第二十九話 フォロワー四十万人の敵
九条先生の話は、俺が予想していたよりも深刻なものだった。
「学校名が、すでに一部で特定され始めています」
九条先生はタブレットの画面をこちらに向けた。SNS上で、白百合ヶ峰学園の名前が、リリアの動画と結びつけて言及されている投稿がいくつも表示されている。
「制服の特徴から絞り込まれたようです。今朝から、学校の代表電話にも、苦情めいた問い合わせが数件、入っています」
「苦情って、どんな内容ですか」
「『生徒の教育がなっていない』『こんな学校に通わせたくない』といった類のものです。実際に本校に関係のない、外部からの声も多く含まれています」
俺はしばらく黙って、その画面を見つめていた。事実とはまったく異なる文脈で切り取られた十五秒の映像が、学校全体の評判にまで影響を及ぼし始めている。その広がり方の速さと理不尽さに、正直なところ、追いつけていない自分がいた。
「理事長にも、すでに報告が上がっています。近々、対応方針についての会議が開かれるはずです」
九条先生はそう言うと、少し表情を硬くした。
「黒部先生、あらかじめ申し上げておきますが、学校としては、天城さんの活動そのものについて、何らかの制限を検討する可能性があります」
「制限って、具体的には」
「SNS投稿の一時停止、あるいは芸能活動届の見直しです」
その言葉に、俺は思わず声を強めた。
「天城は何も悪いことしてねえんですよ。切り取られた動画のせいで、誤解されてるだけだ」
「それは私も理解しています。ですが、学校としては、生徒本人の潔白よりも、まず今この瞬間に燃え広がっている状況を、いかに早く鎮めるかを優先せざるを得ない場合があります」
九条先生の口調は、あくまで冷静だった。だがその冷静さの奥に、教師としての苦渋のようなものが滲んでいるようにも見えた。
放課後、俺は教室に戻り、リリアの様子を確認した。彼女はスマホを机の上に伏せたまま、じっと窓の外を見つめていた。
「天城」
「先生」
振り向いたリリアの目には、明らかな疲労の色が浮かんでいた。
「フォロワー、また減りました。それに、ダイレクトメッセージにも、知らない人からの、その」
言葉を濁したリリアのスマホを、俺は少しだけ覗かせてもらった。誹謗的な文言が並んだメッセージが、いくつも届いている。中には、リリアの容姿や家族についてまで言及する、悪意に満ちた内容も混じっていた。
「これ、全部無視していいからな」
「無視しても、次から次に来るんです」
リリアの声は、力なく震えていた。
「先生、私、もしかして、活動、辞めなきゃいけなくなるんでしょうか」
「まだ決まったわけじゃねえよ」
「でも、学校の名前まで出てるって聞きました。私のせいで、学校にも迷惑かけてるって」
リリアはそう言って、両手で顔を覆った。
「私だけじゃなくて、みんなにまで、迷惑かけてる気がして」
教室の外では、噂を聞きつけたのか、他クラスの生徒たちがちらちらとこちらを覗いていくのが見えた。リリアはその視線に気づくたびに、身を縮めるようにしていた。
翌日、職員室に貼り出された通達に、俺は目を疑った。
当面の間、校内での動画撮影、SNSへの投稿、及び個人での芸能活動全般について、生徒会・教員間で規制の見直しを検討する。
その文言は、リリア一人の問題として処理されるはずだったものが、いつの間にか、クラス全体、あるいは学校全体を巻き込む規制案へと発展しつつあることを示していた。
放課後、教室に戻ると、生徒たちの間でもすでにこの通達の話題で持ちきりになっていた。
「え、これ全員に関係あることじゃん」
ミウが不満そうに声を上げた。
「配信活動とか、撮影活動、全部制限されるってこと?」
「まだ検討段階みたいだけど」
千紘が冷静に補足したが、教室の空気は明らかにざわついていた。
「私たちの活動まで、リリアのせいにされてるみたいで、なんか嫌です」
ひなたが不安そうに呟いた。
杏も眉をひそめている。
「これ、リリア一人の問題じゃなくなってきてるってことだよね」
その言葉を聞いて、リリアの表情が、目に見えて青ざめていくのがわかった。
「ごめん……」
小さな声で、リリアが呟いた。
「私のせいで、みんなにまで迷惑かけて」
「リリアのせいじゃないよ」
玲華がすぐさま口を挟んだ。
「切り取られた動画で誤解されたのは、リリアのせいではございません。悪いのは、文脈を無視して悪意ある編集をした方々です」
「そうだよ、リリアは何も悪くない」
すみれも力強く同調した。しかしリリアの表情は、晴れることがなかった。
「でも、結果として、みんなの活動まで制限されそうになってるのは、事実だから」
リリアのその言葉に、教室内に重い沈黙が広がった。誰もが、リリアを責めたいわけではない。だが、目の前の現実として、一人の生徒に降りかかった炎上が、クラス全体を巻き込む問題へと発展しつつあることを、誰もが感じ取っていた。
☆
放課後、俺は職員室で、この規制案についての詳細を確認しようとした。しかし九条先生の説明は、思っていたよりも慎重なものだった。
「まだ正式に決定した内容ではありません。ただ、理事長も交えた会議で、何らかの対応が必要だという意見が出ているのは事実です」
「規制って、具体的にはどこまで踏み込む話なんですか」
「最悪の場合、校内での動画撮影の全面禁止、SNS利用の届出制強化、芸能活動の許可基準の厳格化まで、視野に入っているようです」
その言葉を聞いて、俺は思わず声を荒げそうになるのを、辛うじて堪えた。
「それ、リリア一人の問題を、生徒全員に押し付けるみたいなもんじゃねえですか」
「学校としては、ブランドイメージを守るための、やむを得ない措置だと考えているのだと思います。ただでさえ、もうすぐ夏休みです。生徒たちが羽目を外しやすい時期にも入りますし」
九条先生の言葉には、賛同とも反対ともつかない、複雑な色合いが滲んでいた。
その夜、俺は自宅で、拡散され続ける動画のコメント欄を、もう一度確認していた。批判のコメントは相変わらず増え続けていたが、その中に、ぽつりぽつりと、擁護するような声も見え始めていた。
「これ、前後の文脈見たら、全然悪意ないと思うけど」
「切り抜き動画だけで判断するのは危険」
しかしそうした冷静な声は、感情的な批判の波に、すぐに埋もれてしまっていた。
俺はスマホを閉じて、しばらく天井を見上げていた。リリア一人の問題として片付けるには、あまりにも大きくなりすぎたこの騒動が、これから二年桜組全体、そして学校全体を巻き込んでいくことになるのだろうという予感が、確かなものになりつつあった。
窓の外には、真夏を思わせる濃い夜の空が広がっていた。蝉の声すら聞こえない静かな夜に、俺は一人、これからどう動くべきか、答えの出ない問いを抱え続けていた。




