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「金食い虫」と呼ばれた偽物令嬢ですが、静かに下がるつもりはありません  作者: neene


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第6話 昼の席次表には、私の名前だけがなかった

 執務室の扉が閉まると、正門のざわめきは遠くなった。


 机の上には、南廊の棚から出した書付と分配帳が置かれている。

 公爵は椅子に座らず、窓際に立った。

 公爵夫人はその隣にいる。

 エドガー様は紙束を持ったまま、最後の一行を見ていた。


 クラウディア様は、三通の封書を机へ置いた。


 公爵家本邸。

 執事長気付。

 返送印。


 どれも同じ場所へ戻っている。


「執事長」


 公爵が言った。


「説明しろ」


 オズワルドは一礼した。


「私の手元には届いておりません」


「では、どこで戻った」


「郵送経路の問題かと」


「三通とも?」


 クラウディア様の声は低かった。


「偶然にしては、ずいぶん整っていますね」


 オズワルドは答えない。


 私は机の端に置かれた紙束を見た。

 部屋割り。

 従者差し替え。

 私物移送。

 悪評を先に固める文言。


 その下に、まだ開かれていない薄い紙が一枚あった。


 ほかの書付より新しい。

 折り目が浅く、端だけが固い。

 人に見せるために何度も開いた紙ではない。

 配る前の紙だ。


「それも見せてください」


 私が言うと、夫人の手が先に動いた。


「それは関係ありません」


 その一言で、関係があることは分かった。


 公爵が紙を取った。

 広げる。


 席次表だった。


 昼席。

 主卓。

 公爵。

 公爵夫人。

 エドガー様。

 クラウディア様。


 名前は整っていた。

 間隔も美しい。

 誰がどこへ座るか、迷う余地がない。


 私の名だけがなかった。


 消されていない。

 線も引かれていない。

 最初から書かれていない。


 私は席次表の脇にあった細い控えを引き寄せた。


 料理名ではない。

 配膳数の控えだ。


 主卓、九。

 控卓、三。

 別盆、一。


 その横に、小さく書かれている。


 南棟小客間 先


 名前がないだけではなかった。

 皿の行き先まで、先に決まっていた。


 クラウディア様が席次表と控えを覗き込んだ。


「これは、今日のものですか」


 夫人は少しだけ息を吸った。


「戻った娘を迎える席です。乱れがあっては困るでしょう」


「私が戻る前に」


「当然です」


「私が誰と話すかも、決めていたのですね」


「席は話し相手を決めるものではありません」


「では、何を決めるものですか」


 夫人は答えなかった。


 エドガー様が席次表を見た。


「リゼットの名がない」


「昼は、落ち着いてからでよいでしょう」


 夫人は言った。


「長旅の後です。クラウディアにも休ませたい。場を複雑にする必要はありません」


「複雑にしているのは」


 クラウディア様が言う。


「この表です」


 机の上で、返送された三通の封書が白く見えた。

 届かなかった手紙。

 先に整った部屋割り。

 名前のない席。

 南棟小客間へ先に回る盆。


 同じ手で置かれたもののように並んでいた。


「母上」


 クラウディア様は席次表から目を離さなかった。


「私はこの表を受け取りません」


「また、そのような」


「私の席があるのに、私が何も知らない。リゼット様の席がないのに、誰も消したとは言わない」


 夫人の目が冷えた。


「あなたは帰ったばかりです。家の運びを乱すものではありません」


「帰ったばかりだから、最初に見ます」


「何を」


「私の席の隣で、誰がいないことにされるのかを」


 部屋の中が静かになった。


 公爵が席次表を机へ戻す。


「書き直せ」


 短い命令だった。


 夫人が公爵を見る。


「あなた」


「書き直せ。名を抜いたまま昼席へ出すな」


「戻ったばかりのクラウディアに、余計な火種を見せるおつもりですか」


「もう見えている」


 公爵の声は重かった。


「見えているものを隠す方が火種になる」


 夫人は唇を閉じた。


 オズワルドが静かに新しい紙を取り出す。


「では、暫定で」


「暫定という言葉は便利ですね」


 クラウディア様が言った。


「あとで直すものほど、先に通りやすい」


 オズワルドの手が一瞬止まる。

 インク壺の縁で、筆先から黒い点が落ちた。


 新しい席次表が書かれていく。


 公爵。

 公爵夫人。

 クラウディア様。

 エドガー様。


 最後に、空いていた場所へ私の名を書く。


 筆が止まった。


 長くはない。

 けれど、その名前をそこへ置くことに、まだ重さが残っているのは見えた。


 リゼット。


 主卓の端。

 夫人から遠く、クラウディア様からも近くはない。

 居心地のいい席ではない。


 元の席次表より、ずっと居心地が悪そうだった。

 だが、その方がいい。


 誰にも見えない場所へ下げられるよりは、ましだった。


「これでよろしいですね」


 オズワルドが言った。


 クラウディア様は紙を見た。


「よろしい、とは言いません」


「では」


「見える場所にはなりました」


 公爵が頷いた。


「昼はこの表で出す」


 夫人は答えなかった。

 代わりに、扇を閉じる音がした。


 乾いた音だった。


 その音で、誰も納得していないことだけは分かった。


 マルタが席次表と配膳控えを受け取る。

 指は落ち着いていたが、紙の端を曲げないよう、いつもより少しだけ高く持っていた。


「昼席へ回します」


「頼む」


 公爵が言った。


 マルタが部屋を出る。


 その背を、夫人は追わなかった。

 オズワルドは筆を拭いている。

 エドガー様は私を見ず、クラウディア様もこちらを見なかった。


 それでよかった。


 誰かが味方になったわけではない。

 ただ、私の名が紙の上へ戻っただけだ。


「リゼット」


 公爵が言った。


「はい」


「昼席には出ろ」


「承知しました」


「ただし、帳面は持ち込むな」


 私は袖の内の分配帳に触れた。


「なぜですか」


「食卓は尋問の場ではない」


「では、席次表は」


「それも昼席へ回す。だが、分配帳と書付はここに置け」


 夫人の視線がわずかに上がった。


「消されると困ります」


 私が言うと、公爵は机上を指した。


「私の前に置く」


 私は帳面と書付を出した。

 紙が机に触れる音は、思ったより軽かった。


「これでよいな」


「はい」


 よい、とは思わなかった。

 ただ、持ち込めないことは決まった。


 クラウディア様が封書をまとめる。


「私の手紙は」


「それも置け」


 公爵が言う。


「父上の前に?」


「そうだ」


 彼女は一拍置いて、三通を机へ置いた。

 戻ってきた封書の角が、分配帳の隣に並ぶ。


 見つけたものは机に残る。

 昼席へ持っていくのは、名前だけだ。


 執務室を出ると、廊下の空気が少しぬるくなっていた。


 昼席まで、まだ少しある。


 私は一度、部屋へ戻ることにした。

 手を空にして主卓へ出るために。


 紙に戻った名前が、皿の上まで届くかは別だった。

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