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第一章 3-1

 宮殿の横幅をそのまま使った、寥廓りょうかくたる大広間。

 手の込んだ寄せ木細工の床や金の壁面彫像も然ることながら、最も目を引くのは一面の天井画だ。


 曙の女神アヴローラ、夕の女神アセル、宵の女神レイラ――アイズベルグ正教に伝わる“三柱みはしらの神々”が描かれた天井は、誰もが足を止める圧巻の景色である。

 神々の姿がよく見えるようシャンデリアは吊るされておらず、代わりに幾つもの燭台が壁に備え付けられている。

 最も、昼の時間帯は窓からの採光で十分に明るかった。


「南方視察ご苦労であった、グリゴリー」


 日差し降り注ぐ大広間の南端。

 他より数段高く造られた壇上の玉座に泰然と座る皇帝が言うと、グリゴリーは胸に手を当てて臣下の礼をとる。


「もったいなきお言葉です、陛下」

「……うむ。おまえ達はもう下がっていいぞ」


 すると、皇帝の側に控えていた衛兵や従者達は、静かに礼をしてその場を後にした。

 だだっ広い大広間に残された二人は、しばし無言で耳を欹てる。

 去っていった人々の足音が全く聞こえなくなると、ようやく低い声で言葉を交わし始めた。


「ブルマン地区の様子はどうだった」

「現状、目立った動きはありません」


 アイズベルグ帝国はセーヴェル大陸の北端に位置している。

 台形を逆さにしたような国土は、南東部をイルナラ王国、南西部をオシデンス・エステン・ポルスカの通称“西部三国”、そして南部をブーマンディ公国と接していた。

 ブルマン地区とは、ブーマンディとの国境に位置するアイズベルグ最南端の土地のことである。


 そこで極秘裏に発生している()()()()のために、グリゴリーはひと月以上に渡って出張を余儀なくされていたのだ。


「しかし、未だに旧聖書を手放さない民も少なくないようです」

「何? あれは全て燃やせと命じたはずだが」

「ひとつ残らずというのは無理があります。そして、ひとつでも残っていれば写本が出回る。いずれにせよ熱心な教徒は暗記しているようですから、いちいち燃やしていてもきりがないでしょう」

