第二十八話 切り抜かれた十五秒
夏休みまであと二週間ほどに迫ったある日の放課後、俺は職員室で三宅先生と雑談をしていた。その時、三宅先生のスマホが小さく震えた。
「先生、これ……」
画面を覗き込んだ三宅先生の顔色が、みるみる変わっていく。
「どうした」
「天城さんの動画が、なんか変な感じで拡散されてるみたいです」
俺はスマホの画面を見せてもらった。ショート動画のプラットフォームに、十五秒ほどの短い映像が投稿されていた。
映像の中では、リリアが放課後の校内で、通りすがりの女性に道を聞かれている場面が切り取られていた。
「すみません、この辺りに、駅までの近道ってありますか」
「え、あ、その、えっと……」
映像の中のリリアは、少し困惑した様子で言葉を詰まらせている。そして次のカットでは、リリアが友人たちに向かって、苦笑いしながら何かを話している場面に切り替わっていた。
「今の人、なんか道の聞き方、変じゃなかった?」
その台詞だけが、字幕付きで大きく強調されていた。動画のタイトルには「お嬢様学校の生徒、道を尋ねた一般人を馬鹿にする」という煽情的な文言が添えられている。
「これ、なんかおかしくねえか」
俺は動画を何度か見返しながら、違和感を口にした。
「文脈が全然繋がってねえだろ。前後になんかあったんじゃねえのか」
「私もそう思います。でも、拡散してる人たちは、この十五秒だけを見て判断してるので」
俺はすぐにリリア本人に連絡を取り、事情を確認することにした。翌日の放課後、教室に残ったリリアは、青ざめた顔でスマホの通知欄を見つめていた。
「先生、これ、全然違うんです」
「どういうことだ、詳しく話してみろ」
リリアは震える声で、当日の状況を説明し始めた。
「あの日、道を聞かれた女性に、私、駅までの道を丁寧に説明しようとしたんです。でも、その方、途中でスマホの地図アプリを開いて、私の説明とは全然違う道順を確認し始めて」
「それで?」
「私、なんでわざわざ聞いたんだろうって、単純に不思議に思っただけなんです。友達に、その疑問を話しただけで、決して馬鹿にしたわけじゃなくて」
リリアはスマホの画面を、俺に見せてくれた。当日撮影していた別のカメラの映像には、リリアが親切に道順を説明する様子と、その後、友人に対して純粋な疑問を口にする様子が、順を追って記録されていた。
「これ見りゃ、馬鹿にしてねえのは明らかだろ」
「でも、拡散されてる動画には、この部分が全部カットされてるんです。都合のいいところだけ切り取られて」
俺はその日のうちに、拡散されている動画のコメント欄にも目を通した。そこには、リリアへの批判的な言葉が、次々と書き込まれていた。
「お嬢様学校の生徒って、こんなに性格悪いんだ」
「一般人を見下すとか最低」
「これがフォロワー四十万人の実態か」
批判のコメントは、時間が経つにつれて数を増していった。中には、リリアの個人情報を特定しようとする書き込みや、学校名を推測するようなコメントも混じり始めている。
「先生、私、どうすればいいんでしょうか」
リリアの声は、明らかに震えていた。
「とりあえず、事実関係をはっきりさせるのが先だろ」
「でも、こういう時って、下手に反論すると、余計に炎上するって聞いたことあります」
「じゃあ黙って見てるだけでいいのか」
「わかりません……」
リリアは頭を抱えたまま、しばらく動けずにいた。
☆
その日の夜、俺は帰宅してから、拡散されている動画の状況を改めて確認してみた。想像していたよりも、拡散のスピードは速かった。数時間前には数千回だった再生数が、すでに十万回を超えている。コメント欄には、次々と新しい批判が書き込まれ続けていた。
翌朝、学校に着くと、すでに職員室内でもこの件が話題になっていることに気づいた。
「黒部先生のクラスの生徒でしたよね、あの炎上してる子」
「学校名まで特定されそうになってるとか」
教師たちの間で交わされる会話には、心配の声と同時に、どこか他人事のような、あるいは学校の評判を気にするような響きも混じっていた。
教室に入ると、リリアは他の生徒たちに囲まれて、心配そうな視線を向けられていた。
「リリア、大丈夫?」
杏が声をかけると、リリアは力なく頷いた。
「なんか、朝起きたら、フォロワーの数、すごい減ってた」
千紘が心配そうに、リリアの肩に手を置いた。
「これ、絶対誤解だよね。リリアがそんなこと言うわけないもん」
「でも、動画だけ見た人には、そう見えても仕方ないのかも」
すみれが冷静な口調で分析するように言った。
「切り抜きって、本当に恐ろしいですね。文脈を無視して、都合のいい部分だけ抜き出せば、全然違う印象を作り出せてしまうんです」
ミウは眉をひそめながら、リリアの様子を見つめていた。
「これ、リリアが謝ったところで、収まるもんなの」
「わからない。でも、何もしないよりはマシかもしれない」
教室の空気は、いつもの賑やかさとは違う、緊張感のあるものに変わっていた。俺は教壇の前に立ちながら、この状況をどう対処すべきか、まだ答えを見出せずにいた。
昼休み、俺はリリアを呼び出して、改めて今後の対応について話し合うことにした。
「学校側にも、この件、もう報告は上がってるはずだ」
「先生、私、活動、辞めなきゃいけなくなるんでしょうか」
リリアの声には、切実な不安が滲んでいた。
「まだそこまで決まったわけじゃねえよ。ただ、これから状況、もっと大きくなる可能性はある」
「怖いです」
リリアは膝の上で両手を強く握りしめていた。
「私、悪いことしてないのに、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんでしょうか」
その問いに、俺はすぐには答えられなかった。窓の外では、夏の強い日差しが、校庭を白く照らしている。教室の中の重苦しい空気とは対照的に、外の世界はどこまでも眩しかった。
「とりあえず、事実関係、俺の方でも改めて確認する。学校側にも、正しい状況を伝えるよう努力する」
「よろしくお願いします」
リリアは深く頭を下げた。その姿は、いつもの完璧に整えられたインフルエンサーの顔ではなく、ただの不安に怯える高二の少女のものだった。
放課後、俺は職員室に戻り、学年主任の九条先生のもとへ向かった。この件について、まずは正確な状況を共有しておく必要があると感じたからだった。
「九条先生、天城の件で、少しお話ししたいんですが」
九条先生は椅子から立ち上がり、冷静な表情でこちらを見た。
「ちょうど私も、黒部先生にお話があったところです」
その声には、いつもの落ち着いた響きの奥に、どこか緊張した色が滲んでいた。俺はこれから、この問題が単なる一人の生徒の炎上騒動では収まらない、もっと大きな流れに繋がっていく予感を、なんとなく感じ始めていた。
窓の外に広がる夏の空は、どこまでも青く晴れ渡っていた。だが教室や職員室に漂う空気は、その青さとは裏腹に、日に日に重さを増していくようだった。




