第8話 黒幕の正体
境界ターミナル Central-0、第2審査課の窓口フロア。
昨夜の激震、クロード首席審査官の電撃拘留とマルティン統括の復権から一夜明け、業務の再開に向け静かな緊張感が漂っていた。
「……セイジ先輩、本当にこれで終わりなんでしょうか」
ジャムリンが、少し目元を赤くしながら書類を整える手の手を止める。
「終わりなわけがないだろう」
セイジ・イマミヤは冷めたコーヒーをすすり、使い古した赤の油性ペンのキャップをカチリと鳴らした。
「クロードはただの下っぱだろう。切られたトカゲの尻尾がどれだけ暴れても、頭を潰さない限り、次から次へと新しい『黒いスタンプ』が作られる」
その言葉が終わるか終わらないかの瞬間だった。
ヴゥゥゥゥゥン。
重厚な地鳴りのような振動が、数キロメートルに及ぶ境界ターミナル全体を揺らした。
中央コンコースの空間が、まるでガラスのようにひび割れる。割れ目から解き放たれたのは、これまでの不祥事神や違法転生者とは桁違いの、眩いまでに絶対的な黄金の光線だった。
光の中から姿を現したのは、神銀の長袍を纏い、顔を光の仮面で覆った男。
背後には十対もの光輪を背負い、その存在だけで周囲の空間の物理法則を書き換えていく。
神界の最上層――『神界最高評議会』直属、絶対神アイン・ソフの代理人である。
「——境界出入国管理局・第2審査課の全職員へ命じる」
代理人の声は、人の耳ではなく、その場にいる全員の魂へ直接響き渡る絶対の宣告だった。
「ただちに業務を停止し、その身を拘留に差し出せ。神界最高評議会の決定に基づき、第2審査課は本日をもって即時解体。ならびにマルティン・オルセン、セイジ・イマミヤ、レヴァニエル・サリムの三名を、全次元秩序撹乱罪および神権不敬罪の容疑で永久追放とする」
コンコースにいた何千という異世界の魂、そして他の部署の審査官たちが、圧倒的な「最高神の圧」の前に息を吹き飛ばされ、その場に平伏した。
「な……最高評議会の直命……!?」
復帰したばかりのマルティン統括が、青ざめた顔で胃を押さえて膝を折りかけた。
だが——セイジは一切の膝を折ることなく、だるそうにネクタイを緩め、ポケットから次元胃痛薬を取り出して一粒口に放り込んだ。
「最高神の命令ねぇ。……お偉い神様は、いつだって書類手続き手順を踏まないから困る」
「無礼者め。神の決定に異議を挟むか、ただの人間が」
代理人が指先を軽く掲げた。それだけで、セイジの頭上に数兆トンの質量に匹敵する「神罰の光」が収束していく。
「異議ではありません。手続きの『欠陥』を指摘しているのです」
静かな声とともに歩み出たのは、漆黒の三つ揃いスーツを着こなした神界監査局(DAB)上席監査官、レヴァニエル・サリムだった。
細いフレームの眼鏡の奥から放たれるアイスブルーの瞳には、神罰の光すら寄せ付けない冷徹な意志が宿っていた。
「アイン・ソフの代理人殿。我が神界監査局(DAB)の規定によれば、いかなる最高評議会の決定であれ、全マルチバース調停機構への『監査報告書』の提出なしに、現場の機構を解体することは違法です」
「愚かしい。その報告書を精査し、棄却する権限こそが我ら最高評議会にあるのだ!」
「——なら、全マルチバースの『全員』に精査してもらいましょうか」
セイジが不敵な笑みを浮かべ、ポケットから一つの魔導スイッチを取り出し、迷いなく押し込んだ。
ピコンッ!
その瞬間、ターミナル天井の巨大魔導ステータスボードをはじめ、第1から第5セクターまでの全異世界、果ては各世界の神殿に配置されたすべての『魔法通信水晶』が、一斉に同じホログラム映像を映し出した。
そこに流れたのは——魔導検疫所のキリンド主任が解析した『違法チートの内部構造データ』、元勇者ユウキがスラム街で回収した『闇のブローカーの取引履歴』、そして昨夜、第1サーバー室でクロードが自白した『最高評議会への神格エネルギー流出ログ』の全データだった。
「な……なんだこれは!? 通信を遮断しろ! 今すぐ全回線を叩き斬れ!!」
代理人の仮面の奥の声が激しく裏返る。
「無駄ですよ」
魔導検疫所のキリンドが、遠くの実験室から通信越しにハハハと高笑いした。
「ボクの特製ルーン・ウイルスがねぇ、全セクターの通信に同時拡散しちゃったからね! 解除には最低でも三日はかかるよ!」
全次元の無数の民、そして末端の神々が画面を凝視していた。
『神々の頂点が、裏で闇のブローカーと手を組み、自分たちの世界を滅ぼす違法チートを売りさばいて金儲けをしていた』という動かぬ証拠が、全マルチバースへ白日のもとに晒されたのだ。
「貴様らぁぁぁぁっ!!」
代理人の理性が吹き飛んだ。
背後の十対の光輪が狂乱の炎と化し、ターミナル全体を消し去らんばかりの威容で膨れ上がる。
「不敬の虫ケラどもめ! 存在ごと消滅させてやる!!」
天空から降り注ぐ、世界を崩壊させる規模の極大神罰——『絶対消滅光』。
「——誰を消去するって?」
重厚な地響きとともに、セイジたちの前に割り込んだのは、次元検察庁の最高執行官、ガルム・ヴァルケンだった。
「検察庁執行部・最高防御陣形——発動!!」
身の丈を超える『絶対防御の概念装甲』が重厚な音を立てて展開され、漆黒の結界がセイジ、レヴァニエル、ジャムリン、そしてマルティンを完璧に覆い尽くす。
ドドドドドドドドォォォォォンッ!!!!
