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「金食い虫」と呼ばれた偽物令嬢ですが、静かに下がるつもりはありません  作者: neene


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第5話 私はあなたを庇いに戻ったわけではありません

 本物のお嬢様は、母ではなく、私の袖を先に見た。


 正門前の石畳には、朝の冷えが残っていた。

 濃紺の馬車の扉が開き、先に降りた年配の女が脇へ退く。続いて現れた若い女は、旅埃のついた外套の裾を払わず、その場に立つ人たちを見た。


 公爵。

 公爵夫人。

 エドガー様。

 執事長。

 そして、袖の内に帳面と書付を隠している私。


 その視線が、私の手元で止まった。


「あなたが、リゼット様ですね」


「そう呼ばれておりました」


 彼女はすぐには次を言わなかった。


 短い間だった。

 母親へ駆け寄るより、場の歪みを測る方を選んだ沈黙だった。


「その紙」


 やがて彼女は言った。


「私に関わるものですか」


「かなり」


「見せてください」


「嫌です」


 彼女の眉が少しだけ動いた。


「理由を伺っても?」


「あなたが本物だからです」


「……」


「本物のお嬢様が戻った。その一言で私を静かに下げる準備が、今朝見つかったところです」


「なるほど」


 彼女は言った。


「では、私がその仕上げに来たように見えているのですね」


「見えています」


「そうでしょうね」


 そこで、公爵夫人が声を上げた。


「クラウディア、こちらへいらっしゃい。長旅で疲れたでしょう」


「ええ」


 娘は視線を動かさないまま答えた。


「ですから、先に確認します」


 それから、ようやく母親を見た。


「私の手紙が三通とも届かなかった理由を」


 公爵の眉がわずかに動く。


「三通?」


「はい」


 彼女は外套の内から封を三つ取り出した。

 どれも未開封。

 表には、公爵家本邸、執事長気付。

 返送印だけが新しく重い。


「宛先不備で戻りました」


 彼女は言った。


「三通とも」


「そんなはずは」


 公爵が言う。


「公爵家本邸に、執事長気付で?」


「ええ」


 門前の空気が張った。


 馬車から降りた年配の女が一歩前へ出た。


「王都護送院、監督補佐アデルと申します」


 よく通る声だった。


「クラウディア様の身元確認と帰還記録は、当院で既に済んでおります。手紙不達の件についても相談を受け、同行しております」


 公的な記録が入っている。

 夫人の指先が、袖の中で小さく動いた。


「執事長」


 クラウディア様が言う。


「私の手紙は、どこで止まりましたか」


「存じません」


 オズワルドは答えた。


「受け取っておりませんので」


「受け取っていないなら、なぜ部屋替えが先に整っているのです」


「……」


「会ったこともないのに」


 夫人の肩が揺れた。

 エドガー様が母親を見た。

 私は、紙束の角が指に食い込むのを感じた。握りすぎている。


「見せていただけますか」


 クラウディア様が、もう一度私へ言った。


「その紙を」


「先に一つ」


 私は言った。


「あなたは、私を庇いに来たのですか」


「いいえ」


 彼女は即答した。


「私はあなたを庇いに戻ったわけではありません」


「そうですか」


「私が欲しいのは、私の席です」


「当然でしょう」


「ただし」


 そこで彼女は言葉を切った。

 視線が一度だけ公爵へ流れ、すぐ戻る。


「嘘の上に置かれた席に、そのまま座る気もありません」


「……」


「だから、その紙が私の席の話なら、見なければ困ります」


 喉の奥が乾いた。


 都合のいい味方ではない。

 胸の奥が、ほんの少しだけ緩んだ。

 不都合な反応だったので、私は見なかったことにした。


「助けを求めたつもりはありません」


 私は答えた。


「ただ、あなたの帰還を使って私を静かに下げるつもりだったようなので」


「ええ」


「そこが気に入らないだけです」


「少なくとも、今は私もです」


 私は袖の内から、帳面ではなく書付の方を抜いた。


 部屋割り。

 従者二名の差し替え。

 私の私物の別棟移送。

 最後に一行。


 先に印象を固めておけば、あちらは静かに下がる


 私はその紙を彼女へ渡した。


 クラウディア様は受け取り、すぐには開かなかった。

 親指が紙の端を一度だけなぞる。

 それから目を落とし、最後まで読んで、息を吐いた。


「……帰還後ではなく、帰還前から」


「ええ」


 私は答えた。


「私を下げる順番が、先に決まっていました」


「母上」


 彼女は紙から目を上げた。


「これは、あなたの指示ですか」


「誤解よ」


 夫人が言う。


「帰ってくる娘のために、混乱を避けたかっただけで」


「混乱」


 クラウディア様が繰り返す。


「私が誰と話し、どこへ座り、何を知るかを、先に決めておくことが?」


「あなたは分かっていないわ。この家には順番が」


「分かっています」


 彼女は言った。


「だから聞いています。私の席を整えたかったのですか」


 一拍置く。


「それとも、リゼット様を先に消したかったのですか」


 夫人は答えなかった。


 その沈黙を破ったのは、エドガー様だった。


「その紙を、俺にも見せてくれ」


 クラウディア様はすぐには渡さなかった。

 短く、私を見る。


 私は何も言わなかった。


 彼女は紙を折り直し、今度はエドガー様へ差し出す。


 彼は読み、最後の一行で視線を止めた。


「……“静かに下がる”」


 低い声だった。


「俺の婚約整理も、部屋替えも、全部その前提で?」


「エドガー」


 夫人が言う。


「これは家のためで」


「俺の知らないところで?」


 彼が母親を見る。


「俺の婚約だ」


「だからこそよ。あなたは甘いから」


「……」


「本物が戻るのに、いつまでも曖昧なままでは困るでしょう」


 そこで、形が見えた。


「父上」


 クラウディア様が公爵を見た。


「執務室を開けてください」


「なぜだ」


「私の手紙の件、部屋替えの件、悪評の件。全部を同じ場で聞きたいからです」


「……」


「それと」


 彼女は紙を持つ指に少しだけ力を入れた。


「この家で、私の席が誰の都合で整えられていたのかを、先に知りたい」


 公爵は長く息を吐いた。


「分かった」


 短い返答だった。


「全員、執務室へ来い」


 そして私へ視線を向ける。


「リゼット」


「はい」


「他にも持っているな」


「分配帳があります」


「持て」


「はい」


 私は袖の内の帳面を握り直した。


「一つ」


 クラウディア様が私に言った。


「まだ、あなたを信じてはいません」


「こちらもです」


「でしょうね」


 彼女はうなずく。


「でも、いま母上に都合のいい順番だけは嫌です」


「そこは一致しています」


「では午前中だけ」


「午前中だけです」


「結構です」


 門前に残された朝の冷気が、袖口に入っていた。

 私は分配帳を袖の内へ押し込み、先に歩き出したクラウディア様の半歩後ろをついていった。

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