132 土くれのロンド
この男は逃走を図っている。
俺とこの場で斬り結んだ挙句に相果てて道連れ、などという殊勝なつもりは微塵もありはしないのだ。
そうでなければ、チラチラと背後を気にしながら戦うはずがない。
その事に気が付いたのはもう何度目だろうか、激しく剣を重ねる度に圧倒されて体の怪我を増やした後の事だった。
「ニコラさんと言ったかな。あんた、今までにひとを何人殺したことがある?」
「それを聞いてどうする……」
「俺はこれでも数えるほどしかひとを殺めた事が無いんだ。おかげで今もどうやってあんたを斬り刻んでやろうかと手の内を思案しているところなんだがね」
「…………一〇〇人という事はないだろうな。お前もその内のひとりに入れてやる!」
怪我と言ってもたいしたものではない。
俺の体にいくつもの斬り傷が出来ていたことは確かだが、触滅隊を率いる男ニコラはそのひとつひとつの攻撃が浅かったので致命傷までもらうことがなかったのだ。
冒険者カムラなら、もっと追撃の剣撃が深く俺に刺し込まれただろう。
だがそれはない。
「剣の冴えが鈍ってるぞおい」
「ぬかせ!」
「命が惜しいんじゃないのか?!」
挑発をしてやると剣を深々と刺し込んでくるのだが、この攻撃ですら躊躇のある斬撃だったのだ!
その事実に俺はひどく心を傷つけられた。
確かに俺は元いた世界で空手道場に足しげく通い、時には剣術道場やらチャンバラの真似事をやっていた様な、この男から見ればお遊び程度に精を出していた人間かも知れない。
けれども今の俺の実力では決定打に欠ける攻撃しかできないというのは、やっぱり悔しいじゃねえか。
浅い息を肩でしながら暗闇の中で相手の動きを探っているこの瞬間も、ニコラの意識は背後に向けられている。
仲間たちから徐々に引き離されながら走っていは数合剣を重ね、重ねては走り出すニコラは、やはりこの森の深さと新月の暗がりを利用して逃げおおせる腹積もりなんだろう。
ニコラが駆け出した。
正直もう剣を振る腕も重くなり出していて、追いかける体は億劫さを感じながら追従しているのに、ヤツはいくらも体力を使っていないという風に森を走っていく。
いや、思ったよりも間抜けな逃走だったかもしれない。
どうも足場がぬかるんでいて、泥んこ道の中をヌポヌポとブーツを出し入れながら音を立てて逃げている様な格好だった。
沼地にでも足を差し入れてしまったらしく、俺たちは馬鹿みたいな音を立てながら追いかけっこをした。
そしてまた振り返り数撃の剣を交えている時に、闇の中で先回りをしようとしている人影をチラリと目撃した。
雁木マリだ。
マリは逃走を計ろうという意図を見え隠れさせているニコラの動きを封じるために、何とか先回りして俺を援護するつもりなのかもしれない。
あいつは先ほど肩口に剣を一発見舞われているので、無理をして欲しくはなかった。
彼女もかなりの死線を潜り抜けてきた歴戦の修道騎士ではあったけれども、ニコラとの実力差は俺以上に大きく引き離されているのだからね。
「シューター!」
「ちっ。しつこい女だ!」
マリが素早く剣を引き上げながら、俺たちの背後に回って攻撃を仕掛けてきた。
これでニコラに隙でも作ってくれればありがたかったのだけれど、彼女の攻撃と俺の一撃がうまくタイミングをあわせる事が出来ずに、少しの時間差で互いに突き出した攻撃は綺麗にかわされ、あべこべに反撃を許してしまった。
マリの攻撃を力強く跳ね上げておきながら、俺が剣を突き出した瞬間に体を入れ替え、足を蹴り出してきやがった。
脇腹をしたたかに蹴り抜かれた俺は、必死で耐えながら大きく剣を振りかぶった。
すでに剣を構えなおしていたニコラにはたいした意味のある攻撃ではなかったけれど、マリが体勢を立て直す時間だけは稼げたかもしれない。
さらにもマリがファイアボールを打ち出す構えを見せたけれども、その瞬間にニコラはブーツで土を跳ね上げてマリの魔法攻撃を妨害しようとしてみせる。
足場が悪すぎて俺も大きく振りかぶった一撃に体重を乗せる事が出来ない。
これじゃニコラの事を笑えねえな。
