6 良き父親とは?
カリーナは一瞬考えた。
これはひょっとしたら、夫婦生活へのお誘いかしらと。
しかし、すぐにないない! と打ち消す。形だけの初夜を過ごして以来、リュシアンはカリーナの寝室を一度も訪れたことはなかったからだ。
公爵家の使用人たちも、子どもたちのためだけに結ばれた婚姻であると心得ているため、夫婦の関係については触れなかった。
屋敷中の誰もが魔女みたいな公爵夫人に親切にするのは、未婚の女性が幼い子どもの義母になったことに同情しているか、あるいは感謝しているからなのだろうと、カリーナ自身も感じていたのだ。
悪趣味なドレスやアクセサリーに公爵家の金を注ぎ込み、それを普段着としてバンバン着用する。明らかに公爵夫人にはふさわしくない下品な装いを、誰も咎めることはない。
今日だって全身真っ赤なのに、使用人たちは声を揃えて、「薔薇みたいですわ!」「斬新で素敵ですわ!」「茹でたタコよりも鮮やかですわ!」とカリーナを褒め称えていた。
使用人たちはともかく、当主のリュシアンも、好き放題のカリーナに対して、今まで一度も苦言を呈したことはなかった。
(サシで話って何だろう。とうとうお説教されるのかな。金遣いが荒いから控えろとか、黒紫赤は着用禁止とか? めんどくさいけど、断る理由もないしな……。あっ! お説教中に反抗的な態度を取れば、ワンチャン追放してもらえるかも!)
カリーナは赤い唇をニヤリと歪ませ、「はい。ぜひ♡」と返事をした。
その夜、集合場所に指定された執務室へ向かったカリーナは、出迎えたリュシアンの姿を見て驚愕した。とっておきのドレスで着飾った自分よりも、彼の方がずっと派手な格好をしていたからだ。
赤い生地に白いドット柄のシャツと、サイドにこまかいギャザーの入った真っ白なトンチキトラウザーズ。紫のクラヴァットや靴もなかなか派手だが、何より目を引くのが、シャツと同じ柄の丸いベレー帽だ。これはまるで──
「毒キノコ?」
「そう! ベニテングダケをイメージしてデザインされた服なんだ。よくわかったね。赤や紫は着たことがないが、思いきって挑戦してみたんだ。ユリヤがいつも君のドレスを綺麗だと言っているから、子どもにはこういう鮮やかな服の方が好まれるのかと思って仕立ててみたんだが……さすがに派手すぎただろうか」
ペラペラと喋った後で、恥ずかしそうにこちらの反応を窺うリュシアンに、カリーナは慌てて言った。
「いっ、いえ! いいえ! とてもお似合いですわ! 特にそのお帽子なんか、ベニテングダケそのもの!」
するとリュシアンは、パッと顔を輝かせる。
「そうか! 実は私もこの帽子が一番気に入っているんだ。私は感情が顔に出にくく、相手に冷たい印象を与えてしまうのだが、ほら、この帽子ひとつでずいぶん柔らかい印象になるだろう?」
得意気にそう言うリュシアンを、カリーナはまじまじと見つめる。無駄に整った顔と、サラサラの美しい銀髪……の上にちょこんと載ったキノコ帽。
(いや、これは柔らかくなるどころか……)
咄嗟に目を逸らしたがもう遅い。ぶふっと噴き出してしまったが、なんとか咳で誤魔化した。
(ダメよカリーナ。笑っちゃダメ。この大きな子どもは、至って真剣なんだから。あ、でも笑ったら、怒って追放してくれるかな。いやいや! 怒るどころか、傷付いて泣いちゃうかも! やっぱ絶対に笑っちゃダメ)
黒地に金のドクロ柄の地味なスカートを握りしめ、カリーナは必死に笑いを堪える。それでも気付かれてしまったのか、リュシアンは頭からキノコ帽を取り、しゅんと俯いた。
「これで子どもたちが、少しでも私に心を開いてくれたらいいのだが……。あっ、ずっと立たせたままですまない。あちらへ移動しよう」
二人はソファに向かい合って座る。
可笑しな格好に隠されたリュシアンの悩みに、カリーナは静かに耳を傾けた。
数百年に一度現れる危険な魔物の討伐に向かい、命を落とした前公爵、グレアム・スカルタ。
マルフェンとユリヤの実の父であり、リュシアンの双子の兄だ。
子どもたちの母親は病で数年前にこの世を去っているため、グレアム亡き後、リュシアンは二人を養子に迎え、マルフェンが成長して公爵位を譲るまでの中継ぎを務めることにしたのだ。
──と、ここまではカリーナも知っていたが、その背景には悲しい事情があった。
