3 生意気な子ども
公子を叱ろうと口を開きかけたリュシアンより先に、カリーナは冷たく言い放った。
「こちらこそ、礼儀知らずの赤ちゃんに挨拶などしたくありません。お断りいたします」
「何だと!? 無礼な!」
「だって赤ちゃんでしょう? これからみんなでお食事をいただくというのに、最初から雰囲気を悪くするようなことをして。たとえ私のことが嫌いでも、感情を隠してその場をやり過ごす術を学ばなくてはね、マルフェン・スカルタ公子様」
「……うるさい! 誰かこの女をつまみ出せ!」
立ち上がり叫ぶ公子を、リュシアンは「マルフェン」と咎める。
さすが公爵。静かだが威厳に満ちた声に、マルフェンは大人しく座った。
悔しそうな顔で俯くマルフェン。リュシアンが「義母上に無礼を詫びなさい」と促すと、渋々「申し訳ございませんでした」と口にした。
カリーナはマルフェンをじっと見つめ、呆れたように応ずる。
「義理の母親をこの女呼ばわりするなど、相当無礼なことをしたわりには、心のこもっていない謝罪ですね。まあ一度目ですので、今回は許しましょう。あなたがまだ赤ちゃんだということがよくわかりましたので、今後はマルフェン坊ちゃまではなく、マルちゃんと呼ばせていただきます」
「マっ……」
マルフェンは顔を真っ赤にして、わなわなと震える。再び立ち上がりかけるが、リュシアンの険しい視線に気付き何とか堪えた。
さきほどから義母と兄のやり取りをチラチラと窺っていた公女は、「マルちゃん」呼びにふふっと笑ってしまい、マルフェンに睨まれていた。そんな公女に気付いたカリーナは、明るい口調でリュシアンへ言う。
「公爵様、お腹がペコペコなので、そろそろお食事をいただきませんか? 私とユリヤお嬢様、どちらのお腹が先に鳴り出すか、さっきからずっとドキドキしていますのよ」
突然自分の名を口にされ、公女は初めてカリーナと目を合わせる。ね? と同意を求められているような黒い瞳に、ユリヤはこくんと頷いた。
お祈りを済ませ、やっと運ばれてきた食事に、四人は黙々と手を付ける。
極上のステーキ肉に舌鼓を打つカリーナの前では、子どもたちがナイフとフォークに苦戦していた。何とか切って口に入れても咀嚼に時間がかかっている様子だ。
大人でも噛みごたえのある肉のため、幼い子どもには食べづらいのだろうとカリーナは思う。特にマルフェンは乳歯から永久歯に生え替わる年齢であり、あちこち歯が抜けているため、噛みちぎるのさえ難しそうだ。
切ることにも噛むことにも疲れてきたのか、マルフェンはとうとう手を滑らせ、ナイフを落としてしまった。
マルフェンはびくりと身体を震わせ、上座を見る。マナーに厳しいリュシアンの反応を窺い、怯えているのだ。
マルフェンを注意しようとリュシアンが口を開く前に、またまたカリーナが話し出した。
「公爵様。このお肉、弾力があってとっても美味しいのですが、子どもたちには少し固いようですわ。マルちゃんは歯がスカスカですし、ユリヤお嬢様はまだお口も小さいので。この立派すぎるお肉には、せっかく身に付けてこられたマナーを以てしても、太刀打ちできないと思われます」
リュシアンはすっかり空になった自分の皿と、まだほとんど減っていない子どもたちの皿を見比べ答える。
「それは……全然気が付かなかった。これが普通の固さかと。私は顎が丈夫なのだな」
素直なその言葉に、カリーナは思わず笑ってしまう。「お嬢様のお手伝いをさせていただいてもよろしいですか?」と許可を取ると、席を立ち、ユリヤの隣に座った。
カリーナはユリヤの口の大きさに合わせ、ステーキ肉を細かく切る。付け合わせのマッシュポテトと一緒にフォークに載せると、「はい、どうぞ」とユリヤの口元に差し出した。
ユリヤは躊躇いながらも口を開け、フォークを咥える。さっきよりも楽に咀嚼し飲み込むのを見て、カリーナは安心し席に戻ろうとした。だが、ユリヤがあーんと口を開けて次を待っているものだから、戻るに戻れなくなってしまう。仕方なく、肉がなくなるまで食べさせ続けた。
一方リュシアンも、マルフェンの皿を預かり、食べやすいように肉を切ってやっていた。
「これで食べられるか?」と皿を渡され、マルフェンは「はい。ありがとうございます」とはにかんだ。
夕食を終え部屋に戻ったカリーナは、すぐにタイトなドレスを脱ぎ捨て、ベッドに大の字で寝転がる。継母らしくなくても構わないから、食事の時はもっと楽なドレスにしましょうと考えたところでハッと気付いた。
(やだ……私ったら、つい余計なことをしちゃったじゃない。子どもたちが食べにくかろうが、ナイフを落として叱られようが放っておけばよかったのに)
どうしても働いてしまう長女気質と、保育士としての経験が恨めしい。こうしちゃいられない! なんとか挽回しなきゃ! とカリーナは勢いよく起き上がる。侍女を呼びつけ、仕立て屋と宝石商をできるだけ早く屋敷へ招くよう命じた。
翌日、子どもたちの朝食の皿には変化があった。大人たちの皿に比べ、ハムもスープの具材も食べやすいように下処理されていたのだ。
リュシアンが早速シェフに伝えてくれたのだろうと考え、カリーナは嬉しくなる。単なる甘やかしと捉えず、今の子どもたちにとって何を優先すべきであるかを理解してくれたからだ。何より、他人の意見を素直に取り入れることのできる、夫の心の広さに感心していた。
分厚いハムをご機嫌で頬張りながら、カリーナはまたハッとする。子どもたちの食事が改善されたことを喜んでどうする、最悪な継母になるんじゃないのかと。
夕べよりもいくらか態度が丸くなったマルフェンと、目が合うたびににこりと笑うユリヤに対し、カリーナはできるだけ恐ろしい笑みを浮かべ威嚇してみた。
夕べとは違い、何事もなく平和に朝食を終えると、リュシアンが言った。
「私はこの後、用事で出掛ける。夕方まで戻らないので、昼食は三人で摂るように」
カリーナはほくそ笑む。
ついに最悪な継母ぶりを発揮するチャンスが来たと──
昼になると、カリーナは待ってましたとばかりに、バスケットと敷物を手に庭へ出る。
(へへっ、子どもたちとなんか食べてやらないんだもんね! 一人でピクニックしちゃうもんね!)
ところが──
心地よい木陰に敷いた敷物の上。そこには、カリーナだけはでなく、仏頂面のマルフェンと笑顔のユリヤがちょこんと座っていた。




