朝の鍛練。
「ふーーーー」
深く息を吐き出しながら、剣を振り下ろす。
夫――言い慣れていないせいで、そう考えるだけでどこか気恥ずかしさがある――が寝ているのを横目に、何も言わずに外に出てきてしまったが、一応昨晩、朝の鍛錬は毎日行っていると伝えてあるので、大丈夫だろうと思うことにする。
右から左に横薙ぎに剣を振る。
私に剣術を教えてくれた、燃えるような赤い髪をした笑顔の爽やかで素敵な、程よく鍛え上げられた肉体を持つ冒険者の男は言っていた。
「――鍛錬とは自分自身との会話であり、自分自身を知ることだよ」と。
「――今この瞬間、自分の身体がどうなっているのか、どう動いているのか、どう動かそうとしているのかを、頭のてっぺんから足の爪の先まで、認識することが大事なんだ」
その言葉を思い返しながら剣を突き出す。
「――人間というのは、自分自身が今どうなっているのか、どう動いているのか、わかっているつもりでもほとんどわかっていないんだ。こう動きたいという意識と、実際の動きにはズレがある。それを極限まで減らす、可能ならばゼロにしたい」
下から上に剣を振り上げる。
「――そのために自分自身との向き合い、自分自身の意思、身体の全てと対話し理解する必要がある」
「ふーーーー」
身体を戻し呼吸を整える。
かつての教え、今日この時は全くできていないな。
なんなら、過去一番できていないかもしれない。
頭の中は自身の結婚についての事で溢れかえっていて、頭のてっぺんから足の爪の先どころか、腕の動きすらまともに把握できていない気さえする。
結婚相手、昨日の儀式、昨晩の託宣、新婚初夜、これから先の未来、頭の中でぐるぐると取り留めもなく浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返している。
「――女神様から託宣が下った。ラツハ、お前と異世界人が結婚し、一年間共に過ごすことで、加護の力を取り戻すことができると」
始まりは、そんな父の言葉。
「――えっと、一年間?」
「――ああ。一年間夫婦として過ごせば、その後は好きにしていいらしい」
「――うーん……。まあ、女神様のおっしゃることですし、それがこの村のためになるなら私は構わないですが」
実際、この村には十年くらい前からいくつか異変が起きており、私が結婚することで村の皆の生活が保てるのなら、それは悪い話ではない。
「――しかし、一年間とはいえ、異世界の方が私なんかと結婚してくれますか? そもそも、どこに異世界の方がいるのかもわからないのに」
異世界人――神同然の存在である異世界からの来訪者。
祝福と呼ばれる異世界人だけが持つ特殊な能力で世界の危機を救ったり、新たな生活様式、文化を広めたり、美味しい食べ物を生み出したりと、たくさんの変革をもたらしている。
そんな異世界人が仮に今この世界のどこかに居るとしても、私と結婚する理由など無いはず。
がさつ、男みたいな女、どっちが背中かわからない、なんて言葉を投げられるような女と結婚しようなんて男――ましてや異世界人がいるはずがない。
オーゴもキョーマもソーンも、一生結婚できないだの、お前を選ぶ男なんていないだの、ひらひらした服は似合わないだの、冒険者みたいな格好してるから良くないだの、好き勝手言いやがって。
そんなアイツらでも顔だけは良いって言うが、それで帳消しになるとか思うなよクソが。
――落ち着け私。
「――女神様がお連れしてくれる、らしい」
父ですら懐疑的な様子。
女神様の言葉を信じないわけではないが、それこそ異世界人となれば、女神様と同格――いや、むしろ上の存在かもしれず、女神様のことなど跳ね除けてしまうかもしれない。
結局、異世界人とは顔を合わすことはおろか、その存在の確認すらできないまま、誓いの儀を行う当日を迎えてしまった。
準備は進めてきたが、相手が現れない事態もあるなという雰囲気に包まれ始めてきた頃。
彼は現れた。――巨大な黒い竜の背に乗って。




