第十八話 今日はみんな、それぞれ忙しい
文化祭まで、あと数日。二年桜組の教室は、朝から完全に戦場だった。
「先生、ガムテープどこですか!」
「知らん!」
「担任なのに!?」
「担任は文房具倉庫じゃねえ!」
教室の前では、クレープ屋の看板を作る班が色画用紙を床いっぱいに広げ、窓際ではメニュー表の文字をどうするかで玲華とミウが揉めている。
「やはり筆記体の方が上品ですわ」
「読めないって、それ」
「読めますわ」
「れーちゃん基準で話さないで」
教室後方では杏が電卓を叩きながら、仕入れ表と睨み合っていた。
「生クリーム、高くなってる。じゃあ減らす?」
杏が渋い顔をする。
「減らしたら写真映えしない」
リリアが即答する。
「文化祭で映えより原価を優先して」
「でも投稿された時の見栄えも大事だよ」
「利益が出ない店は映える前に潰れるから」
その横では、ひなたがスマホを見ながら明らかに落ち着きを失っていた。
「どうしよう……」
俺はその声を聞きつけた。
「神楽坂、どうした」
「先生」
ひなたが困った顔でスマホを見せてくる。
「ルナ様の期間限定ポップアップ、文化祭準備の最終日からなんです」
「また推しか」
「またとは何ですか!」
「前も文化祭準備とライブ被ってただろ」
「今回はライブじゃありません。限定ショップです」
「俺からすると大体同じだ」
「全然違います!」
ひなたは頬を膨らませた。
「初日限定の購入特典があるんです。数量限定で」
「じゃあ文化祭終わってから行けばいいだろ」
「なくなります!」
「まだ始まってもねえだろ」
「始まる前からなくなる可能性を考えるのがオタクなんです!」
「意味がわからん」
どうやら、また委員会仕事との板挟みらしい。
俺は少し考えた。
「じゃあ――」
「先生!」
今度は反対側から声が飛んできた。見ると、リリアが青ざめた顔でスマホを握っている。
「今度は何だ」
「動画、撮っちゃったんですけど」
「撮ったならいいだろ」
「後ろに玲華ちゃん映ってました」
「消せ」
「もう編集ほぼ終わってて」
「じゃあぼかせ」
「でも、この角度だと結構大きく映ってて――」
「本人に確認取れ!」
「先生!」
今度は千紘だった。
「なんだよ!」
「ひなたちゃん、作業止まってます!」
「今それやってた!」
「リリアちゃんも止まってます!」
「それも今やってる!」
「あと、ミウさんと玲華さんがまたメニュー表で揉めてます!」
「それは放っとけ!」
「放っといて大丈夫なやつですか!?」
「たぶん大丈夫だ!」
「たぶんで仕事しないでください!」
なんで俺が怒られてるんだ。
俺は一度、大きく息を吐いた。
今度は、教室の奥から誰かの声が飛んできた。
「先生!」
「まだあんのかよ!」
「クレープ生地、足りません!」
「それは俺に言うな!」
「先生、こっちテープ足りません!」
「先生、この机動かしていいですか?」
あっちからもこっちからも、桜組の生徒たちから声が飛んでくる。
「そんなにいっぺんに言われても対応できねえよ。俺は聖徳太子じゃねえから。順番にやるぞ。まず神楽坂」
「はい」
「ポップアップの話から――」
「あ、先生」
杏が手を挙げた。
「それ、もう終わった」
「何が」
「ひなたの件」
「終わった?」
杏はひなたのスマホを指差した。
「準備の担当時間を前半に寄せて、終わったら行けばいいって話になった。代わりに翌日の準備、ひなたが多めにやる」
ひなたが両手を合わせる。
「杏ちゃんが調整してくれました」
「お前ら、いつの間に」
「先生がリリアの方見てる間」
「俺、今から解決しようとしてたんだけど」
「遅いです」
杏は平然と言った。
「じゃあ次、天城」
「はい」
「東雲に確認――」
「もうしましたわ」
玲華の声が飛んできた。
「は?」
「映り込んでいる動画でしょう?」
玲華はリリアのスマホを覗き込みながら答えた。
「顔がはっきり映っている箇所はカット。それ以外は投稿して構わないと、お伝えしました」
「リリア、それでいいのか」
「はい。むしろ編集、前より良くなりました」
「……そうか」
俺の出番が消えた。
「じゃあ大宮」
「はい」
「お前は何でそんな機嫌悪いんだ」
千紘の顔が固まった。
「べつに、機嫌悪くないです」
「悪いだろ」
「悪くありません」
「眉間ずっとこうなってるぞ」
俺は自分の眉間に皺を寄せてみせた。
「それ先生の顔が怖いだけです」
「関係ねえだろ」
千紘は手元の進行表に視線を戻した。
「大丈夫です。これくらいなら私が確認しますから」
その言い方に、少し引っかかった。
「お前、また一人でやろうとしてねえか」
「千紘」
ミウが横から声をかけた。
「これ、あたしやる。装飾のチェック。千紘、全部見てるでしょ」
「でも」
「いいから」
今度は杏も続く。
「仕入れ確認は私が最後までやる。千紘は全体の進行だけ見て」
「それだと二人に負担が」
「今の千紘が全部持ってる方が負担偏ってるから」
玲華も顔を上げた。
「接客班の確認は、わたくしが担当いたしますわ」
「玲華さんまで」
「一人で何でもやろうとするのは、千紘さんの悪い癖です」
「でも私、頼むの苦手なんです」
「知ってる」
ミウがそう言うと、教室の空気が少しだけ緩んだ。
俺はそのやり取りを見ながら、口を開きかけた。
「お前ら――」
「先生」
杏がこちらを見る。
「何」
「何か言おうとしました?」
「いや」
「じゃあ黙っててください」
「なんでだよ!」
教室に笑いが起きた。
☆
その後も、準備は止まらなかった。ひなたはポップを書き始め、リリアは動画編集をやり直し、千紘はようやく椅子に座って進行表だけを見るようになった。
俺は教壇の横に立ったまま、妙な気分になっていた。次から次へと問題が飛んできた。なのに、結局俺が解決したものは、一つもない。
「先生」
三宅先生が教室の入口から顔を出した。
「文化祭準備、順調ですか?」
「知らん」
「知らんって」
「俺も今、何のためにここにいるのかわからなくなってきた」
三宅先生が教室を見渡す。
生徒たちは、それぞれ自分の仕事をしながら、必要なところだけ声を掛け合っている。
「ああ」
三宅先生は納得したように頷いた。
「先生が何もしなくても、回ってるんですね」
「言い方」
「いいことじゃないですか」
「担任としては複雑なんだよ」
そのとき。
「先生!」
教室の奥からひなたが叫んだ。
「今度は何だ!」
「脚立押さえててください!」
「それくらいならできる!」
俺はすぐに駆け寄った。ひなたが脚立の上で飾りを貼り付ける間、俺は下からしっかり支える。
「先生、動かさないでくださいね」
「わかってる」
「絶対ですよ」
「信用ねえな!」
教室のあちこちから笑い声が聞こえた。問題を解決することはできなかった。気の利いた答えを出したわけでもない。ただ、脚立を押さえている。
担任って、本当にこれでいいのか。少しだけ疑問に思ったが。
「先生、そこ、もうちょっと右です!」
「注文多いな!」
まあ。今日は、これくらいでいいのかもしれなかった。




