第4話 審査を通らない『黒いビザ』
窓口のカウンターに叩きつけられたのは、眩い黄金の魔力が揺らめく一枚の羊皮紙だった。
「おい、いつまで書類を眺めてやがる! 見ればわかるだろ、最高等級の【聖剣士 勇者ビザ】だ! 特権の『全スキル即時習得』と『無制限レベルアップ』の承認印もついてるぜ!」
カウンターの向こうで身を乗り出し、下品な唾を飛ばして叫ぶのは、ガラの悪い革ジャンを着た中年男の魂『木村和馬』である。
生前の記録によれば、強盗致死を重ね、警察との銃撃戦の末に射殺された筋金入りの極悪人であった。
「セイジ先輩……」
隣で控えの端末を操作していた新人審査官補のジャムリンが、青ざめた顔で声を潜めた。
「生前のカルマ値は最悪のマイナス判定です……なのに、なんでこんな完璧な聖剣士ビザを持ってるんですか? 神様の気まぐれな特別推薦でしょうか……?」
「いや……」
セイジ・イマミヤは、無精髭の生えた顎を指で擦りながら、羊皮紙に捺された赤金のスタンプを凝視していた。
卓上のレンズを引き寄せ、ルーン文字の紋様を拡大する。
「ジャムリン、よく見ろ。印章の魔力波長が、わずかに揺らいでいる。……現行の第2セクター管轄の神界公式印は、先月更新されたばかりだ。だがこの印の波長は、三年前の旧型フォーマットを精巧に模倣して作られた『偽造品』だ」
「えっ……! 偽造!? でも、印章の魔力自体は本物の神力ですよ!?」
「そこが問題なんだよ」
セイジは重く溜息をつき、木村に向かって冷ややかな視線を向けた。
「木村さん。当関の第14条『不正書類による次元不法侵入』に基づき、そのビザを押収します。……正直に言いなさい。この書類、どこで手に入れましたか?」
木村の顔が即座に引きつり、激高してカウンターのガラスを叩いた。
「ふざけるな! ちゃんと金を払って買った本物だぞ! 役人風情がイチャモンつけてんじゃねえ!」
「……『買った』、ですね。やはり裏のルートが存在するわけだ」
セイジは引き出しから黒い留置スリーブを取り出すと、偽造ビザを封印し、冷たく告げた。
「身元調査が完了するまで、別室にて拘留とします。――ジャムリン、警備を呼べ」
◇◇◇
「――なるほど。神界の公式印章データが流出し、裏社会で売りさばかれている、と」
暗い通路の向こうから、冷徹な声とともに姿を現したのは、黒いスーツを纏った神界監査局(DAB)上席監査官――レヴァニエル・サリムだった。
氷のようなアイスブルーの瞳が、セイジの持っていた封印済みの偽造ビザを射抜く。
「レヴァンさん。そっちの監査局でも、この手の『黒いビザ』の噂は掴んでますか?」
「ええ。ここ数ヶ月、第2セクターのいくつかの世界で『カルマ値の異常に低いはずの転生者』が暴走し、世界の秩序を脅かす事件が多発していました。……どうやら単なる不祥事神の独断ではなく、組織的な犯罪の匂いがしますね」
レヴァニエルが帳簿を閉じると、セイジはネクタイを緩めながら、ターミナルの地下へと続くエレベーターのボタンを押した。
「よし、聞き込みに行くぞ、ジャムリン」
「えっ、どこへ行くんですかセイジ先輩!?」
「『境界の底』だ。……あそこに居座ってる、暇な元勇者様にコーヒーでも奢りにな」
エレベーターが着底したのは、境界ターミナル Central-0の最下層。
きらびやかなコンコースとは一転し、ここは不要になった次元のガラクタや壊れた魔導パーツが積み上げられた、灰色のスラム街(非正規滞在者区画)だった。
雑多な露店と薄暗い路地裏の奥。
積み上がった鉄くずの陰で、フード付きのボロボロのパーカーを着た男が、冷えた缶コーヒーを手に壁にもたれかかっていた。
「よお、お役人様。こんなゴミ溜めに何の用だ? また俺を不法滞在で追い出しに来たのか?」
フードの隙間から覗くのは、無造作に伸びた黒髪と、どこか自虐的な光を宿した瞳。
かつて異世界へ召喚され、魔王を倒したものの、用済みとなって故郷へも戻されず打ち捨てられた「元・勇者」ユウキ・サカモトである。
セイジは無言で、自動販売機で買ったばかりの温かい缶コーヒーをユウキへ投げ渡した。
「喉の補給だ、受け取れ。……ユウキ、お前に聞きたいことがある」
ユウキは放り投げられた缶コーヒーを器用に片手で受け取ると、カチリとプルタブを開けて一口飲み、ふっと鼻で笑った。
「温かいコーヒー1本で勇者の知恵を借りようたぁ、いい度胸だなセイジ。……で、噂の『黒いビザ』のことか?」
「知っているのか?」
レヴァニエルが静かに踏み出す。
ユウキは壁に背を預けたまま、空を見上げて呟いた。
「知ってるも何も、このスラムじゃ日常茶飯事さ。正規の審査を通らねえ極悪人や、楽して無双したいバカどもに、神界から流出した違法チートや偽造ビザを売りさばいてる『闇のブローカー』がいる。……奴らの名前は『蛇の目』だ」
「『蛇の目』……」
ジャムリンが身を固くする。
「ああ。奴らが恐ろしいのは、単なる偽造屋じゃねぇってことだ。売られているチートやビザには、本物の神様から抜き取られた『神格エネルギー』が混ざってる。……つまり、神界のかなり高い位置にいる奴が、裏で『蛇の目』に素材を流してるのさ」
「――そこまで知られているとは、元勇者殿も耳が早いことですな」
突如、路地裏の闇の中から、気味の悪いダミ声が響き渡った。
周囲の鉄くずがガタガタと震えだし、影の中から三人の異形が姿を現す。
その皮膚はドス黒く変色し、全身から溢れ出る過剰な違法魔力によって、肉体が巨大な爬虫類のように歪んでいた。
「『蛇の目』の下っ端か……!」
ユウキが缶コーヒーを握りつぶし、鋭い目つきに変わる。
中央の異形が、口を裂けて不気味に笑った。
「余計な真似をしてくれたな、境界管理局の役人ども。その偽造ビザの件は揉み消させてもらう。……全員、ここで死ね!」
異形の一体が猛烈な速度で跳躍し、鋭い爪をセイジの首元へ向けて振り下ろした。
「セイジ先輩っ!」
ジャムリンが悲鳴をあげる。
ズシャアッ!!
