386 野牛の入城
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「シューター、不味い事になったぜ。降りはじめた雪がいつまで経っても収まる気配がねぇ。このままじゃ早晩、街道の路面が凍結するか雪に埋もれて往来が難しくなる」
雁木マリに送る文を作成するため、俺とッヨイさまで協議をしていたところ。
とても難しい顔をしたニシカさんが眼帯をいじりながら執務室へ入出してきたのである。
扉のすぐ側には会話の内容に遠慮してか、ひと払いのため警備に立っていたけもみみが控えている。
「今から伝令に走れば、まだ間に合いますかね」
「それは可能だが、これより遅くなればたぶん舟を使わないと厳しいぜ。そうなった場合は悪いがオレ様はあまり役に立たねえ。そこから先、街道で強行突破を図るなら、それこそ馬術に長けた人間じゃないと厳しいだろうな」
アッサリと両手を広げてお手上げポーズを取って見せるニシカさんだ。
そうするとチュニックの上からでもよくわかる豊かな胸が激しく暴れた。
ドッヂボールをもってしても雪の路面を走るのは難しいのか。
特にニシカさんは船酔いが激しい事で知られる奥さんなので、舟でゴルゴライを目指すのは自分で役立たずだと白状しているわけである。
書きかけの手紙については問題ない。
伝えるべき大筋の内容はッヨイさまと詰めた後だったので、この土地の文字で下書きした内容を、俺が日本語で清書すれば終わりの問題だ。
「これは急いだ方がよさそうですねッヨイさま」
「はいどれぇ、ニシカさんは少し待っていてほしいのです。どれぇが今から清書に取りかかるので、ただちにお届けしてもらいたいのです」
「おういいぜ、今すぐに出るのならオレ様も役には立てるからな。これより後だとけもみみか、黒いのに頼むしかねえと考えていたところだ」
ようじょと頷き合った俺は、手文庫を引き寄せて羊皮紙に文章を書きはじめた。
新たな城下がアレクサンドロシアグラードと命名された事にはじまり、その市中で正妃の関係者と接触を持った事。
問題はその正妃が領主奥さんに庇護を求めている事実と、すでに彼女が辺境地域に滞在中である点。
領主奥さんは庇護を受け入れる決意をしているが、そのためには盟主連合軍の協力と結束が必要不可欠である旨は文章を割いて説明した。
彼女を受け入れるという事はテールオン妃に対抗して派閥の後ろ盾になるという事だ。
何らかの正統性を無しにして、国王の子を身籠ったオレンジハゲの娘と対立し勝利する事は難しい。
そこで、雁木マリから何かアドバイスがあるならぜひ助言をもらいたい。
現在の国王を廃位して、正妃と王族をくっつけて新たな王室を盛り立てるという方法は可能かどうか。
この辺りの事を手紙にまとめると、羊皮紙二枚にわたる大長編になってしまった。
「ッヨイさまの記した下書きは、念のために燃やしてしまいましょう」
「それがいいのです」
「エルパコ、悪いが手紙のインクを乾かしたい。そこの箱に入った砂を持ってきてくれないか?」
ずっと扉の前でぼけーっとしていたけもみみに声をかける。
するとエルパコは驚いた顔をしていたが、どのみち俺たちの相談する会話はけもみみに丸聞こえだったはずだ。
口の堅い忠義の塊みたいなけもみみ奥さんだから、今さら誰に漏らすと警戒するのも馬鹿らしいのだ。
「はいシューターさん。ぼく誰にもこの事は言わないよ」
「やっぱり聞こえていたか。あまり外に聞かれて良い話じゃないしな」
「新しい奥さんが増えるんだから、当然だね」
「「「?!」」」
サラリとそんな事を口にするけもみみである。
お茶を飲もうとしていたようじょは吹き出しそうになるし、俺も受け取った砂箱の中身をまき散らしそうになった。
ニシカさんに至っては途中で話題に合流したので、どれだけ耳が良くても話の筋が見えなくてびっくら仰天の有様だ。
「な、何だ相棒。新しい縁談の密議をやっていたのか?!」
「それは大筋で間違ってはいないんだが、けもみみは何か肝心なところで勘違いしているぞ!」
「べっ別にオレ様は今さら相棒に嫁が何人増えたところで驚きゃしねえがなっ」
ニコニコ顔のけもみみと対照的に、ニシカさんは侮蔑の表情を俺に向けていた。
違う本当にそうじゃないんだ。正妃さまと誰か適当な王族か何かを結婚させようとは話していたが、第一俺は王族でも何でもないんだから無理な相談だよ!
