ずれていく日常
※この物語はフィクションです。
あなたが観測するまでは。
昼。
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大学の食堂は、いつもより少しだけ騒がしかった。
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「見た?あの事件」
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「やっぱ裏あったんだな」
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「普通じゃなかったもんな」
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あちこちで同じ話題が飛び交っている。
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杉並四丁目一家殺害事件。
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長い間止まっていたものが、突然動いた。
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それだけで、異常だった。
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宮島悟は、その中にいた。
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席に座り、何も変わらない顔で食事をしている。
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だが。
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「……」
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周囲の声が、どこか遠くに感じる。
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耳には入っている。
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理解もできる。
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それでも、どこか現実味がない。
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「なあ悟」
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横から声。
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振り向くまでもなく分かる。
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吉田凪。
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いつも通りの距離感。
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「やっぱあれさ、絶対揉み消されてたよな」
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パンをかじりながら、軽い調子で言う。
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「企業とか政治とか、裏で繋がってるやつ」
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笑いながら続ける。
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「結局そういうのってバレんのな」
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悟は、ゆっくりと視線を向ける。
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「……そうだな」
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短く答える。
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凪は気にせず話を続ける。
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「でもさ」
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一拍。
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「なんで今なんだろうな」
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軽い口調のまま。
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「こんなん、もっと前に分かりそうじゃね?」
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悟の手が止まる。
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「……」
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言葉が出ない。
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「まあいいけど」
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凪は肩をすくめる。
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「解決したならそれでよくね?」
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あっさりと。
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「被害者的にもさ」
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その言葉。
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妙に引っかかる。
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「……結果、か」
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悟が小さくつぶやく。
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「ん?」
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凪が首を傾げる。
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「いや」
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それ以上は言わない。
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■
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講義中。
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教授の声が前から流れてくる。
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だが、頭には入っていない。
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悟は、ただ前を見ていた。
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視界の端。
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誰かがノートを落とす。
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床に当たる音。
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カラン、と。
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その瞬間。
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音が、わずかに遅れる。
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「……」
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悟の目が、ほんの少し動く。
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違和感。
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ほんの一瞬。
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気のせいと言えば、それで終わる程度のズレ。
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「……今の」
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考える。
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だが、結論は出ない。
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■
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夕方。
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帰り道。
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信号が赤に変わる。
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人が止まる。
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青に変わる。
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歩き出す。
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普通の光景。
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悟も足を止める。
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だが。
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次の瞬間。
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まだ赤のはずの信号を、誰かが渡っている。
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「……」
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目で追う。
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渡りきる。
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その直後。
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信号が青に変わる。
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「……遅い」
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小さくつぶやく。
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ズレている。
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ほんのわずか。
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だが。
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「……おかしいな」
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視線を上げる。
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信号は、何もなかったかのように青のまま。
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周りの人間も、誰も気にしていない。
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「……」
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違和感だけが残る。
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夜。
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部屋。
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静かな空間。
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悟は、ベッドに座ったまま考えていた。
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事件のこと。
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ニュースのこと。
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さっきの信号。
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音のズレ。
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「……」
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点と点が、ゆっくりと繋がっていく。
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「……触ってるな」
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小さく言う。
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何かが。
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世界に。
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「……誰が」
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一拍。
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その言葉が、止まる。
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答えに近づきすぎている。
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「……」
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目を閉じる。
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あの時。
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あの瞬間。
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“見えなかったものを見せた”
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それだけのはずだった。
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「……なのに」
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違和感は消えない。
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むしろ。
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広がっている。
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ゆっくりと。
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「……ズレてる」
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世界が。
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ほんの少しだけ。
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元に戻らない方向へ。
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動いている。
——この物語は、あなたに観測されたことで成立しました。