「……ちっ。面倒だな」

「陛下、素が出てますよ」


 グリゴリーは、目の前で高貴さの欠片もなく舌打ちをした皇帝マクシミリアンを諫める。


「そう怖い顔をするなグリゴリー。二人きりの時くらい許せ」

「誰のせいでこんな顔になったとお思いですか」


 全くこのお方は……。

 いくら石帝と称されようと、心根は学生時代からまるで変わっていない。


 陛下とは、帝立アカデミー時代の同輩である。

 入学当初より、皇太子マクシミリアンの風格は一級品だった。

 美しく気高い外見の神々しさに、教師陣すら彼に声をかけるのを憚られていたほどである。


 しかし、実際のマクシミリアン・ソーン・アイズベルグはとんでもなく()()()()な男なのだ。


 グリゴリーがそれを知ったのは、アカデミーに入学して初めて迎える定期試験の三日前のこと。

 いきなり話しかけられて何事かと恐縮したグリゴリーの耳元で、彼は囁いたのだ。


 ――『答案写させてくれ』と。


 よくよく話を聞いてみれば、どうやらマクシミリアンはかなりの勉強嫌いらしく、彼の父に当たる先代皇帝に命じられて渋々アカデミーに通うことになったのだとか。

 当然、授業についていけなかったマクシミリアンは、試験を目前にして成績優秀と噂されていた自分に泣きついてきたのだ。


 いち伯爵家の子息に過ぎないグリゴリーには、皇太子の願いを無下にすることなど出来ない。

 しかも、もしも不正がばれた暁には、彼の身代わりに自分が退学処分となるのは目に見えている。

 リスクばかり大きくてこちらに何のメリットも無い依頼を堂々としてくるあたり、流石は皇太子だといっそ感心してしまった。


 結果、グリゴリーは彼に写させるための答案を書きつつ自分の答案は程よく間違える、という七面倒なゴーストライター業を卒業まで務めさせられる羽目になったのだ。


 ……確かその頃からだったか。

 慢性的な頭痛に悩まされ、周囲から『人相が悪い』と言われるようになったのは。


「遺伝だろ? 生物学の授業で習った」

「…………ええ。正解ですね」


 グリゴリーは眉間に拳を押し当てて頭痛を散らす。


 アカデミーを卒業して数年後、先代の崩御によりマクシミリアンは皇帝に即位した。

 すると、在学中に恩を売り続けた結果か、彼はエローヒン家に公爵位を授与したうえでグリゴリーを宰相に大抜擢したのだ。

 あながち学生時代の苦労も無駄ではなかったとおもいきや……それは地獄の始まりだった。

 何故なら単にマクシミリアンは、国政でも自分に頼る気満々なだけだったのだから。


「そもそも何故私が初代の尻拭いをしてやらなきゃならぬのだ」

「ミーティス殿下の代にまで禍根を残したくないと仰ったのは陛下でしょう。……あぁ、それで思い出しましたが、先ほど殿下からお声をかけられましたよ」


 花を摘んでいた、などとあからさまな嘘をついて庭で自分を待ち構えていた皇女ミーティス。

 美しい容姿以外には何の取り柄もない彼女はしばしば父親と比較されて残念がられているが、その父親の本性を知るグリゴリーから見れば単なる似た者親子だ。


「ティアが? 何と言っていた?」

「どうも殿下は、我が息子イヴァンにご興味があるようで。紹介してほしいとご所望です」


 グリゴリーが言うと、マクシミリアンは「なんだと?」と眉をひそめる。

 並みの従者なら縮み上がるほどいかめしい顔つきだが、もっと怖い顔のグリゴリーには通用しない。


「ご不満ですか? 確か陛下もイヴァンを殿下の婿にと考えておられましたよね。デビュタントはまだ先ですが、今のうちから二人を会わせておいてもいいと思いますが」

「いや、そうではない。てっきりティアはあのルカとかいう輩を気に入っていると思っていたのでな」

「ルカ? ああ、私が不在の間に殿下が連れ込んだという男のことですか」

「なっ……そういう言い方はやめろ」

「失礼致しました」


 先ほど馬車から降りた瞬間に群がってきた従者達の報告の一つに、そんなものがあった気がする。

 内政や外交の報告に注目していてほとんど気にも止めていなかったが、陛下にとっては一大事なのだろう。


「で、どう致しますか?」


 心底どうでもいいと思いながら尋ねる。

 そんなことより考えるべきことが山ほどあるだろう……ブルマン地区から逐一送っていた報告書だってろくに目を通していないようだし、西部三国で発生しているという新種の疫病も気がかりだ。

 仕方ない、答えを誘導してさっさとこの話題を終わらせよう。


「『心配だから』とミーティス殿下をアカデミーに通わせなかったのはいいですが、殿下に同世代の友人がいないのはいささか不憫では? それに万が一恋仲になったとしても、我が息子であれば問題ないでしょう」

「それもそうか……。ん? 待てよ、わかったぞ。グリゴリーおまえ、自分の息子を皇帝にしたいだけだろ。おまえにもようやく権力欲が芽生えて来たか」

「滅相もございません。むしろイルナラ王国の第二王子あたりとご婚約してくださらないか、と切に願っているくらいです」

「だめだ。言葉が通じん輩と結婚したらティアが可哀想だ」


 ちっ、だめか。

 というか、なんだそのしょうもない理由は。

 皇女殿下が政略結婚してくれれば東方の安泰に大いに役立つと思ったのだが、よく考えれば、この男が愛娘を政治の手段に使うわけがないか。


「わかりました。では近いうちにイヴァンを殿下に謁見させましょう」

「うむ、任せたぞ」

「それで、ブルマン地区の件ですが」

「あーそれも任せた。良きにはからえ」

「…………」


 石というより大岩のように腰の重い主君を前に、グリゴリーは再び眉間に拳を当てて頭痛に耐える。

 領土拡大や豪遊にかまけず、静かに自国の安寧秩序を守る石帝マクシミリアン。

 それは民衆が作り上げた偶像でしかない。


「但し、ティアに危害が加わることのないよう十分配慮しろよ」

「仰せのままに」


 この親馬鹿め。

お読みいただきありがとうございます。

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