世界を滅ぼす光と、絶対の防御が激突し、激しい火花と衝撃波がコンコースを吹き荒れた。
ガルムの装甲がメキメキと悲鳴をあげるが、その巨体は一歩も引かない。
「今だ、ユウキ!!」
「任せなっ!!」
コンコースの吹き抜けの天井から、ボロボロのパーカーを羽ばたかせたユウキ・サカモトが舞い降りた。
手に握るのは、かつて神に与えられ、打ち捨てられた錆びた聖剣。
「神様に捨てられた元勇者の……意地を見せてやるよ! はぁぁぁっ!!」
一閃。
かつての蒼い闘気が光の帯となって走り、代理人の光輪の接続部——魔力供給のルーンを的確に斬り飛ばした。
「ぐああぁっ!?」
神力の供給が途切れ、光の仮面に亀裂が入る。その隙を、レヴァニエルは見逃さなかった。
レヴァニエルは黒革の帳簿から、漆黒のルーンで縁取られた最高等級の執行票——『神界最高監察令状(特級赤札)』を指先から解き放った。
「神界基本法第1条『神権は全次元調停条約に基づき付与される』。――条約に違反し、全マルチバースの存続を脅かした最高評議会代理人! その神権の行使を、調停機構の名において完全凍結します!」
バシィィィィィィィィンッ!!!!
真っ赤な雷光が代理人の全身を貫いた。
背後の光輪が砕け散り、神銀の長袍が光を失い、代理人はその場に崩れ落ちた。
「ば……バカな……私は……最高神の……代理……」
「——言い残すことはそれだけですか?」
静かに歩み寄ったセイジ・イマミヤが、胸ポケットから真鍮製の『緊急手続用スタンプ』を構えた。
「神様だろうが代理人だろうが関係ない。ルールを破って他人の世界を崩壊させようとした奴に、押すスタンプはこれだけだ」
セイジは力任せに、代理人の額へとスタンプを叩きつけた。
ガチャンッ!!!
『神権剥奪・全不法介入拒否』
真っ赤なインクが鮮烈に刻まれ、代理人の神力は完全に消滅。ただの哀れな罪人へと変わり果てた。
「検察庁、拘留完了!」
ガルムの概念封印鎖がジャラジャラと蠢き、力を失った代理人を一瞬で縛り上げたのだった。
静けさが戻った中央コンコース。
壊れた床や崩れた窓口の瓦礫の中、全セクターの通信画面には、未だ呆然とする無数の魂と神々の姿が映し出されていた。
「ふぅ……」
セイジはネクタイを締め直し、ポケットから冷めきった缶コーヒーを取り出して一口あおった。
「やれやれ……無茶苦茶な残業でしたね、統括」
「イマミヤ君……君というやつは……」
マルティン統括はへたり込んだまま、震える手で胃薬を飲み、それから深々と溜息をついた。
「……最高評議会を敵に回したんだぞ。明日からどうなるか……」
「どうにもなりませんよ」
レヴァニエルが静かに帳簿を閉じ、眼鏡を押し上げた。
「今回拘留できたのは代理人の一人に過ぎません。真の黒幕である『絶対神アイン・ソフ』と最高評議会の核心グループは、さらに深い神界の深層、第3セクター奥へ潜伏したそうですよ。……戦いは、これからです」
「先輩……! 私、どこまでもついていきます!」
ジャムリンが涙を拭い、力強く胸を張る。
「へっ、面白くなってきやがったな。次も缶コーヒー用意しておけよ、セイジ」
ユウキが錆びた剣を担ぎ、不敵に笑った。
「今日の事件をきっかけに敵が増えるか、仲間が増えるか……」
セイジは呆れたように肩をすくめ、自分のデスクの瓦礫を起こすと、その上に使い古した次元出入国管理法規集と、一本の赤の油性ペンをしっかりと置いた。
「神界の深層だろうが、最高神の宮殿だろうが関係ないさ。……どこへ行こうが、俺たちのやることは変わらない」
セイジはペンをカチリと鳴らし、コンコースの向こう側——少しずつ戻り始めた転生希望者たちの長蛇の列に向かって、力強く声を張り上げた。
「——境界出入国管理局・第2審査課、業務再開! 次の審査の方、どうぞ!」
境界ターミナル Central-0。
理不尽な神々と戦う役人たちの泥臭くも痛快なサガは、次への扉を静かに開くのだった。




