第十九話 私たちの出し物、ちょっと変じゃないですか
六月最初の金曜日、二年桜組が担当する文化祭の飲食ブースが、ついに本番を迎えることになった。
準備期間中、教室では幾度となく話し合いが重ねられてきた。何を出すか、誰が何を担当するか、当日のシフトはどう組むか。その積み重ねの結果として迎えたこの日を、俺は朝から少し緊張した面持ちで見守っていた。
「先生、緊張してるんですか」
開店前の準備をしていた千紘が、俺の顔を見て少し意外そうに言った。
「してねえよ、べつに」
「してますよ。さっきから同じ場所、三回も掃いてます」
指摘されて自分の手元を見ると、確かに床の同じ箇所を、意味もなく箒でなぞり続けていた。
「お前らが失敗しねえか、心配してるだけだ」
「失敗しませんよ、たぶん」
千紘はそう言いながら、教室の入り口に飾り付けたメニュー看板を、最後にもう一度確認していた。二年桜組が出すのは、クレープとフルーツソーダの店。準備段階から何度も意見がぶつかった末、ようやく決まったメニューだった。
開店時間が近づくと、生徒たちはそれぞれの持ち場についていった。玲華とミウは接客担当、ひなたはレジ、リリアと杏は調理補助、すみれは在庫管理、乃愛は裏方の仕込み、そして千紘が全体の統括を務めることになっている。
「では、開店します」
千紘の合図とともに、教室の入り口が開かれた。
最初の客足は、思っていたよりも早くやってきた。学校関係者や、他校から来た見学者たちが、次々と教室に足を運んでくる。
「いらっしゃいませ、ごきげんよう」
玲華が、いつもの品のある所作で、丁寧に客を出迎えていく。その隣で、ミウはもっと気安い調子で声をかけていた。
「クレープどうっすか、めっちゃ美味いっすよ」
この対照的な接客が、思いのほか好評だった。
「なんか、この二人セットで見ると面白いね」
「お嬢様とギャルの両方に接客されるって、贅沢じゃない?」
客からそんな声が漏れるたび、玲華とミウは顔を見合わせて、少し困ったような、それでいてまんざらでもなさそうな表情を浮かべていた。
「ミウ、わたくしたち、見世物になっておりますわね」
「なってるね、完全に」
「これは、想定しておりませんでしたわ」
「まあ、悪い意味じゃないっぽいから、いっか」
二人はそう言い合いながらも、それぞれのやり方で接客を続けていった。
レジを担当するひなたの様子は、当初の予想とは少し違う方向に発揮されていた。
「限定商品って言葉、お客さんの心にすごく刺さるんです」
ひなたは、その日限りのトッピングを「本日限定スペシャルトッピング」と銘打ち、購入意欲を煽るポップを作っていた。
「先生、見てください、この作戦」
「いつの間にこんなもん作ったんだよ」
「推しのグッズ販売、いろいろ研究してきたので」
ひなたが自信満々に見せてきたポップには、限定という文字が、蛍光ペンで大きく強調されていた。実際、その効果は絶大で、限定トッピングを頼む客の列が、次第に長くなっていった。
「これ、推し活の知識が、まさかこんな形で役立つとは」
俺は思わず呟いてしまった。ひなたは得意げに胸を張っている。
「推しへの愛が、こういうところで活きるんです」
その言い分に、俺は納得したような、していないような、複雑な気持ちになった。
調理補助を担当するリリアは、忙しい合間を縫って、スマホをちらちらと気にしていた。
「これ、絶対映えるやつだから、ちょっと撮っておきたいんだけど」
クレープを焼く手を止めて、スマホを構えようとした瞬間、隣にいた杏が素早くそれを制止した。
「今は駄目」
「え、なんで」
「営業妨害だから。手止めたら、注文捌けなくなるでしょ」
「ちょっとだけだよ」
「その『ちょっとだけ』が、いつも長いんだって」
杏の指摘に、リリアはしぶしぶスマホをポケットに戻した。
「わかった、後で撮る」
「後でなら、いくらでもどうぞ」
その一連のやり取りを見ていた俺は、SNS騒動での一件を思い出さずにはいられなかった。あの時、撮る側の責任について話し合ったことが、こうして日常のやり取りの中に、自然に根づいているように見えた。
