針が、一瞬だけ戻る。
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「……」
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悟はゆっくりと手を離す。
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理解する。
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「……記録も、か」
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小さく言う。
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現実だけじゃない。
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“残るもの”も。
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変わっている。
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■
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夕方。
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食堂。
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凪が席に座っている。
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「なあ」
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悟が向かいに座る。
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「昨日の話だが」
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「お、思い出した?」
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「……あれは本当に俺か」
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一瞬。
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凪が止まる。
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「何言ってんだよ」
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笑う。
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「お前以外誰がいるんだよ」
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当たり前のように言う。
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「……」
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悟は黙る。
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違和感が、消えない。
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「……なあ」
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凪が少しだけ真剣な顔になる。
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「お前、最近変じゃない?」
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一言。
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軽い調子じゃない。
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「……」
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悟は答えない。
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ただ。
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分かっている。
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ズレているのは。
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世界か。
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自分か。
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夜。
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部屋。
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静寂。
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机の上。
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翁。
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じっとそこにある。
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悟は、それを見る。
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「……お前か」
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小さくつぶやく。
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答えはない。
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ただ。
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“そこにある”
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それだけで。
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十分だった。
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ゆっくりと手を伸ばす。
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触れる。
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その瞬間。
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視界が、わずかに歪む。
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一瞬。
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“知らない記憶”が流れる。
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誰かと話している。
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自分。
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だが。
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今の自分じゃない。
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「……っ」
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手を離す。
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呼吸が少し乱れる。
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「……」
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理解が追いつかない。
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だが。
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確実に。
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“自分じゃない自分”がいる。
——この物語は、あなたに観測されたことで成立しました。