ゴルゴライへの急な伝令のため、ニシカさんはただちに支度に取りかかった。
使う馬はミノタウロス産の、特に雪に強いものを野牛の兵士を捕まえて用意してもらった。手紙は濡れない様に懐にしっかりと収めてもらう。
それから吹雪の中でも走破可能な様に、特注の獣皮でできた防寒具に身を包めば完成だ。
いかな爆乳のニシカさんであっても、外套を身に付ければ着膨れして、おっぱいの凹凸はよくわからなくなった。
「急ぐ必要はあるが、無理をして風邪を引いたり遭難したら無意味だからな」
「オレ様を誰だと思っているんだ、猟師は引き際をわきまえてるってもんだぜ。それにお前ぇの役に立てるなら、このぐらいの事は何てこたぁねえ」
頼もしいニシカさんは目深にフードを被りながら白い歯を見せてくれた。
城館の脇にある厩でそのまましばし抱き合うと、ニシカさんが意外にも唇を重ねてきた。
白い息を互いに吐きながら舌を絡め合うと妙に淫靡な気分になってしまう。
「ふふっ、こっから先はお預けだぜ。ガンギマリーに自慢してやるからよ」
家族の誰に見送られるでもなく、密かに城館の門を潜り抜けたニシカさんは一路早馬を走らせてゴルゴライへと向かった。
◆
さて、ニシカさんを送り出して本館の大広間まで戻ってきた俺は、そこであわただしく働き回る使用人たちに遭遇した。
何やら長いテーブルにイスが運び込まれてきて、そこに清潔なシーツを被せて回っている。
ちょうど燭台がたくさん台車に載せられて運び込まれてくるところだったが、その差配を仕切っていたのはどうやらタンヌダルクちゃんだったらしい。
「おや旦那さまあ、ちょうどいいところに顔を出してくださいました」
「これからパーティーでもはじめるみたいな準備じゃないか。タンクロードバンダムさんが帰還するのか?」
「そうなんですよう。先ほど早馬が着まして、今サルワタで小休止を取っているところだそうですよう。うふふ、兄さんはローストビーフが大好きなので、今夜は張り切って料理をするんですよ!」
義兄タンクロードバンダムは正月の祝賀までに、補充兵の交代要員と入れ替わって本拠地への帰還を予定していた。
サルワタから知らせが届いたという事は、無事に軍勢の交代を済ませたという事だろう。イジリー方面も今のところは戦闘が小康状態で問題が無いという意味だ。
たぶん街道のどこかでニシカさんの伝令とすれ違ったのに違いない。
「でも旦那さまには先に謝っておかなければなりませんよう」
「?」
「ドロシアさまが、今日は兄さんの無事を祝う祝賀だから、上座の席はドロシアさまと兄さんで並ぶ事になりそうです」
「いいんじゃないかな。タンクロードさんは一軍の将として大車輪の活躍だったんだから、俺たち家族は祝う側でいいのさ」
「うふふ、旦那さまならそう言って下さると思いました」
ここがドロシアさまの席で、隣が兄さんの席。ドロシアさまの次から旦那さま、義姉さん、わたしと続きます。
反対側は野牛の指揮官が並んで座る事になりますけど、コンコースに収まりきるか不安ですよう。
タンヌダルクちゃんは俺の腕に手を回して会場内を説明してくれながら、思案しつつそんな事を口にしていた。
「ああそこ。そこは支族の中でも遠縁なので、もっと序列の低い場所でいいです!」
「へいわかりましたお嬢。お前たち、名札の位置を交換しろ」
参加人数も多いから、名前を憶えやすい様に席毎に名札が置かれるのか。
俺が参加したリンドルの晩餐会や盟主連合軍の夜会などでは、貴族の意地にかけてなのか絶対にそういう事はやらなかった。
きっとお貴族さまという生き物は、顔と名前を即座に一致させるスキルが必須なのだろうね。
こうして着々と晩餐の用意が出来上がったところで、改めて族長率いる復員の野牛兵士たちがアレクサンドロシアグラードに入城した事を知らせる伝令が走り込んで来た。
