385 ガータベルトフォンギースラ正妃の思惑
サルワタ貴族の文官筆頭にあたるッヨイさまは、ここグラードに帰還してからもほとんど休みなく忙しそうに動き回っていた。
今も主計官奴隷のモエキーおねえさんと手分けして、先日から登用のはじまった難民や奴隷の役人候補たちに、資料作成のやり方を説明していたところだった様だ。
「ッヨイにきんきゅーのおはなしですか?」
「そうですッヨイさま。少々お時間を頂ければ幸いです」
「わかりました。モエキーねえさまに後の事はお任せするので、ちょっとどれぇとお話をしてくるのです」
いってらっしゃいませご主人さま。いってらっしゃいませ養女さま。
モエキーおねえさんが貴人に対する礼を深々と取って見せると、本館の事務室で作業していた役人候補のみなさんがあわててそれに倣う。
ヒラヒラと手を振りながらその場を退出すると、俺たちは別館との間にかかっている渡し橋の方に歩みを進めた。
「新しい役人候補は使いものになりそうですか?」
「あそこで作業をしているのは読み書きのできる人間なのです。このぶんだと帳簿をつくる作業も捗りそうだょ」
「じゃあ結構な人数、読み書きのできる人間が揃ったって事だな。何よりじゃないですか」
「はいどれぇ! おりこうさん役人が一杯揃ったのですっ」
手をつないだようじょとそんな会話をしつつ、その後はふたりとも無言になって俺の私室までやって来た。
行きがけに何も質問をしなかったのは、きっとッヨイさまもこの後に話し合う内容が重要なものであるという理解があったからだろう。
全裸の女奴隷を捕まえて、お茶を淹れた後はしばらくひと払いをする様に命じてから扉を閉じると、
「内政ですか、外交ですか?」
ティーカップを両手に持ったようじょが、向き直った俺に向かってさっそく斬り込んで来た。
おりこうさんようじょのッヨイさまにはもしかするとある程度の察しがついていたのかも知れない。
「ひとまず外交ですねッヨイさま。王都中央から俺をご指名で先ほど接触がありました。相手は大物ですよ」
「だれなのです?」
「……ガータベルトフォンギースラー、国王陛下の正妃さまと言えばおわかりでしょうか」
「…………」
最初は名前の意味がすぐに理解できなかったのだろう。
ぽかんと口を開きながら小首をかしげていたが、正妃というフレーズを聞くに及んでようじょは凍り付いた。
そのまま俺が差し出した紙片の表に指輪印証の蝋印があるのを見つけると、ぽつりと小さな声を漏らしたのである。
「これはオルヴィアンヌ王家の紋章なのです。もしこれが勝手に偽造したものだった場合は、一族郎党みなごろしにされてしまうのです……」
ティーカップを置いて紙片の中身を確認しはじめたようじょは、そこでもまた絶句した様子だった。
書かれているのは日本語なので、ッヨイさまは当然読む事ができない。だが俺がメモ書きをする時に日本語を散々使っているので、文字を見た時にハっと俺の方を見上げたのだ。
「どれぇ」
「ご明察通りその文字は俺たちの故郷で使われていたもので、そこにはこう書かれています」
もしも、女神様の守護聖人たる全裸さまがこの文をお読みになる事ができれば、どうかわたしに救いの手を差し伸べて下さい。頼れる者も無く途方に暮れております。陛下の御許に帰還できるその日まで庇護していただければ幸甚です。
「ッヨイさまの反応を見ていると、この文字が王国のお貴族さまたちの間で使われているなんて事はないんですよね?」
「ありません。ッヨイもガンギマリーが使っているのをちょっと見ただけで、書いている事はわかりませんでした。けど古い修道会派では勉強されていたかもしれないのです」
しかし今重要なのはその事ではない。
俺の口にした言葉を反芻しながらじっと紙片に視線を落としていたようじょは、むつかしい顔をしてウンウンとしばらく悩んでいたのである。
「手紙をどれぇにお届けしたのは、ガーターベルト正妃さまの部下のひとですよね?」
「この辺りでは珍しい白色エルフの少女でしたよ。スリに変装してカサンドラとお忍びで城下を視察している最中に、俺だけ釣り出された格好です」
