閑話 ブルカ辺境伯の乱 四
阿鼻叫喚という言葉があるのならば、まさに俺の眼の前で行われている凄惨劇の事なのだろう。
応援のために呼び込んだはずの修道騎士たちが、暴れるティタノボアを始末するために誘導しているその途中で、突如として白刃を引き抜いて暴れ出したのだから当然だ。
何が起きたのか、王国兵団の騎士や騎士見習いたちはわからなかっただろう。
しかも修道騎士に扮していたツジンさまの配下たちは何れも歴戦の強者だった様だから、その暴れ具合は鮮やかだった。
抜剣一閃斬り伏せると、そのまま右に左にと走り抜けて王国兵士を斬り倒す。
内部に招き入れられたわずかに十数名の偽装修道騎士たちが、混乱の勢いで次々と暴れたのだ。
「ワッキンガーさまの亡骸をせめて取り戻せ、攻撃集中!!」
「な、なぜ我々に剣を向ける。ギャー!」
「どうした、援軍が来たのではないのか、どうなってるんだいったい?!」
目の前にはティタノボア、背後では突如刃を向けた修道騎士、これではいかに精強で知られた王国ブルカ兵団もどうにもならなかったのだろうな。
そうこうしているうちに、俺と入れ違いにツジンさまに率いられた衛兵と称するブルカ領軍が駐屯地の包囲を完了させてしまった。
俺は這う這うの体で作戦待機の隠れ家に使っていた貴族の邸宅に逃げ込んでいたが、件の阿鼻叫喚はその夜の最高潮に到達しようとしていたみたいだ。
俺は振り返り、激しく魔法の爆発が繰り返している音響を耳にした。
きっと王国軍の将兵も激しく抵抗を試みているのだろう。
当たり前だ。彼らだって激しい軍事訓練を受けた連中なのだから、危機的状況に追い込まれてなお、いや自分たちが追いつめられたからこそ、任務を思い出したはずだ。
王国を守るという使命を。
恐らく連中は何としても王都中央にこの政変劇を伝えようと人間を送り出すはずだ。
「いたぞ、そこにいる人間を逃がすな! 殺せっ」
だからあちこちで、混乱の中から逃走を図った兵士たちが捕縛されている。
違う。捕縛ではなくその場で殺されている。
まったく。俺はブルカ兵団に入営していなくて本当によかったと親父殿の方針に感謝した。
本来であれば武門の誉れ高い熊獣人の一族として、成人すればブルカ兵団に騎士見習いとして入営していてもおかしくなかったのだ。
もしもそうしていたのならば、仮に出世のひとつでもしていれば今頃はこの兵団の騎士だったに違いない。
そうすれば逆に俺がツジンさまの命令で今のような汚れ仕事をしなくてもよかった事になるのだが、色々と考え込んでしまうと、よくわからない気分になった。
どちらにしろ、命の危険があったわけだからな……
「よう。大蛇を呪いでコントロールするのは成功だったらしいな」
妙に疲れた体を引きずって邸宅内の建物玄関口までやってきたところで、俺は監視役のブルカ騎士と顔を合わせた。
作戦中の彼はこの場に残って俺の動向を見守っていたはずだ。
俺が帰ってきた姿を見て満足の表情をしていたらしい。
「上の観覧台から連絡があったぞ。ブルカ領兵の包囲は完了だ、たかだか数百の兵士しか詰めていない兵団だから、じきに皆殺しは完了だろうぜ」
「作戦成功で何よりだ」
「それとマリリンマーキュリーさまが大変お怒りだ」
「どうしてだ」
そう俺が不思議な顔をすると、笑ったブルカ騎士が説明をしてくれる。
「あの大蛇は用済みになったので処分しなければいけない。大変な苦労をして連れてきたのに、上から見ているとあまりに暴れて厄介なんだそうだな。ところがマーキュリーさまが弓で狙撃しても、傷のひとつも通らないらしい」