「本当は、魔物の討伐には私が行く予定だったんだ。だが、魔物が突然変異し、遠距離攻撃を仕掛けてくるようになったため、剣では太刀打ちできないとの情報が入った。それでも行こうとした私を、兄は危険だから自分が代わりに行くと止めたんだ。……魔力が強い自分の方が適役だと」
この世界には魔法が存在するが、魔力を持つ者はほんの一握りである。カリーナが今までに出会ったことのある魔法使いも、リュシアンとマルフェンのたった二人だけだった。
だが、二人がどんな魔法を使うかは知らない。魔力は貴いものとされており、必要な時以外に披露することは滅多にないからだ。
「……討伐に向かった兄は、魔物と相打ちになり命を落としてしまった。死ななければいけなかったのは、守るべき家族も、魔力の才もない私の方だったのに」
リュシアンはぐっと拳を握り、苦しそうに話し続ける。
「兄を身代わりにしてしまった責任を取るために、私は兄の分まで、甥と姪を立派に育て上げなければならない。だから、私は子どもたちを養子に迎え、一生自分の子を持たないと決めた。自分はあくまでも中継ぎで、必ずマルフェンに公爵位を譲ると表明したんだ」
甥と姪をわざわざ養子にした理由に、カリーナは納得する。育児をする人手はたくさんあるのに、なぜ子どもたちに『母親』を与えようとしたのかも、なんとなく見えてきた。
「自分なりに、精一杯父親になろうとした。だが、ユリヤは人見知りだし、女の子だからよくわからない。マルフェンは礼儀正しく接してはくれるが、私のことを恐れているのか、どこか壁がある。その証拠に、二人ともいつまで経っても私のことを『義父上』とは呼んでくれないんだ。亡くなった兄は、私とは違って朗らかだったからな……」
カリーナは、落ち込む毒キノコを見て口を開く。
「大丈夫ですよ。公爵様もなかなか朗らかですから」
「そうか?」
「はい。お顔に出にくいだけで、間違いなくご兄弟だと思いますよ。子どもたちもまだ遠慮しているだけで、徐々に甘えられるようになるでしょう。湖事件でマルフェンを諭されていた時のご様子からも、充分信頼関係が窺えましたし」
「そうか……そうだといいのだが」
「そうですよ! それに、呼び方なんてどうだっていいじゃないですか。私なんか、マルちゃんからは呼び捨てですし、ユリヤお嬢様からは名前を呼ばれたことすらありませんよ」
ケラケラ笑うカリーナに、リュシアンは申し訳なさそうに言う。
「すまない。私からも注意しておく」
「いいんですよ。呼び方なんて、後から勝手に付いてくるものですから。まずは心が先です。水切りみたいにみんなが楽しめることで、自然と子どもたちとの距離が縮められるといいですね。うーん、何がいいかなあ」
保育士時代のくせで、ついわくわくとイベントを考えてしまうカリーナとは反対に、リュシアンの顔は曇っていく。
一人の親切な女性を、残酷な契約でこの家に縛り付けているという現実を突き付けられ、今さら胸が痛んでいたのだ。
できるだけ若いうちに彼女を解放して、自由な人生を歩ませてやりたい。そのためには一刻も早く、自分が母親と父親両方の役割を担えるほどに成長せねばと決意していた。
子どもたちが喜びそうな楽しいイベントを次々と提案するカリーナに、リュシアンは笑顔で言う。
「それにしても、あなたは本当に子どもの心を掴むのが上手だ。弟と妹がいるそうだが、きっとよく世話をされていたんだろうな」
カリーナはドキリとするが、実家で決めた『設定』を思い出し、慎重に口にした。
「……そうです。私は十代の頃、病が長引いて社交界にはあまり顔を出せなかったので。幼い弟妹たちの世話をすることが、何より楽しかったんです。あっ、この通り、今はすっかり元気ですのでご安心くださいね!」
明るく笑うカリーナの顔を、うっすらと影が覆っていることにリュシアンは気付く。
この時の彼女の顔が、彼の心からずっと離れずにいた。
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次の休日、爽やかな秋晴れの街に、全身毒キノコなスカルタ公爵一家の姿があった。
夫婦で計画した、とあるイベントの準備をするために、四人は浴びるような視線の中、一軒の店へと向かった。




