166 勅令、我に服従せよ
俺の体は震えている。
ぱっと見た感じは、きっと何かに恐怖している変なおじさんに見えているかもしれない。
事実、ダアヌ夫人の邸宅に仕えているらしい女中さんなどは不審人物を見る様な眼で、あからさまに俺から視線を外していた。
見てないで助けてよ!
と言いたいところだが、もちろん使用人のお姉さんでは俺を助ける事は出来ないだろう。
その代わりにオゲインおじさんが俺の震える手を取って声をかけてくれた。
「大使閣下。わ、わしで出来る事はあるかの」
「……もし俺が暴れる様な事があれば、迷わず押さえつけてください」
「へ、辺境随一の戦士を取り押さえるなんて、わしにはちょっと……」
「頼みますよ。そうすれば、これからもあんたと盟友でいられる」
「め、盟友。ゴクリ」
オゲインおじさんの手を俺はグッっと握り返しながら、どうにか自制をしようと深く息を吸い、吐いた。
すると悪い気はしなかったらしいオゲインおじさんは俺の手をギュッと握り返して生真面目な顔を作った。
「ぜ、善処を心がける」
これも対ブルカ同盟のため、と小さくつぶやいたオゲイン卿はすぐにも振り返って使用人の女性を見やる。
「おい、すぐにも楽団に命じて景気の良い派手な楽曲を演奏させるんだ。大使閣下の体調不良を悟らせてはいかん」
「は、ハイッわかりました!」
すぐにも命令で動き出す女中さんを見送っていると、会場の中から会談を抜け出してきたらしい雁木マリの姿が見えた。こちらに向かっているのはそれと、ようじょだけらしい。
震える体で会場を見回すと、他の人間たちは俺の異変にはまだ気が付いていないらしい。
オゲイン卿が曲を少しばかり派手な曲目に変更してくれたおかげも、あるのかもしれないね。
「シューター、例のアレ来たのかしら」
「顔色がわるいのです。体が震えています……」
いつまでもおじさんの手を握られているのはあまりいい気がするものではない。
例えそれが将来の同盟の主軸のひとつになるであろうリンドルの重鎮でも、せっかくなら雁木マリがいい……
まだその時の俺は、そんな馬鹿な事を考える余裕が残っていた。
マリがオゲイン卿と場所をかわって、俺の脈をとる。
明らかにバクバクと心臓が荒ぶっているのは脈をとるまでもない事で、心配そうにしたようじょが背中をさすってくれたのである。
「ここで背中を確認する、というわけにはいかないわ。オゲイン卿、休憩室はどこにあるのかしら?」
「奥に、食事を運び込むためのスペースがある。そこでよければすぐにでも案内可能だ」
「ではすぐにでも移動しましょう。シューターあなた、まだ耐えられるわね?」
「耐えられる。耐えて見せる」
ここで暴れればすべてが台無しになるだろう。
俺はサルワタ外交使節の全権大使であり、仮にもここでナメルシュタイナーの呪いに操られて殺戮マシンにでもなった場合、サルワタの名声は地に落ちるどころか、王国による討伐軍でも送り込まれる事になりかねない。
あるいはそこまでに至らなくても、評判はこの場にいる商人たち、オッペンハーゲン公商会の人間たちによって辺境周辺に俺の不可解な行動として伝わるだろう。例えば、
サルワタの大使は突然服を脱ぎだして、酔って暴れたと。
「くッ熊面の猿人間の呪いなんかに俺は負けない!」
それだけは絶対に阻止せねばならないのだ。
俺は立ち上がった。
雁木マリにわきをかかえられる様に、反対側でようじょに手を握ってもらい。
「お、俺が夜会を中座する様な事になって、問題はないか」
「大丈夫よ、ダアヌ夫人をお借りすればいいわ。サルワタの大使閣下はダアヌ夫人とふたりきりで、今後の事について膝を詰めて交渉を行ったという事にすれば何も問題ない。オゲイン卿、いいわね?」
「もちろん了解だ。都合のいい事に妹は今、便所に席を立っているのでな……おお、戻って来た」
どうやら俺が夜会を中座しても、上手く言い訳は出来そうでひとまず安心だ。
立ち上がって数歩歩いたところでまたビキンビキンと背筋が痺れる様な苦しみに見舞われた。
目の前にはお花摘みに出かけていた不完全ロリババアのダアヌ夫人が、ドレスの裾をつまみながらつつとこちらに向かってくるではないか。
「どうなされたのじゃ大使どの」
「妹よ、大使どのは体調がすぐれぬ故に隣の控室に移動して休憩してもらう事になった。すまぬがお前も同席して、今後の交渉を行っているという体裁をつくろいたいのだが」
