第6話 落ちた勇者と強制執行
境界ターミナル Central-0、第2審査課の窓口フロア。
「——緊急警報。第2セクター管轄・領域コード402において、次元構造の局所的崩壊を検知。当該領域の存在キャパシティが限界値を突破しました」
天井一面に広がる巨大な魔導ステータスボードが、突如として不気味な警告色——深紅の点滅に染まった。
同時に、機械的なアナウンスが殺伐としたコンコース全体に鳴り響く。
「なっ……何事ですか、セイジ先輩!?」
書類の整理をしていた新人審査官補のジャムリンが、悲鳴を上げて思わず耳を塞いだ。
セイジ・イマミヤは卓上の端末を素早く操作し、明滅するエラーログを凝視した。
無精髭の生えた顔に、これまで以上に濃い影が落ちる。
「……『過剰チートの容量オーバー』だ」
「バグ……ですか!?」
「ああ。本来、一つの異世界が受け入れられる『個体の存在強度』には上限がある。物理法則や魔力濃度を維持するための容量だ。……だが、誰かがその世界に、許容量を遥かに超えたバグ級のチート能力者を解き放った」
セイジが画面をタップすると、ホログラム映像が浮かび上がった。
そこに映し出されていたのは、空が赤く亀裂を刻み、大地がガラスのように砕け散っていく、滅びの淵に瀕したファンタジー世界——第2セクター・領域402の惨状であった。
世界の中心に立っていたのは、身の丈を超える巨大な黒剣を掲げ、不気味な黒銀のオーラを全身から噴出させて笑う一人の男――元・転生者『グレン』。
「ハハハハハ! 見ろ! 俺の【無限成長】と【概念破壊】の力だ! 魔王も、神も、この世界の法則すら俺の足元に跪く! 俺こそがこの世界の絶対的な神だ!!」
グレンが踏み出すたびに、世界の空間そのものが歪み、次元の境界線が破綻していく。
「あいつ……『蛇の目』から違法チートを買った転生者でしょうか」
ジャムリンが拳を握りしめる。
「ああ。デメテルオスのような腐敗神から横流しされた『神格エネルギー』で精製された、特注の違法チートだ。……奴は自分のステータスを無限に上げ続けた結果、自分という存在の重みだけで、世界そのものを押し潰そうとしている」
「そんなの……そこに住んでいる普通の人たちはどうなっちゃうんですか!?」
「世界ごと消滅する」
セイジは冷めたコーヒーを飲み干すと、引き出しから赤の油性ペンと、重厚な真鍮製の『緊急手続用スタンプ』を取り出した。
「行くぞ、ジャムリン。これ以上は窓口の仕事じゃない。——『現場』での強行裁定だ」
次元の亀裂が走り、真っ赤な嵐が吹き荒れる領域402の大地。
「ハハハ! 壊れろ! 壊れろぉぉ!」
暴君と化したグレンが黒剣を振り下ろすたびに、山脈が削れ、空間に不可逆の亀裂が刻まれていく。
彼の全身から溢れ出る過剰な魔力は、すでにこの世界の構成物質を分子レベルで分解し始めていた。
「——そこまでだ、違法能力者」
重厚な地響きとともに、空間の割れ目を押しのけて着地したのは、漆黒の重装甲に身を包んだ巨漢——次元検察庁・執行部の最高執行官、ガルム・ヴァルケンであった。
その背後には、黒いスーツを完璧に着こなした神界監査局(DAB)上席監査官、レヴァニエル・サリム。
そして、胸に審査官バッジをつけたセイジとジャムリンが降り立つ。
グレンは不快そうに目を細め、高飛車に嘲笑った。
「なんだぁ? 役所の犬どもが何の用だ? 俺は神からこの力を与えられた選ばれし勇者だぞ! 貴様らごときに俺の成長は止められない!」
「『神』ではなく『闇のブローカー』だろう」
レヴァニエルが冷徹な声で一蹴し、手にした『監査用概念帳簿』を静かに開いた。
「貴殿の保持するスキル【無限成長】および【概念破壊】は、神界管理法第1条ならびに次元保全協定第4条に明白に違反する『違法概念コード』です。ただちに能力を破棄し、当庁の拘留に従いなさい」
「ハッ! 誰が従うかよ! 消え去れ、役人どもがぁぁぁっ!!」
グレンが黒剣を大上段に構え、世界を破砕するほどの黒銀の衝動波を叩き込んできた。
大気が裂け、不可避の破壊がセイジたちを襲う。
「——甘いな」
ガルムが前に踏み出し、両腕の装甲を交差させた。
ガアァァァァンッ!!!!