「巨体すぎて鱗が硬いのだろう。狙うのであれば眼や口の中、あるいは耳でも攻撃するしかない」
「しかし暴れるモンスターを射止めるのは簡単な事じゃない。だから戻ってあれを大人しくさせてくれ」
まったく人使いの荒い眼例を飛ばして来たブルカ騎士にげんなりとした顔をしながらも、俺はもと来た道を引き返す事になってしまった。
ただし今度は単独で行動していてはまずい。
そんな事をすれば王国兵士にもブルカ領兵にも、あるいは偽装修道騎士にも狙われて殺される可能性がある。
「ひとりで行かせるつもりじゃないだろうな」
「わかっている、ついて行くぜ。あんたもこれだけ動き回れば、少しは痩せるだろうぜ」
「……何?」
「い、いや。何でもない忘れてくれ」
一瞬にして不快な気分になった俺である。
まあいい。これが終わればしばらく場末の酒場の二階でゆっくり出来るのだ。
何と言っても今の俺は、ただの鎖帷子を着こんでいる所属不明の冒険者の様な風体だ。間違いなく敵と疑われてしまうからな。
だがついていくと口にしたブルカ騎士も、監視が目的だ。
邸宅の中から駆け足で出てきたベテランらしい顔つきの悪い連中が、俺の周りを守ると称して誘導する。
そうして塀をふたたび乗り越えると、暴れるティタノボアの方向に茂みを通って走った。
「殺してしまっていいのか」
「強い、強いと言ってもどうせ王国兵団とやり合って傷だらけなのだろう。どのみち死ぬなら今殺しておくに越したことはない!」
やはり俺も大蛇も駒のひとつとしか見ていないのか、そんな事を口にするブルカ騎士に、俺は微妙に顔をしかめてしまった。
「何だ、早くあれを何とかしろ」
「わかっている!」
乗り込んだツジンさまの率いるそれぞれの連中は、どうやら腕に白い手ぬぐいを巻いて敵味方の識別を容易にしていたらしい。
同じ様に巻いていた邸宅の待機組と一緒に行動をしていたので、殺される事は無かったが、睨み付けられはした。
親父殿も弟も死んだが、俺は今でもブルカ辺境伯さまの寄騎としてやるべき仕事をこなしているのに、この態度は非常に不愉快だ。
ティタノボアはいよいよ王国兵団を相手に暴れるだけ暴れて、弱り切っている様子だった。
顔は集中的に攻撃されて傷だらけ、胴体で数人を巻き込む様に絞め殺していたけれど、最初に乗り込ませたときほどの精彩さは欠けていてぐったりとしている。
あらかたの王国兵を轢きずり倒した後は、もう最後の力を振り絞ってこちらを睨みつけているだけだった。
統制は取れている。
支配魔法の影響で暴れる事はせずに、俺たちを睨みつけているだけで攻め立てようとはしない。
だがほんの少し前まではブルカ領兵だろうと王国兵だろうと、構わずに皆殺しにしていたに違いない。
「頭を下げさせる、首を落とせば巨大な蛇だろうが止めを刺せるはずだ」
俺が支配魔法の力でぐっと頭を下げさせるようにすると、そこから魔法陣の描かれたタトゥーを見る事が出来た。
「よし、誰かが断ち斬ってくれ!」
「俺がやる。俺の自慢の剣で斬り殺してやる」
ブルカ騎士たちはそんな事を言い合って、誰がこの化けもの蛇を倒してやろうかと盛り上がっている様子だった。
「仕留め損ねた場合は暴れる可能性があるぞ、魔法陣は避けて斬り殺せ。そうしなければ支配魔法の拘束が解ける」
「大丈夫だ安心しろ、俺はむかし冒険者だったこともあるからな」
警告はしたからな。
だから俺はそれ以上言わない。
失敗した時には恐らく、最後の最後の力でその場にいる人間どもを道連れに暴れ出す可能性がある事を。
何となく、そのまま暴れた方が面白いのではないかと、ふとそんな事を思ったのだ。
