閑話 続・ニシカ夫人の恋人
「この信書は確かに受け取った。現在の王都中央は門閥による政争の絶えぬ場所ではあるが、必ず俺が身命を賭してしかるべき宮中の有力者にこれを届ける事を誓おう」
応接室で早退したワッキン騎士さまは、オレに対して深々と頭を下げるとそうやって書簡を懐に納めた。
今度はあべこべに、別の書簡をこちらに差し出してくる。何が書いてあるのか知らねえが、ブルカ政変の顛末をワッキン騎士さまが知る限り纏めておいたものだそうだぜ。
「アレクサンドロシア卿は恐らく情報収集に苦慮されている事だろう。必ずこの情報が役立つだろうから、よろしくお伝えくださると助かる」
「ああ、任せておきな。そっちもよろしく頼むぜ」
快くオレ様は了承すると、羊皮紙の巻物を手に取って胸元に仕舞い込む。
するとゴブリンのスピード野郎もワッキン騎士さまも、サっと視線を逸らしやがるじゃねえか。
田舎娘のビビアンヌだけが、困ったような顔をしてオレを見返していた。
「ンだよ。何だってんだ」
「あのうニシカさま。わたしみたいな人間が言うのもなんだけど、殿方の前であんまりそういう事はしないほうがいいんじゃ」
胸の位置を調整していると顔を赤くしたビビアンヌのヤツがあわてて止めてくるじゃねえか。
何だってんだ。服の襟が伸びちまうから駄目なのか……
「ま、まあとにかくよ。ワッキン騎士さまから預かった手紙とは別に、オレはオレで市中の情報収集に出かける予定だぜ。あんたはどうするつもりなんだ」
「ニシカ卿の様に市壁をあっさりと飛び越える様な事はむずかしいだろう。数が居れば、それだけ警戒に引っかかる可能性がある」
「ははぁ人数がいるのか、なるほどそれは大変だぜ」
オレはたまらず顔にニヤついたものを浮かべてしまった。
没落した貴族に嫁いだというビビアンヌの夫ってのは、もしかするとワッキン騎士さまの事かも知れねぇ。
ブルカ政変で逃げのびたワッキン野郎は、繁華街の裏路地でこの田舎娘に助けられ恋に落ちたという寸法だぜ。
何だよ、お貴族さまでも自由恋愛できるんじゃねえか……
シューターの野郎で妥協したオレ様は失敗したかな?
「申し訳ございませんワッキンガーさま」
「気にする事ではない。俺は誓いを必ず守る男で通っている、約束は絶対だ」
眼の前でそんなやり取りを見ていると、ニヤニヤが引っ込んで寂しい気持ちになって来やがった。
見せつけてるんじゃねえ! こんな仕事はサッサと済ませて相棒の顔を見たいもんだぜ。
オレ様の勲功一等を見て、野郎はきっと手放しに大喜びするはずだからなっ。
「じゃあ別の方法か、どうすんだ」
「ニシカ卿のご家中を頼ろうと思っている」
「オレの家族だと? 誰の事だ」
「アレクサンドロシア卿配下の冒険者たちがブルカ市中にいる。いざという時を予見して盟主連合軍側との連絡手段を用意していたのだが、そこからアレクサンドロシア卿のご実家で、ブルカにほど近いヌッギという村まで逃避する事を考えている。ヌッギまで行けばリンドル川の下流域にほどちかく、そこを河口付近まで流れに任せて移動すれば本土の領域だ」
どうやらブルカの街中には、領主さまが送り出したという冒険者たちが、街のあちこちで情報収集に当たっているらしいじゃねえか。
こいつはオレも知らなかったことだが、恐らくは開拓移民を引き連れて村に戻る最中に雇った冒険者どもの事に違いねえ。
「その冒険者どもは今どの辺にいるんだ?」
「南門近くの冒険者ギルドを根城にして、冒険者家業をしながら情報集めをしているらしい。今、ビビアンヌどのの夫が、繋ぎを取るために出かけている」
「ありゃ、お前ぇらは夫婦じゃなかったのか?!」
「ビビアンヌ夫人は大変お美しい方ではあるが、そんなわけがないだろう。結婚相手は家長たる父親が協議して決める事だし、この事をビビアンヌどのの夫が聞けばご立腹する。恩人に対してそれは、冗談でもやめていただこうか」
「そ、そうかい……」
夫婦と間違われて顔を赤くした田舎娘のビビアンヌだぜ。やっぱりお貴族さまの結婚は、政治というやつが絡むわけか。
その点をいくとオレ様は運がいい方だぜ。何しろ相棒をそのまま人生の伴侶に出来たんだからな!
