第7話 非公式捜査
境界出入国管理局・第1審査課特別取調室。
重厚な防音魔法と魔力遮断結界で固められた無機質な部屋の中、マルティン・オルセン統括審査官は手枷を嵌められ、椅子に腰掛けていた。
「——観念したらどうだ、マルティン統括」
テーブルの反対側に立つのは、第1審査課の首席審査官――クロード。
冷徹な笑みを浮かべ、山積みにされた書類をトントンと整えている。
「第2審査課から押収された過去三年分の決済ログだ。お前が承認印を押した『特例ビザ』のうち、実に十二件の魔力波長が、裏社会で回遊している『黒いビザ』のデータと完全に一致した。管理責任どころの話ではない。お前自身が『蛇の目』にアクセス権限を売り渡していた証拠だ」
「……言いがかりだ」
マルティンは疲れ切った顔を上げ、掠れた声で反論した。
「私が押したのは、すべてイマミヤ審査官たちが正当な手続きを経て提出してきた【献身者補償規定】や【開拓村特例】の決済印だ! データがすり替えられていたというなら、システム上の改ざんだ!」
「ハッ、苦しい言い訳だな。システムにアクセスできる最高権限者はお前だ」
クロードは冷たく言い放ち、デスクの上の『統括承認印』を封印した。
「本日をもって、お前の統括職を解任する。……神界監察部による精神尋問を待つがいい」
一方、立ち入り禁止の黄色いテープが貼られた第2審査課のフロア。
「そんなの……絶対におかしいです!!」
ジャムリンが悔しさに声を震わせ、デスクを叩いた。
「マルティン統括が裏切り者なわけないじゃないですか! いつも胃薬飲みながら、私たちの無茶な申請に文句言いながらも印鑑押してくれてたのに……!」
「落ち着け、ジャムリン」
セイジ・イマミヤは冷めたコーヒーを一口すすり、静かに自席の引き出しを開けた。
中から取り出したのは、使い古した一本の赤の油性ペン。
「先輩……?」
「マルティン統括がハメられたのは確実だ。……決済ログの改ざんなら、現場の叩き上げじゃなく、管理システムの上澄み、『根幹』に触れる奴の仕業だ」
「——同感ですね」
背後から足音もなく現れたのは、神界監査局(DAB)上席監査官、レヴァニエル・サリムだった。
氷のようなアイスブルーの瞳に、静かな怒りの炎を宿している。
「第1審査課と監察部の動きが早すぎます。デメテルオス神殿のガサ入れからわずか数時間。まるで、最初からマルティン統括に罪を擦りつける準備が整っていたかのように」
「レヴァンさん、DABの権限で監察部のデータベースを洗えますか?」
「可能です。ただし、正規の手続きを踏めば上層部に握り潰されらでしょうから。……これより行うのは、神界監査局および管理局の規定を完全に無視した『非公式の独自内部査察』となりますが……よろしいですね?」
セイジはニッと不敵に笑い、赤ペンのノックを鳴らした。
「元々、俺たちはルールを守らない奴を裁くのが仕事だ。……内部のゴミ掃除と行きますか」
深夜の境界ターミナル Central-0。
普段は無数の職員で行き交う中央魔導サーバー室の前で、ボロボロのパーカーを着た男が欠伸を噛み殺していた。
「たく……役所の裏口侵入を手伝わされる元勇者の身にもなってみろってんだ」
元勇者の情報屋、ユウキ・サカモトである。
ユウキは手にした錆びた聖剣の柄で、サーバー室の精巧なセキュリティ結界の隙間を器用に突いた。
カチリ。
「はい解錠。……3分で内部ログを抜き出せよ、セイジ」
「助かる、ユウキ。煙草1ダース分の仕事としては上出来だ」
セイジ、レヴァニエル、ジャムリンの三人は、静まり返ったサーバー室内へ滑り込んだ。
室内には、全マルチバースの出入国データと神界決済ログを管理する、巨大な水晶柱が幾重にも並び、青白い光を放っている。
「ジャムリン、マルティン統括が承認したタイムスタンプを検索しろ」
「は、はいっ!」
ジャムリンが端末に素早く指を走らせる。
ホログラム画面に、マルティンが押印した瞬間のログが展開された。
「……見つけました! 統括が承認印を押した1秒後、別の暗号化された外部アクセスが入って、決済データを『聖剣士ビザ(偽造)』に書き換えています!」
「やはりな」
レヴァニエルが帳簿をかざし、その外部アクセスの「発信元ノード」を解析した。
「……このアクセスID、管理局の内部ではありません。神界の最高権力機関――『神界最高評議会・第1書記局』の専用回線です」
「神界最高評議会……!?」
ジャムリンが息を呑んだ。
「神々の頂点に立つ連中か。デメテルオスの上……つまり『蛇の目』の本当のオーナーは、神界の最高幹部たちってわけだ」
セイジが冷たく言い放ったその時——。
パッと、サーバー室全体の照明が赤く切り替わった。
『——そこまでだ、ネズミども』
重厚な防衛結界が室内全体に展開され、扉がガチャンとロックされる。
入口に立っていたのは、第1審査課のクロード首席審査官と、その背後に控える警備魔導兵の一団だった。
クロードは不快そうに歪んだ笑みを浮かべていた。
「イマミヤ審査官、それにDABのレヴァニエル上席。中央サーバーへの不法侵入およびデータ改ざんの容疑で、全員ここで処分する。……最高評議会からの直命だ」
「処分、ですか」
レヴァニエルは静かに一歩前へ踏み出した。
眼鏡の奥のアイスブルーの瞳が、冴え冴えとした絶対の冷気を放つ。
「クロード首席審査官。貴殿は『最高評議会の直命』と言いましたね? ……つまり貴殿は、神界最高評議会が『蛇の目』を通じて違法チートを流出させ、出入国データを改ざんしていた事実を【知っていて加担していた】と認めるわけですね?」
「ハッ! 認めてどうする? ここで貴様らが消えれば、すべての罪はマルティンと貴様ら反逆者に被せられて終わりだ!」
クロードが手を挙げると、警備魔導兵たちが一斉に魔導砲を構えた。
「死ね、現場の犬どもが!」
ズドォォォォンッ!!