世界を砕くはずの衝撃波が、ガルムの巨大な体躯の前で、まるで壁に当たった波のように四散した。
ガルムの身の丈を超える『絶対防御の概念装甲』が、青白い火花を散らして威力を完全に相殺している。
「検察庁執行部・最高執行官ガルム・ヴァルケン! これより『違法概念の強制押収』を遂行する!」
ガルムが咆哮すると、その腕から太い漆黒の鎖——『概念封印鎖』がジャラジャラと音を立てて解き放たれ、生き物のようにグレンへ襲いかかった。
「ぐっ……な、なんだこの鎖は!? 俺の【無限成長】の力が……吸い取られていく……!?」
『概念封印鎖』に四肢を縛り上げられたグレンが、驚愕に顔を歪ませて暴れる。
だが、いくら筋力や魔力を上げようとも、鎖は彼の存在そのものの「出力」を抑え込んでいく。
「イマミヤ審査官! 今です!」
レヴァニエルが静かに告げる。
「了解!」
セイジは荒れ狂う暴風の中を堂々と歩み寄り、胸ポケットから一枚の『不法概念押収令状』を突きつけた。
「グレン。あなたが手に入れた無限の力は、あなたが努力で掴み取ったものでも、あなたの魂の器に見合ったものでもありません。ただの『システムのバグ』だ」
「黙れ! 黙れぇぇ! 俺は最強なんだ! 誰よりも強いんだぁぁっ!」
「最強と暴走を履き違いなさんな」
セイジは赤の油性ペンで、令状に刻まれたグレンの違法チートの「概念コード」を、迷いなくバツ印で塗り潰した。
「当関の第8条『世界崩壊を招く不法概念の強制押収規定』に基づき、あなたの【無限成長】および【概念破壊】の権能を、たった今から『全額没収』とします」
セイジは重厚なスタンプを構え、グレンの目の前で一気に叩きつけた。
ガチャンッ!!!
『能力全没収・原点回帰裁定』。
その瞬間、グレンの体から爆発的な黒銀のオーラが引き剥がされ、空気中へと散散していった。
膨れ上がっていた肉体はみるみる縮み、身の丈を超えていた黒剣はただの錆びた鉄くずとなって崩れ去る。
「あ……あぁ……俺の力が……俺の無双がぁぁぁっ……!」
力を完全に奪われ、ただの「運動不足の中年男の魂」に戻ったグレンは、その場に力なく膝をついた。
能力の没収と同時に、赤く割れていた領域402の空が、ゆっくりと元の美しい青空へと戻っていく。
崩壊しかけていた世界の法則が、本来のキャパシティを取り戻して安定し始めたのだ。
ガルムが静かに歩み寄り、小さくなったグレンの首根っこを掴み上げた。
「……世界の許容量を超えてイキったツケだ。次元検察庁の地下牢で、反省文を十万枚ほど書いてもらうぞ」
「ひっ……ひぐっ……!」
グレンは情けなく泣きじゃくりながら、ガルムの手によって連行されていった。
「……ふぅ。これで世界一つ、崩壊を免れましたね」
ジャムリンが胸を撫で下ろし、へたり込む。
青空を取り戻した領域402の街からは、助かった人々や冒険者たちが、空を見上げて歓声をあげる声が遠く聞こえていた。
「ですが、イマミヤ審査官」
レヴァニエルが拾い上げたグレンの黒剣の破片を見つめながら、氷のような声で言った。
「このレベルの『違法概念コード』が末端の転生者にまで出回っているとなると、もう事態は一神殿の汚職などというレベルではありません。『蛇の目』はすでに、数万件規模の違法チートをマルチバース中にバラ撒いている可能性があります」
「ああ……。転移までしているのだから、職員も買収されているか……」
セイジは胃薬を一粒飲み込み、空を見上げた。
「チートで歪められた世界が増えれば増えるほど、境界ターミナルの処理能力も限界を迎える。……奴らの狙いは、ただの金儲けじゃないな」
「狙い……?」
ジャムリンが息を呑む。
「マルチバース全体の『秩序のキャパオーバー』……つまり、境界ターミナルそのものを機能不全に追い込むことだ」
セイジの重い言葉に、レヴァニエルも無言で深く頷いた。
その時だった。
セイジの胸ポケットに入っていた通信魔導具が、激しい警告音とともに震え出した。
画面に表示されたのは、青ざめた顔で冷や汗を流す、マルティン統括審査官のホログラムであった。
『イ、イマミヤ君! 大変だ! 今すぐ局へ戻ってくれ!』
「統括? どうしたんですか、そんなに慌てて」
『いや、私が! 局内の違法チート流出の【責任者(内通者)】として、第1審査課と監察部によって拘束されたんだ!!』
「……なに!?」
セイジとレヴァニエル、そしてジャムリンの顔に衝撃が走る。
『……あっ!』
不自然に途切れた通信。
黒幕の手は、すでにセイジたちのすぐ隣——境界出入国管理局の内部にまで迫っていた。
「……胃薬の追加が必要になりそうですね」
「ええ。……至急戻りましょう。マルティン統括の無実を証明し、局内の『本物の黒幕』を炙り出すために」
境界ターミナル Central-0。
日常のスカッと劇は終わりを告げ、組織の運命をかけた「内部調査編」へと、物語は激しく加速していくのだった。




