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第9話 旅立ちのスタンプ

 

 最高神代理人の電撃拘留から一週間。


『境界ターミナル Central-0』の第2審査課フロアは、かつての殺伐とした喧騒が嘘のように、どこか落ち着いた空気に包まれていた。



 天井の魔導ステータスボードには、各世界の運行遅延を示す赤色の警告灯は一つもなく、すべてのマルチバースが安定した数値を刻んでいる。


「ふぅ……やっと溜まっていた未処理のビザ申請が片付きましたね、セイジ先輩」


 窓口のカウンターで、新人審査官補から正式な「一般審査官」へと昇格したジャムリンが、すっきりと晴れやかな笑顔で背伸びをした。


 その制服の袖口には、もうインクの染みではなく、誇らしげな二本線の階級章が輝いている。


「調子に乗るなよ、ジャムリン。書類の不備を見落としたら、すぐに赤ペンでバツを付けるからな」


 セイジ・イマミヤは、いつものように無精髭をポリポリとかきながら、冷めたコーヒーを一口すすった。


 だが、その口元にはわずかな笑みが浮かんでいる。


 あの最高神の代理人をリジェクトして以来、窓口にやってくる転生希望者たちも、どこか態度が改まっていた。

 無理なチートをねだる者はおらず、「自分の力で頑張りたい」と青いビザを受け取っていく者が増えていたのだ。


「――おや、イマミヤ審査官。相変わらずお忙しそうですね」


 静かな足音とともに歩み寄ってきたのは、漆黒の三つ揃いスーツを完璧に着こなした神界監査局(DAB)上席監査官、レヴァニエル・サリムだった。


 その手には、いつもの黒革の帳簿ではなく、一通の重厚な紫紺の封筒が握られている。


「レヴァンさん。監査局の仕事のほうは落ち着いたんですか?」


 セイジが尋ねると、レヴァニエルは美しく整った顔に微かな笑みをたたえて首を振った。


「いいえ、むしろこれからが本番です。……クロードや代理人の背後にいた『最高評議会の核心グループ』、そして真の黒幕である絶対神アイン・ソフ。奴らは神界の最も深い禁域——『第3セクター・神域最深部(アストラル・コア)』へと身を潜めました」



「なるほどねぇ。トカゲの尻尾を切ったら、いよいよ本体が巣穴の奥に引きこもったってわけだ」


 セイジが呆れたように肩をすくめると、レヴァニエルはスッとその紫紺の封筒をセイジのデスクの上に置いた。


「これは?」


「我が神界監査局と、境界出入国管理局の本部から下りた『神界深層域への特別出張査察命令書』です」

 

 封筒の中身をチラリと覗いたセイジは、思わず小さく溜息をついた。



「……これ、正式に発動したら、僕たちは神界のど真ん中、つまり敵の本拠地に正面から殴り込みに行くことになりますよ?」


「ええ。ですが、あなたでなければ務まらない。神々の不正な法解釈をその鋭い法規の目で見破り、不法なチートと神権を容赦なくリジェクトできるのは、この境界ターミナルの最前線に立ち続けたあなただけだ」


 レヴァニエルはまっすぐセイジの目を捉え、静かに、しかし力強く言った。


「準備はいいですか、イマミヤ審査官。――次の舞台は、神々の足元、神界の深層です」


 そこへ、フロアの端からドタバタと騒がしい足音が響いてきた。


「おいおい、お前らだけで盛り上がってんじゃねぇよ!」


 ボロボロのパーカーを羽織ったユウキ・サカモトが、手元に缶コーヒーをぶら下げながらニヤリと笑って歩いてくる。


 その背後には、大きな荷物を抱えた魔導検疫所のキリンドや、重装甲のガルムの姿もあった。


「元勇者として、神様の裏庭の構造くらい全部頭に入ってるんだ。案内役が必要だろ、セイジ?」


「ボクの特製ルーン・ウイルスも、神界のメインコアをハッキングする準備万端だよ!」


「検察庁の『概念封印鎖』も、神々の厚い装甲をブチ抜くために一段と強化しておいたぞ!」


 仲間たちの頼もしい言葉に、ジャムリンが感動で目をうるうると輝かせた。


「みなさん……っ!」


 マルティン統括も、デスクの陰から山積みの書類を抱えながら、苦笑交じりに声を張った。


「まったく……私を過労死させる気か君たちは! だが、行くならせいぜい盛大にやってきなさい! 神界の上層部に、うちの優秀な部下たちの『正しい仕事のやり方』を叩き込んでやってくれ!」




 仲間たちの顔を見渡し、セイジはふっと小さく息を吐いた。


 そして、使い古した赤の油性ペンを指先でくるりと回し、しっかりとポケットにしまい込んだ。


「……やれやれ。静かで平和な窓口業務は当分お預けみたいですね」


 セイジは立ち上がり、いつものようにきゅっとネクタイを締め直した。


 その瞳には、かつての投げやりな影はなく、すべての理不尽に立ち向かう静かで強い光が宿っていた。


「神様がどんだけ偉かろうが、最高評議会が裏でどんなルールを作っていようが関係ない。……俺たちのやることは一つだ」


 セイジは机の上の重厚なスタンプをしっかりと手に取り、仲間たちに見せるように高く掲げた。



「ルールを破る奴には『リジェクト』を。そして、正しく生きようとする奴には、最高の『明日』を。——行くぞ!」








 コンコースの向こう側では、今日も変わらず、新しい世界へ旅立とうとする無数の魂たちが長蛇の列を作って待っている。



 

 境界ターミナル Central-0。


 理不尽な神々と戦う役人たちの物語は、終わりなき深層(神界)へと向けて、新たな一歩を踏み出す。




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