斬り落とし損ねて魔法陣の拘束が解ければ、さんざん手駒にして扱き使って来たこいつらに、ささやかない意趣返しが出来ると。
「そうか。後は勝手にしてくれ、俺は下がらせてもらうぞ」
それは危険な発想だった。
どこかで自暴自棄になりかけている自分の考えが芽生え始めていたのだ。
違うな。そういう自棄の考えは、もうとっくに俺の中に存在していたのかも知れない。何もかもがどうでもよく、死ぬならせめて腹いせに。
だから逃げる様に俺は背中を向けて、ブルカ騎士たちを残して邸宅の方向に歩き出した。
「いいのですか、ナメルさんを行かせて」
「放っておけ、あいつはデブだからヤツも疲れているのだろうからな。そんな事より命令を聞いている間になんとかしろ」
「よしやるぞ!」
俺を追いかける様にして兵士のひとりが付いてきたのを足音で確認した。
チッ、デブは余計だ。
せいぜい上手く一撃で斬り落とす事だ。
何もかもがどうでもいいと思ったところで、グシャリと剣を叩きつける音が聞こえた。
案の定だろうか、あの丸太よりも太い首を一撃で落とす事は出来なかったらしい。いや致命傷すらも無理だった様だ、だが魔法陣の書かれた鱗状の表皮だけは傷をつけたのだ。
つまり支配魔法から脱却したに違いない。
「うがあ、どうした暴れ出したぞ!」
「おいナメルどういう事だ、これぐわぁああッ」
傷はそれなりに深かったらしく剣が刺さったままの体でティタノボアは暴れていた。
そして何人かを容赦なく食み、捲き殺し、轢き殺して長い胴体を暴れさせているのだ。
「な、ナメルさまあれを何とかしなければ!
「おい、ここで助けに入るのは馬鹿のやる事だ。支配魔法の道具を邸宅に戻って取りに行くぞ、ついてこい!」
「わ、わかりました。みんな、それまで頑張るんだ!」
あわてた兵士が了解の旨を返事して、仲間に言葉をかけながら走り出した。
クソッタレめ、もう俺はここで逃げてやる。もうたくさんだ。
支配魔法の道具は確かに邸宅の中に残したままだったが、再度支配魔法の儀式をするためには時間も必要だし手順も必要だ。
そんなものを取りに戻ったところで、すぐにどうこう出来るわけもない。
戻れば死ぬだけだ、もう逃げるしかない。
ツジンさまは失敗を極端に許さない性格である事は、みんな知っている事だ。
死ぬ気であれをどうにかさせるに違いない。
「おい、塀を乗り越える。手を貸してくれ、疲れてひとりでは上がれない」
「わかりました。わたしが下になりますので……」
疲労困憊のふりをして塀の前で四つん這いに兵士をさせると、おもむろに俺は剣を抜いてこの兵士を殺した。
何も疑う事も無く、一瞬の出来事だ。
さっさと長剣は鞘に納めて、どうにかして別の場所から逃げるつもりで茂みを移動した。
この際は騎士修道会の敷地内に逃げるという方法もあるのではないか。
いや、あっちはもうすぐしたら「反乱を起こした騎士修道会を処断する」という触れ込みでミゲルシャールさまが乗り込むのだった。
じゃあどうする。どこに逃げる?
そんな風に植え込みを移動しながら、とにかく逃げやすい場所を見つけて塀を乗り越えようとしたところで、突然声を駆けられたのだ。
「……すまない。何者かは知らないが、手を貸してもらいたい」
「だ、誰だ?!」
「腰を激しくやられた様で、体が思う様に動かないのだ」
その言葉が俺の耳に飛び込んできた時に、すぐさま俺は剣に手をかけるべきだった。そうしなかったのは俺も疲れていたからかもしれない。
つい声の方に近付いたら、その声の主を見て俺は絶句してしまったのである。
「た、タークスワッキンガー将軍……」




