第十六話 先生がいると、こじれるんです
五月下旬のある日、放課後の教室に戻ると、妙な空気が流れていた。
原因は、窓際の二人だった。
東雲玲華と星川ミウ。いつもなら、近い。とにかく近い。席が離れていても気づけば隣にいるし、何かあれば真っ先に互いへ話しかける。
その二人が今日は、露骨なくらい目を合わせていなかった。
「ミウ、そちらの画用紙を取っていただけます?」
「自分で取れば?」
「……そうですか」
「うん」
会話が短い。しかも刺々しい。文化祭準備のため、教室では何人かの生徒が飾り付けを作っていた。玲華は看板用の文字を切り抜き、ミウはメニュー表を書いている。
距離にして三メートル。こいつらにしては異常事態だった。
「お前ら、喧嘩したのか」
俺が声をかけた瞬間だった。
「先生」
千紘が立ち上がった。
「なんだ」
「ちょっと、こっち来てください」
「なんでだよ」
「いいから」
腕を引っ張られ、そのまま教室の外へ連れ出される。
「おい。俺、担任なんだけど」
「知ってます」
「じゃあ戻してくれ」
「駄目です」
千紘はきっぱり言った。その隣から、杏まで顔を出す。
「先生が入ると、こじれるから」
「なんで俺が入っただけでこじれるんだよ」
「先生、絶対聞くじゃん」
「何を」
「『お前ら何があったんだ』って」
「聞こうとしてた」
「だから駄目なの」
杏は呆れた顔でため息をついた。
「こういうの、本人たちがまだ整理できてない時に聞かれると面倒なんだって」
「じゃあどうすんだよ」
「私たちで何とかする」
「何とかって何するんだ」
「それを先生に説明する必要あります?」
今度はすみれだった。教室の扉から半分だけ顔を出している。
「ある。担任だから」
「ありません。今回は」
「なんでだよ」
「先生は先生だからです」
「説明になってねえぞ」
三人は顔を見合わせた。
そして千紘が、妙に申し訳なさそうな顔で言った。
「とにかく先生、職員室に戻っててください」
「俺、追い出されてない?」
「追い出してます」
「認めるのかよ」
結局、俺は教室から締め出された。
☆
仕方なく職員室へ戻ると、三宅先生が俺の顔を見るなり笑った。
「どうしたんですか、その顔」
三宅先生は、笑いを堪える気すらない顔で言った。
「笑うな」
「何かやらかしました?」
職員室の自分の席に座りながら、俺は何度目かわからないため息をついた。
「やらかしたというより、東雲と星川、明らかに変だったんだ」
「喧嘩ですか?」
「たぶんな」
「何が原因で?」
「知らん」
三宅先生は呆れたように笑った。
「先生、珍しいですね。いつもなら本人に直接聞くのに」
「だからそれを止められたんだって。聞こうとしたら追い出されたんだよ」
「じゃあ、待つしかないんじゃないですか」
「教師ってそんな仕事だったか?」
「たぶん、そういう時もありますよ」
納得はいかなかった。
だが、教室へ戻ればまた追い出されそうだったので、仕方なく今日の古文小テストの採点を始めた。
十分。二十分。三十分。気になる。ものすごく気になる。
「先生、赤ペン止まってますよ」
「止まってねえ」
「さっきから同じ答案見てます」
「気のせいだ」
四十分ほど経った頃、ようやく教室の様子を見に行った。
扉を開ける。
「だから、そのリボンはこちらにつけた方が――」
「いや、絶対こっち。れーちゃんセンス古いって」
「古いとは何ですの!」
「古いもんは古いし」
いつもの二人がいた。玲華とミウは肩が触れそうな距離で、一枚の看板を覗き込んでいる。
「……仲直りしたのか」
二人が同時にこちらを見た。
「何の話ですの?」
「べつに喧嘩してないけど」
「いや、してただろ」
「してませんわ」
「してないし」
声まで揃った。
「じゃあ、さっきの何だったんだよ」
俺が聞くと、教室にいた全員が一瞬だけ黙った。
そしてすみれが眼鏡を押し上げる。
「先生」
「なんだ」
「世の中には、知らなくていいこともあります」
「お前まで九条先生みたいなこと言うなよ」
「先生が知らない方が、平和なんです」
「それ、教師に言う台詞か?」
誰も答えなかった。
玲華とミウはもう、何事もなかったように文化祭の看板について言い争っている。
「ミウ、そこは金色のリボンですわ」
「銀の方が映えるって」
「品格がございません」
「文化祭の看板に品格求めんなって」
いつもの距離。いつもの言い合い。何が原因だったのか。誰が何を言ったのか。どうやって仲直りしたのか。結局、その全部を俺は教えてもらえなかった。
そしてたぶん――。今でも、俺にはわかっていない。