政治の挟む余地なんてのはねえんだ!
「じゃあ後の事は任せたぜ。それから例の酒の件は、よろしく頼むからな。ん?」
「心得ている。王都への帰還が叶った暁には、今回のアレクサンドロシア卿のご配慮とご助力に鑑み、王都で最も美味い銘酒をサルワタ領に届ける様に手配する」
「オレ様宛で頼むぜ。俺の旦那は口うるさいヤツだから、バレるとあれこれと嫌味を言うヤツなんだ」
「それについても心得た。以後、サルワタ領邦との折衝を行う際は、ニシカ卿をその窓口に指名する事とする」
立ち上がったオレとワッキン騎士さまは、互いに手を差し出して握った。
◆
さて、そろそろ午後もいい時間になった頃だろう。
タマランチン野郎と落ち合う約束をしているのは、確か行商人どもが通う問屋街の入り口にある露店だったはずだ。
「根城にするのはこの奴隷商館でいいとして、しばらくは街の様子もつぶさに観察しておいた方がいいからな。そして酒だ。オレ様の恋人は誰からも愛されているから、こいつで口も軽くなるってもんだぜ」
やるべき役目の半分をしっかりと終えたオレは、上機嫌に奴隷商館の入り口に向かっていた。
ゴブリンのスピード野郎もすぐ側にいて、旅荷を運んでくれている。
いい身分になったみたいじゃねえか、お貴族さとその付き人だ。
このスピード野郎はこの気遣いが出来るから、きっと奴隷商人として出世する事が出来たんじゃねえかなとオレは思うわけだ。
「今夜は街に繰り出して、例の行商人から情報交換をする事になっているからな」
「ニシカ奥さま。お帰りの際は、いつ頃のお時間になる予定でしょうか?」
「おうそうだな。どうせ遅くまで呑む事になるだろうから、気にする事はねえ。明日の朝一番には戻るから戸締りはしておいていいぜ」
「……かしこまりました」
「んっ」
胸に手を付いておじぎをしたスピード野郎に見送られ、オレが奴隷商館の外へと出ようとした瞬間の事だ。
あまり雑踏のざわめきが聞こえない表通りから、大人数が近づいてくる気配を感じた。
殺気のようなものは感じられねえが、妙な緊張感も漂っている気がしたので、サッっとスピード野郎に目配せをする。
「敵、ブルカさまの兵士でしょうか」
「違うんじゃねえか。表でブツクサ言い散らかしているから襲撃って事は無いだろ」
そんな風に返事をしておくと、ゆっくりと店の扉が開いたではねえか。
「し、失礼します。おい、俺を押すなよな……」
目の前にはだらしのない冒険者の格好をした男女がいる。
ついでにその顔には確かに見覚えがあって、オレ様がニッコリ笑って事態を眺めていると、ポカンとした顔で見返してくるじゃねえか。
ようお前ぇら、何ボケっと突っ立ってるんだ。おう?
「あれ、ニシカの姉御。何でこんなところにいるんすか!」
「本当かよおい。見間違えじゃねえのか?」
「そんなわけがあるか。こんなデカいおっぱいエルフが、ニシカさん以外にいるはずがねえだろ!!」
おっぱいじゃねえ!
その抗議をぶつけてやろうとしたところで、冒険者とは別の知った顔を目撃した。
ゴルゴライにいたデブの熊耳野郎だ。ナメルシュタイナーじゃねえか?!