在庫管理を担当していたすみれは、本来の仕事とは違う場所に絶えず視線を向けていた。
「玲華さんとミウさん、今、二人でお盆持ってすれ違いましたよ」
誰にともなく呟く声に、千紘がすぐに反応した。
「高鳥、在庫の確認、進んでる?」
「あ、はい、進めてます。ただ、今の瞬間、二人の距離感が、いつもより近くて」
「そんなことより在庫」
「わかってますけど、これは記録しておかないと」
すみれはノートを片手に、業務そっちのけで観察を続けようとしていた。千紘はしばらくその様子を見た後、少し呆れたような口調で言った。
「高鳥、今日ばっかりは、そのノート閉じてくれる?」
「え、それは」
「文化祭の運営、失敗したら、みんなの努力が無駄になるんだよ」
千紘の言葉には、いつもの調整役としての切実さが滲んでいた。すみれは渋々ながら、ノートを閉じて在庫確認に戻っていった。
「わかりました。今だけです」
「今だけでいいから」
その光景を見ていた俺は、千紘の統率力の高さに、改めて感心していた。それぞれの生徒が持つ得意分野と、そうでない部分を、千紘はほとんど無意識のうちに把握しているようだった。
裏方の仕込みを担当する乃愛は、目立たない場所で、黙々とクレープの生地を焼き続けていた。手際は驚くほど良く、次々と焼き上がる生地が、途切れることなく前線へと運ばれていく。
「佐々岡さん、めっちゃ手際いいですね」
様子を見に来た他クラスの生徒が、感心した様子で声をかけた。
「あ、ありがとうございます」
乃愛は控えめにそう答えたが、その動作の一つ一つには無駄がなく、洗練されたリズムがあった。目立つような働き方ではない。それでも、必要なものが足りなくなる前に補充し、手が止まっている生徒がいれば、さりげなく次の作業を渡している。
教室の隅から乃愛の様子を見ていたすみれが、小さく呟いた。
「佐々岡さん、なんかこういう時、頼りになりますね」
乃愛は少し照れたように笑った。
「こういう、目立たない仕事の方が得意だから」
☆
開店から一時間ほど経った頃、教室の中は、予想以上の混雑ぶりを見せていた。
「先生、席、全然足りません」
千紘が、次々と入ってくる客の対応に、少しずつ焦りを見せ始めていた。
「隣のクラスに、椅子借りられねえか聞いてくる」
俺が動こうとすると、千紘はすぐに首を振った。
「大丈夫です、私が交渉に行きます」
「一人で大丈夫か」
「はい。全体の調整は私の担当なので」
千紘はそう言い切って、隣のクラスへと交渉に向かっていった。しばらくして、追加の椅子を数脚借り受けて戻ってきた姿を見て、俺は密かに安堵した。彼女なりのやり方で、目の前の課題を一つずつ片付けていく様子は、頼もしいものだった。
「紙皿、もう残り少ないよ」
乃愛が誰より先に気づいて、予備の箱を棚から取り出していた。
「佐々岡、よく見てんな」
「こういうの、見てる方が得意なので」
☆
昼前になり、客足が少し落ち着いた頃だった。
「黒部先生」
聞き覚えのある声に振り返ると、教室の入口に白崎先生が立っていた。
「白崎。松組はどうした」
「今、別の先生に見てもらっています。せっかくなので、桜組の店も見ておこうと思いまして」
「冷やかしか?」
「ちゃんと買いますよ」
白崎先生が店内に入った瞬間、近くにいた桜組の生徒たちの空気が、わかりやすく変わった。
「白崎先生!」
「先生、クレープ食べます?」
「フルーツソーダもありますよ!」
「席、こっち空いてます!」
さっきまで俺にはろくに愛想も振りまいていなかった連中が、急に営業熱心になった。
「お前ら、担任にもそれくらい優しくできねえのか」
「黒部先生は毎日いるじゃん」
「白崎先生はレアだから」
「俺を常設展示みたいに言うな」
白崎先生が困ったように笑う。
「すごい人気ですね、黒部先生」
「どこを見てそう思った」
そこへ玲華が、いつもの優雅な笑顔で近づいてきた。
「白崎先生、ごきげんよう。クレープはいかがですか?」
「ありがとうございます。一ついただこうかな」