あっさりとまたかわされてしまったじゃないか。
上空に発光の魔法を打ち上げて見せたマリは、俺の側に並んで剣を構えながら口を開く。
「ごめんなさいシューター、今のあたしじゃこの男に歯が立たない……」
「気にするな、俺もこいつには苦戦しているんだ」
「せめてポーションは必要かしら」
「それを摂取する時間があればいいんだけどね」
暗がりの中に発光の魔法で浮かんだニコラの顔には、不敵な笑みがあった。
「乳繰り合ってるんじゃねえぞ!」
ニコラの剣が伸びた。
胴を確実に薙ぎ払えそうな勢いの乗ったその剣の軌道上に雁木マリがいる。
このままでは彼女の腸を一撃でまき散らせてくる様な伸びを見て、俺は焦った。
同時にマリもその危険性に素早く気が付いたらしい。
即座に背後に飛びすさって大きく泥の巻き上げる音を立てたかと思うと、上体を反らして攻撃をかわしてみせた。
いい反応だ。泥んこの中ではよく動けたと思う。
胸が大きければ確実にもっていかれたはずだ。貧乳は正義だ。
無い胸には攻撃をする事が出来ないのだ。
そして雁木マリの無い胸は俺に勝利のチャンスを与えてくれた。
「くそっ!」
ニコラが舌打ちをしながら剣を大きく振り切った瞬間に、俺はタックルをしかけていた。
体当たりは俺の得意技だぜ。不格好かもしれないが、有効な手段だからな。
ここで倒れれば泥んこレスリングに巻き込まれて、余計な時間と体力を使ってしまうニコラからすれば、最悪の攻撃のひとつだろう。
ニコラを押し倒してヤツの手に持った剣にかじりつくと。
親指固めでこいつの親指関節をキめてやる。悲鳴めいたものが聞こえたが強引に破壊してやった。
なおも抵抗して来ようとするところ、顔面に拳を見舞ってやった。
剣さえ無ければこっちのもんだ。二発、三発。容赦なく駄々っ子パンチで顔面を潰しにかかる。
何度も上下を入れ替えながら転がると、あいつはまだ生きている方の手でナイフを抜きやがった。
振り回されると俺はあわてて飛び退ったが、ズボンを着られた。
カサンドラお手製のズボンに何しやがる!
思い切りナイフをブーツで蹴り飛ばしてやったら、足を掴まれて引き倒された。
だが俺に飛びついて殴りかかろうとした瞬間、体を入れ替えて引き倒してやる事に成功する。
ざまぁみろ!
俺はその首の気管を潰す様に、抜き手を放った。
「口が臭いんだよ……」
◆
俺は生きている。
服こそボロボロになるまで切り刻まれてしまったが、体のどこかに致命傷を負ったという事はない。
発光の魔法の中で体の傷を改めてみれば、脇腹を薄く皮を削がれたのが一か所、腕に多少の傷が数か所、太ももには泥んこレスリング中に負ったと思われる擦り傷がある程度で、ほとんど五体満足だ。
俺は生きている!
「あなた酷い格好よ」
「知ってる。俺のパンツどこにいった?」
「この暗がりじゃ、そんなのわからないわよ……」
呆れた顔をして水の魔法をやさしく放出してくれる雁木マリのおかげで、今俺は体中に纏わりついていた泥を洗い落としているところだった。
大自然の森の中でシャワーを浴びるのも悪くないね!
「しかしマリもあんまり無理をするんじゃないぞ。ああいう手合いがまた出てきた時は、ぜひ俺に任せてほしいものですねえ」
森の中で逃走するニコラを追っている時、俺は雁木マリの命の心配を出来るほどの余裕が無かったことを自覚している。
もしもこの場所が平地の中で、足元が泥にとらわれる様な不安定なところでなかった場合、ばっさりマリが斬られていた可能性は大いにあったのだ。
「た、大切なひとが必死になって戦っているんだもの。少しでも協力したくなるってものじゃない」
「けれどそれで命を落としたら何の意味もないだろ」
「結果が大事なのよ、あたしたちは協力して倒す事が出来たじゃないっ」
雁木マリが高速リンボーダンスよろしく、ニコラの放った伸びのある一閃をのけ反って避けた瞬間に俺がチャンスを見出したのは事実だ。
「おっぱいが大きければ危なかった」
「何よお前!」
「やめろぶべっ」
「ふん……」
とても嫌そうな顔をしたマリが、手先から放水の角度を変えて俺の顔をびしゃびしゃにした。