「近くにガーターベルト正妃さまはいるという事なのです。救いの手を差し伸べて欲しいと言いながら、これは脅迫しているのも同然だょ」
どういう事ですかッヨイさま。
その質問を投げかけるよりも早く、椅子から立ち上がったようじょは俺を見上げながらこう言葉を続けるのだ。
「もしどれぇやドロシアねぇさまがこの事を拒否したとしてもです」
「はい……」
「すでにサルワタ領邦の近くまで来ているという事は、はじめからサルワタ領邦を頼ってガーターベルト正妃さまは辺境までやって来たという事になります。頼る相手がもういないという事はそういう意味なのです。だったら拒否をされた時点で、何らかの方法を使って関所を突破してこちらの領内に入ってくる事が考えられるっ」
「……確かに」
相手は国王陛下の正妃さまだから、まかり間違っても俺たちにぞんざいな扱いなどできるはずもない。
しかも拒否しても入り込まれた場合は、強制退去を願うにも領内に侵入された時点で、王都中央に対して言い逃れが出来ない可能性すらある。
「正妃さまは、ご自身の暗殺を警戒してここまで落ち延びてきたという事でしょうか」
「それも考えられるのです。あるいはブルカ伯と戦うドロシアねぇさまの勇名を耳にして、ガータベルト正妃さまが今一番飛ぶ鳥を落とす勢いがあるドロシアねぇさまを頼ろうと考え付いたのかも知れないょ」
「王都から正妃さまの身柄を引き渡す様に命じられた時点で、これはもうアレクサンドロシアちゃんの取れる手段が無いじゃないか」
ただでさえ春には出頭命令が出されると宮廷で噂されている領主奥さんだ。
ここで正妃さまを匿っている事がバレでもしたら、そのまま逆賊の罪状を叩きつけられる事になりかねない。
そのまま召喚命令を無視でもしたら、それはそれで反逆罪に問われる気がするぜ。
追い詰められたガータベルトフォンギースラ正妃の思惑に、俺たちは見事に翻弄されている。
これが宮廷政治の中で権力闘争をしてきた人間の手段だとしたら、恐ろしい限りだ。
「つまり俺たちにできる手立ては、正妃さまに既成事実を作らせないために彼女を何としても領内に入れない事か。そんな事が実際に出来るんですかねぇ。いやできるかできないかじゃなく、やるしかないか」
「ガンギマリーに急ぎその事を伝える必要があるのです」
「大事を取って俺の故郷の文字で手紙を書き、それをニシカさんに託す手配をしています」
「さすがどれぇはおりこうさんどれぇなのです」
その前に事が大きな問題だけに、アレクサンドロシアちゃんにはしっかりと報告しておこうという事で俺とッヨイさまは意見の一致を見た。
◆
「ガーターベルトフォンギースラーさまか。その様な懐かしいお名前をお兄ちゃんパパの口から耳にする事になるとは、思いもせなんだ」
ブリトニーの育児部屋での事だ。
一旦は日常の業務に戻っていったようじょの代わりに、領主奥さんを捕まえて事の次第を説明する事になった。
「はあ、アレクサンドロシアちゃんは正妃さまとは親しかったのですかね?」
「わらわも若い頃合いには、貴族軍人として後宮に詰めていたのだからな。当然、王族のみなさまとは顔を合わせる事もあるだろうし、同性ともなれば親しくご相談を頂く事もあったわ」
「ダァ!」
「あの頃はわらわも若かったが、正妃も成人を迎えたばかりのお子様であった。姉の様に慕われていたのだ」
フフンと思い出を脳裏に浮かべながらブリトニーをあやしていたアレクサンドロシアちゃんである。
王族を前にしても、今の様に堂々たる態度で答弁をしている、若かりし頃の領主奥さんを連想して何のこっちゃという気分になった。
「ッヨイハディは何と申しておった」
「領内に入れたら最後で、宮廷に対して言い逃れができなくなると言っていましたね……」
「つまり正妃を迎え入れるのは反対の立場と言うわけだな。お兄ちゃんはどう思う、あれは中々の器量よしだから、お兄ちゃんの相手をさせれば大層喜ぶだろうの。くっくっく」
「めっそうもないご冗談を」
王都の官僚にでも聞かれれば不敬罪にブチ殺されてしまいそうな冗談である。
市中引き回しの上、磔獄門ボーイだな。