その頃には雪の降り具合も酷いものになっていたらしい。
紅のマントを重く濡らしたタンクロードさんが、城門を潜り抜けて軍馬を降りると「兄さん!」と叫びを上げたタンヌダルクちゃんと強く抱きしめ合っていた。
「兄妹愛というものだの。お兄ちゃんは嫉妬せんのか、ん?」
「嫉妬したのはいいけれど、また余興にパンツレスリングをさせられたらたまりませんからねえ。雁木マリもいない事だし、怪我をしたら治りが遅くて大変だ」
隣に立って野牛の兵士たちを出迎えるアレクサンドロシアちゃんは、手を叩いて歓待の姿をしながらもぐっと俺に身を寄せて言葉を続けた。
「先ほどマリアツンデレジア卿と話をした」
「例の庇護の件か……」
「ああそうだ、残念ながら御台にもツテのある王族は特段おらんそうだ。父であるピモシー卿の伝手を使えば不可能ではないらしいが、あそこの親子関係は冷え切っておるな」
「子供の頃にほとんど政治の道具にされたのだから、それもしょうがないだろう」
「聞いておるぞ。そなた御台は一度は娶った嫁だから、実家に送り返すなどまかりならんと激怒していたそうではないか。カラメルネーゼの姿が一向に見えんと思えば、果たし状でも送らせたか。あっはっは」
「笑い事じゃないよ!」
ここは最果て過ぎて情報がまるで集まらないんだ。
その事はジレンマとして俺やアレクサンドロシアちゃんには存在している。
基本的に領地経営の半分を俺に預けている領主奥さんは、自分が苦手としている情報関連の収集を俺に一任している節があった。
激情家で同じ情報を重視しているとは言っても、彼女は直接的に耳に届けられるそれを判断材料にしているので、裏口の諜報活動めいたものは非常に下手なのだ。
その事を理解しているからだろう。
男色男爵が彼女の性格を危惧して寄こした愛人奴隷・男装の麗人と傭兵隊のみなさん、それにマイサンドラやカラメルネーゼさんを使って俺が独自の情報網を構築しようとしている件を、基本的に黙認しているのだ。
「だが、わらわは本質的にコソコソとやるのは好かん」
「知っているよ、正々堂々が大好きだからねうちの領主奥さんは。自分が妊娠した時の事以外は」
「まだその事を根に持っているのかお兄ちゃんは……」
そういうお兄ちゃんこそ、コソコソするのは大好きであろう。ん?
ふうと吐息がかかる距離で耳元にささやかれたものだから、俺はたまらずしかめ面をした。
それも当然だ。
領主さまの命令で勇敢に戦い帰還した兵士たちを迎え入れる儀礼の最中に、ふにゃけ顔をしている場合ではない。
兄妹の抱擁を済ませたタンクロードバンダムが、豪華な甲冑をきしませながらこちらに向かってくる姿を見て、俺はあわてて表情を取り繕うのだ。
「おお! 領主よ、兄弟よ。わざわざ俺と部下のために出迎えに来てくれたのか」
「わが兵士らの帰還を迎えるのは支配者として当然の務めである。その方ら、わが義息子を助けよくぞ無事に帰還したものだ」
大手を広げて歓待のポーズを俺の隣でとって見せる領主奥さんである。
すると恭しく野牛の族長と幹部兵士たちが、居並んで貴人に対する礼のために片膝をつくではないか。
「おう、我が領主どのよ。若大将はイジリーにて問題なく冬季作戦を遂行中だ。新たな支配地の統治も今のところ問題なく行っているぞ」
「さあさあ。こんなところで立ち話も何ですから、兄さんもドロシアさまも旦那さまも、中に入りましょう」
「うむそうだな、では参ろうかタンクロードよ……」
タンヌダルクちゃんに促されて一同がコンコースへと吸い込まれてゆく。
俺も野牛奥さんとともに兵士たちの最後列に続いた。
きっと中ではカサンドラや他の奥さんたちが温かな料理を準備して待っている事だろう。
そしてアレクサンドロシアグラードの街では重装甲冑の野牛兵士たちがサルワタ通りを行軍する姿を見て、驚いた事だろうね。




