第十五話 先生は女子会に入れません
五月下旬、二年桜組の教室で、ある計画が持ち上がった。
「先生、聞いてください」
委員長の千紘が、放課後の教室で改まった調子で切り出した。
「今度の土曜日、クラスの親睦を深めるために、女子会を開くことになりました」
「女子会って、何やるんだ」
「みんなでカラオケ行って、そのあとファミレスで食事する予定です」
「へえ、いいじゃねえか」
俺は特に深く考えず、担任として何か把握しておくべきことがあるかと思い、素直に聞いた。
「それ、俺も行った方がいいのか」
教室の空気が、一瞬にして凍りついた。
「……は?」
最初に反応したのはミウだった。
「先生、今なんて」
「いや、担任として様子見ておいた方がいいかと思ってさ。行事的なものなら」
「先生、これ行事じゃないですよ」
千紘が慌てて訂正する。
「女子会です。生徒だけで親睦を深める会です」
「じゃあなおさら、様子知っといた方がよくねえか。トラブルとかあったら困るだろ」
「トラブルなんて起きません」
ひなたが即座に否定した。
「カラオケとご飯食べるだけですし」
「じゃあ余計、俺がいても問題ねえだろ」
俺の主張に、教室中から一斉に反論が飛んできた。
「先生がいたら女子会じゃないです!」
「先生いたら普通に、飲み会じゃなくて保護者会になります」
「先生がいる時点で、それもう親睦会じゃなくて視察です」
畳みかけるような反対の声に、俺は少したじろいだ。
「そんなに嫌なのか、俺が行くの」
「嫌とかそういう話じゃなくて」
すみれが、めずらしく冷静な口調で説明を始めた。
「女子会というのは、教師の目がない場所で、生徒同士が本音を語り合う空間なんです。そこに先生が加わったら、その本音の部分が全部失われます」
「本音って、どんな本音だよ」
「例えば」
すみれは眼鏡を軽く押し上げながら続けた。
「先生の悪口とか」
「おい」
「あと恋バナとか、推しへの過剰な愛情表現とか、他の先生の陰口とか、そういう先生には聞かせられない話がたくさんあるんです」
「俺の悪口言うつもりなのか、お前ら」
「言うとは言ってないですけど、言えなくなる可能性は排除したいです」
すみれの理屈は、妙に筋が通っているようで、どこかずるいようにも思えた。
玲華が控えめに手を挙げた。
「先生、女子会というのは、いわば聖域のようなものですわ。教師という存在は、あくまで学校という場に紐づいたものであり、生徒同士のプライベートな時間には、本来立ち入るべきではないと存じます」
「言い方は丁寧だけど、結局は来るなってことだろ」
「その通りですわ」
玲華はにこやかにそう言い切った。俺は少し傷ついたが、それを表に出すのも大人げないと思い、平静を装った。
「わかったよ。行かねえよ」
「先生、拗ねないでください」
「拗ねてねえよ」
「口が拗ねてます」
ひなたに指摘されて、俺は慌てて表情を戻した。
☆
土曜日の当日。俺は特に予定もなかったので、少し気になって、こっそりカラオケ店の近くまで様子を見に行くことにした。三宅先生に話すと、あっさりと呆れられた。
「先生、それストーカーの一歩手前ですよ」
「様子見るだけだって。担任の責任として」
「その理屈、絶対通用しないやつです」
三宅先生に諭されつつも、俺は結局その日の夕方、生徒たちが利用するカラオケ店の前を、偶然を装って通りかかることにした。
店の前まで来ると、ちょうど中から生徒たちが出てくるところだった。玲華、ミウ、ひなた、リリア、すみれ、千紘、乃愛、杏をはじめ、桜組のクラスメイトたちが、みんな楽しそうな表情で何やら盛り上がっている。
「先生!?」
最初に俺に気づいたのはミウだった。全員の視線が一斉にこちらへ向く。
「な、なんでここに」
「いや、たまたま通りかかっただけだって」
「絶対嘘です」
千紘が冷静に指摘してくる。
「この辺り、先生の家からも学校からも、方向的に全然通り道じゃないです」
「調べたのかよ」
「大体の予想です」
俺は言い訳を重ねようとしたが、生徒たちの視線があまりにも疑わしげで、結局は諦めるしかなかった。
「悪かった、様子気になっただけだ」
「先生、心配性すぎません?」
リリアが笑いながらそう言った。
「私たち、もう高二ですよ。カラオケとご飯くらい、問題なく楽しめます」
「そりゃそうだよな」
俺は苦笑いしながら頭をかいた。生徒たちは顔を見合わせて、くすくすと笑っている。
「でも、まあ」
千紘がふと真面目な顔になって言った。
「先生が心配してくれるの、悪い気はしないです」
「そうか」
「ただ、次からは変な尾行みたいなことはやめてください」
「尾行じゃねえよ」
「限りなく尾行です」
千紘の言葉に、周りの生徒たちがどっと笑い出した。
夕暮れの中、生徒たちはそのままファミレスへ向かうことになり、俺もなんとなくその流れに合流しかけた。しかしその瞬間、全員の視線が一斉に鋭くなった。
「先生」
「なんだ」
「ファミレスは別です」
「なんでだよ」
「カラオケの前まで来たのはギリギリ許すとして、そこから先まで来るのは完全にアウトです」
ミウがきっぱりと言い渡した。俺は少し落胆しながらも、これ以上食い下がるのも大人げないと思い、素直に引き下がることにした。
「わかったよ。楽しんでこい」
「はーい」
生徒たちは笑いながら、夕焼けの中を連れ立って歩いていった。俺はその後ろ姿を見送りながら、少し寂しいような、それでいてどこか安心するような、複雑な気持ちを抱いていた。
☆
週明け月曜日、教室で女子会の話題が飛び交う中、千紘がふと俺に声をかけてきた。
「先生、土曜日はすみませんでした。ちょっと言い過ぎたかもしれないです」
「いや、べつにいいよ。お前らの言い分、間違ってねえと思うし」
「そうですか?」
「教師が生徒の距離縮めようとするのも大事だけど、生徒同士だけの時間ってのも、それはそれで必要なんだろうな」
俺は素直にそう答えた。前任校で「距離が近すぎる」と注意された過去が、頭の片隅をよぎる。あの時は、それがなぜ問題なのか、正直よくわかっていなかった。
「先生は先生」
教室のあちこちで、生徒たちがそんな言葉を交わしているのが聞こえてくる。教師と生徒の間には、たとえどれだけ気安く話せる関係になったとしても、越えるべきではない一線がある。それを、この学校に来て初めて実感として理解できた気がした。