閃光が走った。
セイジの眼前に割り込んだユウキが、腰に下げていた刃の零れた錆びた長剣を鞘ごと突き出し、爪の撃ち込みを完璧に受け止めていた。
「おいおい、お役人様を守る義理はねぇんだがな……! コーヒー1本分の仕事はしてやるよ!」
ユウキが鞘を弾き飛ばすと、刀身からかつての「聖剣」の名残である蒼い闘気が暴風となって吹き荒れた。
「はああぁっ!」
一閃。異形の巨体が吹き飛び、壁を粉砕して崩れ落ちる。
だが、残る二体の異形が不気味な笑みを浮かべ、さらに魔力を膨れ上がらせた。
「無駄だ! 俺たちは『蛇の目』様から与えられた【無限再生】のチートを持っている! どんな攻撃も——」
「――法規を無視した不法な概念付与など、私の前ではただの『バグ』に過ぎません」
氷の静寂が空間を支配した。
異形たちの背後に、いつの間にか移動していたレヴァニエルが立ち、左手に携えた『監査用概念帳簿』を静かに掲げていた。
眼鏡の奥のアイスブルーの瞳が、冷徹な絶対の権威を放つ。
「神界管理法第38条違反。不法な概念改造および神格エネルギーの違法売買。――神権即時凍結(赤札発給)」
レヴァニエルが指先から繰り出した鮮血の『赤札』が、異形たちの胸元に突き刺さった。
バシィィィンッ!!
真っ赤な雷光が奔走し、異形たちの体内から溢れていた不法な魔力が、音を立てて消滅していく。
「なっ……魔力が……再生能力が消える……!?」
「――そこまでだ、違法分子ども!」
路地裏の頭上から、落雷のような重音とともに巨大な影が舞い降りた。
次元検察庁・執行部が誇る武闘派、ガルム・ヴァルケンである。
身の丈を超える重装甲と、ジャラジャラと蠢く漆黒の『概念封印鎖』を構え、地響きを立てて着地する。
「検察庁執行部だ! 異次元違法武力の不法所持および公務執行妨害により、全員強行拘留する!」
ガルムが腕を振るうと、黒い鎖が蛇のように伸び、力を失った異形たちを瞬く間に縛り上げた。
「ふぅ……間一髪でしたね」
ジャムリンが胸を撫で下ろし、へたり込む。
捕らえられた『蛇の目』の下っ端たちをガルムが厳しく尋問しようと顔を近づけた、その時だった。
「ひっ……ひぐっ……!」
縛り上げられていた異形たちの頭部に突然、黒い蛇の紋様が浮かび上がった。
次の瞬間、異形たちの瞳から光が消え、そのままガクリと首を垂れて倒れ込んだ。
「くっ……『概念口封じ』か!」
ガルムが苦々しく吐き捨てる。
「取調べを受ける前に、遠隔で精神回路を破壊されたな。手際が良すぎる」
レヴァニエルが冷たい手つきで彼らの脈を測り、静かに立ち上がった。
「……間違いない。神界の内部、それも『神界監査局』や『出入国管理局』の上層部に近い人間が、この『蛇の目』と繋がっています。押収されたはずの印章データや神格エネルギーがこれほど円滑に流出するなど、内部の手引きなしにはあり得ません」
「役人の内部汚職、か……」
セイジは落ちていた缶コーヒーの空き缶を拾い上げ、ゴミ箱へ放り投げた。
深々と溜息をつき、ポケットから新しい胃薬の小瓶を取り出す。
「タダでさえ窓口業務はパンクしそうなのにな。……上層部のタヌキどもの腹を探る羽目になるとは、つくづく割に合わない仕事だ」
「へっ、お堅いお役人様も苦労するねぇ」
ユウキが錆びた剣を鞘に納め、ニヤリと不敵に笑った。
「また何か裏の情報が知りたくなったら来な、セイジ。……次はまともな煙草の一箱でも持ってきてくれりゃ、もっといい情報を教えてやるよ」
「……考えておこう」
セイジはそう答えると、制服のネクタイを締め直し、階段の方へと歩き出した。
「行くぞ、ジャムリン、レヴァンさん。……どれだけ裏で巨大な組織が蠢いていようが、俺たちのやるべきことは変わらない。窓口に来た不正をハネて、正しい奴にスタンプを押すだけだ」
境界ターミナル Central-0。
役所の中に潜む深遠な闇と、巨大な陰謀の影を感じ取りながらも、セイジたちは再び、自分たちの戦場である「窓口」へと戻っていくのだった。