「体調不良? どういう事じゃ」
俺は徐々に体の具合がいよいよ悪くなりつつあった。
ここで足を止めている余裕がほとんどなくなってきているのだ。
「とにかく今は説明をしている暇がないわ。先を急ぎましょう」
「待つのじゃ」
しかしそれをさせようとしないダアヌ夫人。
「そなた、もしやこなたの主催した晩餐会に対して難癖をつけようという腹積もりじゃないだろうな」
「いいえ、そういうわけではないは。あたしの婚約者は触滅隊との戦闘で傷を負っているのよ、そこは安心してちょうだい」
「腕は汚して、体は妙な具合で調子が悪い。こんな者たちと同盟を結ぶような必要など、こなたはないと思うのじゃ。のう兄上、いかがじゃ?」
「今はそれを言っている場合ではない。さ、先を急がれよ」
ダアヌ夫人の嫌味たらしい言葉を無視して、俺たちはオゲインおじさんに先導されながら、控えの間に向かった。
そしてあわただしく控えの間のカーテンがひかれて夜会の視線を遮断したところで、俺はマリやようじょたちによっておもむろに上着を脱がされてしまった。
雁木マリが確認したところ、背中にはこう書かれていた。
勅令。ナメルシュタイナーの名をもって命ず、我に服従せよ。
ついに背中のタトゥーが完成したのだろうか。
妙な寒気で震える中、俺は自分を抱きしめる様に自制しつつおののいた。
「これは別の場所から、自分の血を媒介にして呪いの魔法陣を書いたものなのです。ただ、こんな術式をッヨイは聞いたことがないのでよくわからないのです……」
「ナメルシュタイナーはきょ、巨大な猿人間をこの魔法で操っていたはず。何か調べれば出てくるかもしれないけれど、他に魔法に詳しい人間はだれかいなかったかしら」
身を縮めて苦しむ俺の背中を見ながら、みんなが思案している。
「そ、それなら女魔法使いのマドューシャに、聞いてみるのは……」
どうだろうか。と、そこまで俺は言葉が続かなかった。
あいつは確か、魔法陣の書かれた紙を媒介にして様々な強力魔法を連発していた気がする。
女魔法使いは触滅隊に雇われていた人間だし、もしかしたらだがナメルシュタイナーの事も何か知っているかもしれない。
それに、背中の魔法陣の文字から何かを読み解く事が出来るかも……
「そうね。あの女魔法使いは複雑な魔法陣を描いた護符で魔法を打ち出していたわ」
「まどーしさんなら、リンドル聖堂の個室に軟禁しているのです」
俺が言いたかったことは、どうやらいくらかでも伝わったらしい。
次の瞬間、俺は意識が飛びそうになる。
そんな俺の苦しみの向こう側で、会話は続けられた。
「ナメルシュタイナーとは、誰じゃ?」
オゲイン卿と一緒に、控室まで付いてきたダアヌ夫人が俺の背中を見てそう質問したのだ。
「ゴルゴライ領主のハメルシュタイナー準男爵の嫡男よ。あたしたちサルワタの外交使節に難癖をつけて来てフェーデ騒ぎになったのだけれども、その後、彼が使役していた巨大な猿人間が暴れ出して、それどころではなくなったのよ。領主のハメルシュタイナーも巨大な猿人間に殺されて、ナメルシュタイナーはゴルゴライから消息を絶ったの」
「それが、今どうしてこの様な事になったのじゃ」
「リンドルの街に潜伏していたのよ。ブルカ公商会のリンドル商館に潜んでいるところを、触滅隊の討伐前夜にブルカ商館を捜査した時、出くわしたんだけれど」
その時に俺が血を浴びて、この様な結果になったわけなのだが。
「おい、シューター! 気持ちをしっかり持てよ。オレが付いている。畜生ガンギマリーどうにかなんねぇのか?!」
「今やってるわ。とにかく、その女魔法使いにこの魔法陣を見せましょう!」
とうとう俺は自分を抑えておく事が出来なくなって、それから先の会話がほとんど聞き取れないぐらいに体中に痛みを覚えていた。
ついに視界すらもぼやけつつある。これは本格的にやばいな、暴れだす事になるのだろうかと思った時、薄れゆく意識の中で強引にニシカさんが俺を押さえつけているのが見えた。
そしてどうやら雁木マリが鎮静のポーションを俺に接種させたらしい。
苦しみの中で俺は歪む景色を見やりながら、ニシカさんに抱きつく様に倒れ込んだ。
2016/02/07
後半部分に加筆修正を加えました。