「……久しぶりだな。黄色エルフ」
「?!!」
咄嗟に護身の剣へ手を回そうとしたオレだけれども、すぐにも周りの冒険者たちによって押しとどめられてしまった。
当然だ、扉を挟んで向こう側は天下の往来だから、騒ぎはいけねえ。
オレだってその事は理解していたし、案外冷静な態度の熊耳野郎を見ていれば何となく察するものがあったぜ。
騒げばシューターにも迷惑がかかるし、これまでの苦労が台無しにもなっちまう。
「ずいぶんシケた面をしているじゃねえか、それに耳がねえ。熊耳はどうしたんだ?」
「…………」
「まあ色々あったんだろうがよ、中に入んな」
シケた顔をした熊耳野郎は、以前とは人相が変わった様に頬がこけていた。
病気でもしてるんじゃねえかとも思ったが、奴隷商館の内側に招き入れられた時の熊耳野郎、いや耳はもうないんだからナメルの野郎でいいか。こいつは憔悴しているんだろうなと察しが付く。
「今になって貴様たちを頼る俺の愚かさについてはいくらでも責めを受けるつもりだが、ワッキンガー将軍と女を無事ブルカから脱出させるまでは、見逃してはくれないか」
押し殺した声でそう口にしたナメル野郎を見て、何となくその続きも見えて来たぜ。
ビビアンヌの旦那というのは、恐らくこいつの事ってわけか。そいでワッキン騎士さまを逃がすために動いているという事は、ツジンの手先として動き回っていたこいつがブルカ辺境伯爵と決別をしたという事だね。
だからオレも小声で返す。
「随分と人相がかわっちまってるが、その分だとしばらくすれば元の手前ぇが誰かなんてすぐにわかんなくなるだろうぜ」
「じゃあどうしてお前は一発でそれがわかったんだ」
「気配や臭い。オレは今でこそお貴族さまの仲間入りだがよ、元は最果ての森で狩猟生活をしていた人間だからな。当然さ」
「そういう貴様のアイパッチはどうした?」
「あれはファッションというやつでね、気分で付けたり外したりなんだぜ」
冒険者どもは一瞬オレたちが一触即発になったもんだから大いに驚いていやがったけどよ、まあ落ち着いた態度で話し出したところを見て安心した様だ。
「フン。オレはどうやらしばらく酒を飲んでいないから、脳みそが腐っちまったらしい。お前さんがどこの誰べえで何モンか忘れちまった、だから酒が必要だ。ちょっくら予定通り繁華街に繰り出してくる事にするか……」
ちょっとばかし白々しかったかもしれない。
だけどよ、オレだってここで怒りまくって事を荒立てるつもりなんてねえ。
何しろ以前のナメルの野郎は、尋常じゃないほどオレの相棒を付け回していた男だからな。親父と弟を殺されたんだから、立場が違えばそいつは理解できる。
その男がこんな風にしおらしくしているのなら、荒立てる必要はないってもんだ。
だから、冒険者どもやスピード野郎に見送られて奴隷商館を後にしてから、オレ様は何も気にしていないぜって態度を背中で語って見せながら静かに街の目抜き通りを歩いたわけよ。
しみったれた戦時下のブルカ市中は、相変わらずひとの往来はまばらで寂しかったけれど、夕刻もほど近いとあって歓楽街に近付けばこれは別だ。
街で労働していた連中や、元から戦争があろうがなかろうが恋人無しには生きてはいけないオレのお仲間たちがいる場所に繰り出したわけよ。
問屋街の入り口にある露店では、早くもタマランチン野郎が空き箱に腰かけて何かを買い食いしてやがった。
辛抱たまらねえあの若い行商人を、ひとつ脅してやる事にする。
あの野郎、買い食いするのに躍起になってオレの気配にはまるで気付いていない様子だったからな。
「やいこの早漏野郎、何でオレさまが来るまで酒を我慢できなかったんだ。ん?」
「あ、いやこれは違うんです。ちょと味見をしただけで……」
「それで情報の方はちゃんと回って集めてきたんだろうな。オレ様はとびっきりの話を聞いてきたから、交換だぜ」
それはわたしの酒ですよ! とかなんとかタマランチンの包茎野郎が騒いだんで、首に腕を回して首を絞めてやると大人しくなりやがった。他愛ねえ。
恨めしそうな顔をしてやがったが、グっと腕に力を込めれば顔を赤くしてそっぽを向きやがる。
酒はみんなの恋人だから独占はいけねぇ。
オレ様も長らく逢引きをしていなかったから、寂しくてたまらなかったぜ!
「さてとっておきの店へ飲みに行こうぜ。夜はまだまだこれからだからなっ!」
これで一旦、ニシカ夫人のパートは終了です。
ワッキンガー将軍の脱出劇は、改めてナメルシュタイナー視点で!
引き続き次章もよろしくお願いします。