「白崎先生なら、トッピング少し多めでもいいですよ」
ミウが横からさらりと言った。
「おい星川。俺の時そんなサービスなかったよな」
「先生は定価」
「扱いに差ありすぎだろ」
教室のあちこちから笑い声が上がった。
白崎先生はクレープを受け取りながら、店内を見渡した。
「でも、ちゃんと形になってますね。準備の時はかなり大変そうでしたけど」
「まあな。俺が何かやったっていうより、こいつらが勝手にまとめた感じだけど」
「それでも、いいクラスじゃないですか」
「桜組に当たらなくてよかったって言ってた奴が言うな」
「それはそれ、これはこれです」
白崎先生は涼しい顔でそう返した。
その時だった。
「先生方、そのまま少し動かないでください」
すみれの声がした。
「なんでだ」
「参考資料にします」
「何のだよ」
「創作の」
「やめろ」
白崎先生が首をかしげる。
「僕、何か描かれるんですか?」
「白崎、聞くな。知らない方が幸せだ」
すみれだけが、満足そうに眼鏡を押し上げていた。
☆
昼過ぎ、ようやく客足が落ち着いてきた頃、玲華とミウが、交代で少し休憩を取ることになった。
「疲れましたわ」
玲華は椅子に腰掛けながら、小さくため息をついた。
「れーちゃん、意外と接客向いてたじゃん」
「そう、ですの?」
「うん。品のある感じ、お客さんに好評だったよ」
玲華は少し照れくさそうに微笑んだ。
「ミウの方こそ、気さくな接客、皆様喜んでおられましたわ」
「それは、まあ、あたしのキャラだからね」
二人はしばらく並んで座りながら、行き交う客足を眺めていた。その様子を、少し離れた場所からすみれが、こっそりとノートに書き留めているのが見えた。
「あの二人、休憩時間まで一緒にいますね……」
千紘が呆れたように呟いたが、すみれは満足げに頷いていた。
「これも大事な記録です」
「記録より、次の仕込み手伝ってほしいんだけど」
「あ、はい、行きます」
すみれは慌てて立ち上がり、乃愛のもとへと駆けていった。
「高鳥、お前、今日何しに来たんだ」
「文化祭です」
「今の間は何だ」
☆
夕方、閉店時間が近づく頃には、教室の生徒たちの表情には、疲労と同時に、確かな達成感が滲んでいた。
「今日、めっちゃ売れたよね」
ひなたが、レジの集計を見ながら興奮した様子で言った。
「限定トッピングの効果、すごかったです」
「あれ、絶対ひなたの推し活のノウハウのおかげだよ」
杏がそう言うと、ひなたは誇らしげに胸を張った。
「推し活は、無駄じゃないんです。ルナ様追いかけて覚えたこと、ちゃんと残ってました」
「否定はしないよ、今日見た限りは」
教室の片付けを進めながら、生徒たちは今日一日の出来事を、口々に振り返っていた。玲華とミウの意外な接客の相性、ひなたの商魂、リリアと杏のやり取り、すみれの止まらない観察、乃愛の目立たない活躍、そして千紘の懸命な奮闘。
俺は教室の隅に立ちながら、その一日の光景を眺めていた。それぞれの生徒が、自分の得意なことやこれまで培ってきた経験を、こういう形で発揮していたことに正直なところ、少し驚いていた。
「先生」
片付けが一段落した頃、千紘が近づいてきた。
「今日、どうでしたか」
「思ってたより、うまくいったんじゃねえか」
「良かったです。正直、当日まで、ちゃんと成功するか不安でした」
千紘はそう言いながら、少し安堵した表情を浮かべていた。
「お前が全体まとめてくれたおかげだろ」
「いえ、みんなが、それぞれの役割をちゃんとこなしてくれたからです」
「そういうところだぞ」
「何がですか?」
「褒められた時くらい、素直に受け取れ」
☆
教室の後片付けが終わり、生徒たちがそれぞれ帰り支度を始めた頃、玲華とミウが、並んで教室を出ていく後ろ姿が見えた。
「今日の売り上げ、学年で一番だったって噂だよ」
「本当ですの?」
「うん、隣のクラスの先生が言ってた」
二人は嬉しそうに顔を見合わせながら、廊下を歩いていった。
俺は最後に教室の電気を消した。
今日くらいは、担任の出番が少なくてもいいらしい。