高出力の魔力光線が狭いサーバー室内を焼き尽くそうと放たれた——その瞬間。
ババババババババッ!!
サーバー室の天井を突き破り、地響きとともに巨大な影が舞い降りた。
次元検察庁・最高執行官、ガルム・ヴァルケンである。
「——検察庁執行部だ!!」
ガルムが巨大な絶対防御の概念装甲 を壁のように展開し、放たれた魔力光線を全弾正面から受け止めて完全に霧散させた。
「ガ、ガルム執行官!? なぜここに!?」
クロードが顔を引きつらせる。
「マルティン統括の身柄引渡しの手続きに不審な点があったため、独自に追跡させてもらった」
ガルムは重厚な兜の奥から、ギラリと猛獣のような目を光らせた。
「検察庁を舐めるなよ、第1審査課。……組織の内部汚職など、我が概念封印鎖の絶好の獲物だ!」
ガルムが両腕を振るうと、漆黒の鎖が爆音とともに解き放たれ、警備魔導兵たちの武装を瞬く間に粉砕・封印していく。
「くっ……ええい、やれ! やってしまえ!」
クロードが悲鳴を上げて逃げ出そうとした。
だが、その足元に、ぬっと影が伸びた。
「逃がすかよ、役人の裏切り者」
背後に立ち塞がったのは、錆びた聖剣を肩に担いだユウキ・サカモトだった。
ユウキが聖剣の柄でクロードの膝裏を容赦なく撃ち抜く。
「ぎゃあっ!?」
クロードは派手に転倒し、床に顔面を叩きつけた。
静まり返ったサーバー室。
這いつくばるクロードの目の前に、セイジが静かに歩み寄った。
ポケットから取り出した赤の油性ペンのキャップを、カチリと外す。
「く、狂っている……! 最高評議会に逆らって無事で済むと思っているのか! 貴様らなど、神々の一言で存在ごと消し去られるんだぞ!」
見下ろすセイジの目は、氷のように冷たかった。
「お偉い神様がどれだけ偉そうに威張っていようが関係ない。俺たちは境界出入国管理局の審査官だ。……不法に書類を書き換え、身内の部下に罪を擦りつけるようなゴミに、押すスタンプは一つしかない」
セイジは引き出しから持ち出していた『統括代理スタンプ』を構え、クロードの額へ向けて容赦なく叩きつけた。
ガチャンッ!!!
『不法データ改ざん・公務員職権乱用罪:即時身柄拘留』。
真っ赤なインクがクロードの額に鮮烈に刻まれ、同時にレヴァニエルが掲げた『赤札』によって、クロードの全アクセス権限と魔力が一瞬で剥奪された。
「ひ……ひぃぁぁぁっ……!」
力を奪われ、罪人の烙印を押されたクロードは、ガルムの概念封印鎖によって容赦なく縛り上げられていった。
◇◇◇
翌朝。
第1審査課の特別取調室の扉が、外から豪快に蹴破られた。
「——お待たせしました、マルティン統括」
手枷を外され、放心状態のマルティン・オルセンの前に現れたのは、書類の束を抱えたセイジと、泣き顔のジャムリンであった。
「イ……イマミヤ君……? ジャムリン君……? 一体何が……」
「クロード首席審査官によるデータ改ざんの決定的証拠を押収しました。統括の無実は証明され、クロードおよび関係者は全員、検察庁に拘留されましたよ」
セイジが真新しい『統括承認印』をデスクの上にポンと置いた。
マルティンは固まり、それからプルプルと震えだし、ポケットから「次元胃痛薬」を取り出して一気に五粒ほど口に放り込んだ。
「……君たちは……君たちは本当に……! 私を心臓麻痺で殺す気かぁぁぁっ!!」
「あはは、お元気そうでなによりです、統括!」
ジャムリンが晴れやかに笑う。
だが、隣に立つレヴァニエルは静かに帳簿を閉じ、重い声で言った。
「……安奪している時間はありません、マルティン統括。クロードを切り捨てたことで、黒幕である『神界最高評議会』は、いよいよ本格的に動き出します。もはや隠れる意味はありません」
セイジも冷めたコーヒーを飲み干し、窓の外——無数の魂が行き交う巨大なコンコースを見つめた。
「ああ。敵は神々の頂点だ。……だが、どれだけ相手が大きくたって関係ない。窓口に来る不正は全部、ハネてやるさ」
役人たちの泥臭い反撃は、ついに神々の最高権力へとその刃を向け始めたのだった。