いやその様な軽口を領主奥さんが述べたという事は、すでに彼女の中で腹に決まった回答が用意されているという事だろうか。
あかちゃんをあやしながらアレクサンドロシアちゃんは片眉を器用に持ち上げて俺の言葉を待っていた。
「……まさか自主独立の決心はすでにしたのだから、この上は逆賊の汚名なんて些細な事だとか言わないだろうな」
「ほう、お兄ちゃんはその様に判断したか。わらわもその意見にはすこぶる同意であるから、ッヨイハディには正妃を受け入れる準備を整えろと、その様に伝えるのだ」
「?!」
何を言っているのだアレクサンドロシアちゃんは!
そんな事をすれば盟主連合軍の同盟関係に結束の亀裂が入るかも知れない。
ブルカ伯の専横を快く思わない辺境領主ならばいたかも知れないが、まさか王国に反旗を翻す決意を持った人間は少ないだろう。
有力諸侯のひとりであるオッペンハーゲン男爵のドラコフ卿にしたところで、自分がブルカ伯に成り代わって辺境伯の爵位を拝受するのが最大目標だ。
「正気で言っているのかアレクサンドロシアちゃんママは」
「どのみち悪手の結果になるのならば、最悪を想定して動いた方がいいだろう。もちろん最善を尽くしてもらうのは、わらわの伴侶たるシューターの務めであろうの。ブリトニー、お兄ちゃんパパに奮励努力を期待するとひと言申せ」
「ばぶー!」
領主奥さんはすこぶる本気だったのだ。
むかし読んだモノの本によれば、通達された命令を実現するためには次の様な要点を注意して行動せよと書かれていた。
「奥さん、計画の背景がどういうもので、達成すべき目標が何なのかを決める必要があるぞ」
「ふむ、どういう事かの」
「そうしてやるべき方法論の優先順位を付けて、取捨選択をする。この計画は駄目だと判断する基準も用意しておくべきだろう」
ズルズルと無理をして続けても無駄な出血を強いるばかりだからな。
そしてこれに照らし合わせれば……
「俺たちは何をするために今戦っているのか?」
「それはサルワタ領邦の最終的な自主独立を保持する事である」
「では、そのために何をする必要があるのか。教えてくれ」
「ブルカ辺境伯の打倒を挫き、その上で王国から領邦としての自治権を獲得する事だろうの」
面白そうな顔をして俺の質問にアレクサンドロシアちゃんが朗々と答えてくれた。
「何もかも得ようとするのでは失敗する、優先順位を決めるべきだ」
「ふむ、取捨選択というわけか」
「これは俺に言わせてくれ、絶対に死守すべきは家族の命。その上で可能ならば支配域の拡大と安定化、それから盟主連合軍とウィン=ウィンの関係を維持できる事かな」
「お兄ちゃんらしいとは言えるが、それ以外の犠牲は眼をつむるというわけか」」
では計画の中止を判断するのはどのタイミングか。
「奥さんや子供に重大な危険が迫る様な事になる行為は絶対にするべきではない。つまりその様な計画は絶対に反対するべきだ」
「お兄ちゃん。その様なぬるい考えでは、どうやっても宮廷貴族と辺境貴族の両方を納得させて、かつわらわたちが自主独立をする方法は見つからないぞ」
いや、領主奥さんは難しい顔をしているが諦めたらそこでこの戦争は負けだ。
自主独立の定義は、大幅な自治権を認められた領邦という位置づけか、独立王国を新たに打ち立てる方向か、はっきりさせておくべきだ。
「可能であればお兄ちゃんとわらわの王国だが、そんなものは形式にすぎぬ。自治権の与えられた領邦であれば文句などは言わぬ」
「その上で正妃さまの扱いをどうするかだ。ただ俺たちが匿っているだけでは火種になるだけだから、何かの理由付けをして、俺たちの自主独立にとって利用できる形にすればいいんだが」
「あのオレンジハゲの娘テールオン妃の派閥を政争で打ち破り、正妃を勝たせればよい。そうしれば後ろ盾となったわらわたちは、正妃派の有力諸侯として大幅な自治権を獲得できる正当な理由を得る事にになるだろうの」
ブリトニーまで一緒になってむつかしい顔をしている。
こらこら。小さいうちからそんな眉間に眉を寄せていたら、パパやママの齢になる頃にはしわくちゃになってしまいますよ!
「それならば盟主連合軍も国王さまの家臣という立場がしっかりと保証されるから、説得次第で協力をしてもらえる事になる」
「今の国王はこの様なお家騒動の体たらくであるから、王たる者の威信に欠けるところがある。何事も順番が大切だという当たり前の道理を無視した結果だの。お兄ちゃんパパ?」
カサンドラより先にブリトニーを授かった領主奥さんが、しれっとした顔でそんな事を口走るではないか。
いやしかし今は言うまい。
お家騒動の発端を作った国王は、無駄に国民に騒乱をもたらしたのだから当然だ。
「最優先すべきは家族の安全だ。この子を守るために最悪は新たに獲得した領土のほとんどを放棄する可能性もあるが、アレクサンドロシアちゃんはそれも覚悟はできている?」
「当然だ。敗北は兵家の常であるから負ける事もあるだろうし、サルワタさえ残ればまた一からやり直せばよい」
「最悪の時はミノタウロスの居留地に逃げ込んで、再起を図りますか」
「その時は獲得した全ての領土で焦土戦を強いてやるさ。そうすれば向こう百年は辺境で再開拓をするハメになる。これがわらわの覚悟だ」
「……わかった」
優先順位と撤退限度についても理解した。
だがまだパズルのピースが全て埋まった様な感覚には程遠い。
「王都から夜逃げ同然に落ち延びてきたガータベルトフォンギースラーさまに、誰もが納得する正統性を付与するものが足りないなぁ……」
「むうう、それが思い浮かべればこの計画は上手くいく目算が立つのだが」
「国王が死んでしまう以外に、誰か別の王様を立てるという事が可能だったらな……」
誰かガーターベルトフォンギースラー王妃と適当な王族を結婚させて、王統を並べてみるとかぐらいしか思い浮かばない。
「廃位を行うという事か。過去にこの国の歴史でそう言った事例がなかったわけではないが。そんな適当な王族を探し出すのはむつかしいぞ」
何しろ俺たちの意を汲んで、かつ緻密に連携の取れる王族でなければならない。
そもそも王都中央での権力闘争を嫌って辺境に嫁いできた様な領主奥さんには、そういう知り合いがそもそも居ないのだ。
「お兄ちゃん、もしかして全裸を貴ぶ王族だったりしないか」
「しませんねえ。王族じゃなくて裸族ですから……」
「一字違いでもえらい違いだ。あっはっは」
「シーッ」
気が付けばカールブリタニアはおねむになって眼をショボショボとさせていた。
俺が抱きかかえて揺り籠に入れてやると、毛布を被せた処でそのままスヤスヤしはじめるではないか。
「続きはまた後程の事としよう。あかちゃんには睡眠が大事だ」
「ッヨイハディも呼んで話を詰めねばならん。どこかにわらわとお兄ちゃんの傀儡となりえる王族はおらぬものか。マリアツンデレジア卿にも相談した方がよいか……」
おやすみブリトニー。
俺のベイビーに心の中でそう伝えると、領主奥さんとふたりで静かに育児室の扉を閉めたのだ。
求む、都合の良い王族(´ー`)




