13 黒い子ども
リュシアンと目が合ってしまったカリーナは、咄嗟に顔を伏せる。気持ちが昂ったせいか、手からは勝手にハロウィングッズが飛び出し、狭いこたつの中を埋めつくしていく。
このままでは窒息してしまうと焦ったリュシアンは、「おいで」と両腕を差し出す。カリーナはイヤイヤと抵抗するが、リュシアンの腕力には敵わず、呆気なくこたつの外へ引きずり出されてしまった。
身体はほかほかと温かいのに、頬を濡らしている涙は冷たい。そんなカリーナを、リュシアンはごく自然に抱き締める。ただ温めたいという一心で、震える背を撫で続けた。
こたつよりも温かいリュシアンの胸で、カリーナは思いきり泣く。なぜあんなに悲しかったのか、なぜこんなに切ないのか、自分でもよくわからなくなっていた。
心が温まり、涙が引いてくると、カリーナは口を尖らせて言った。
「やっぱりじゃごりこが食べたい。カントリーばばあは歯ごたえがなくて嫌。バニラ味もパンプキン味も嫌」
リュシアンは子どもみたいだなと笑いながらも、カリーナの頭を優しく撫でる。
カリーナを膝に抱いたまま、彼女が一番好きなじゃごりこブラックペッパー味の袋を開け、一本ずつ丁寧に食べさせた。
いつかは離婚する予定の契約妻に、なぜ自分はこんなことをしているのかと、リュシアンは真剣に考える。
彼女が泣けば胸が苦しくなるし、彼女を泣かせる何かから守ってやりたいと思う。この感情はどこから来ているのかと心に問えば──マルフェンやユリヤに対する気持ちと同じではないかという答えが返ってきた。
(そうか、この気持ちは育児に似ているんだ。彼女は自分より五歳も下だし、しっかりしているくせにどこか危なげで、放っておけないところがあるからな)
勝手に納得し安堵したリュシアンは、じゃごりこをカリーナの口へ運び続ける。時々触れてしまう彼女の柔らかい唇に、指先がじいんと痺れていることには気付かないふりをしながら。
じゃごりこの袋が空になった頃には、カリーナの身体の震えはすっかり収まっていた。
泣いていた理由を、リュシアンがやんわりと聞き出そうとしたその時、にわかに廊下が騒がしくなる。ドアを激しくノックする音と、緊張感を孕んだ使用人の声が同時に響いた。
「旦那様! シャルロットお嬢様が……」
部屋を飛び出し、さっき歩いたばかりの廊下を駆けながらカリーナは祈る。
(ねえ、これ、公爵様を落とすための、ロッティちゃんの演技よね? どうか、どうか演技でありますように)
シャルロットが眠るベッドサイドには既に医師がおり、苦しそうに瞼を閉じる彼女を、険しい顔で診察していた。
細い手首の脈を取り終えた医師は、ベッドサイドから離れ、リュシアンとカリーナへ廊下へ出るよう促す。ドアを閉めると、医師は力なく首を振り言った。
「一時的に苦痛を和らげる薬は処方できますが、積極的な治療はもう望めません」
「……やはりそうだったか。では、すぐに薬を飲ませて楽にしてやってくれ」
驚くほど冷静に指示するリュシアンに、カリーナはハッとする。医師が部屋へ戻り、二人きりになるなり、静かに尋ねた。
「公爵様、ご存知だったのですか?」
「ああ。ロッティの顔を見て、なんとなく予感していたんだ。……当たってほしくはなかったけれど。こっそり医師を呼んでおいて正解だったな」
軽い口調とは反対に、リュシアンの顔は青白い。思わず握った彼の手は、ついさっきまで自分を温めてくれていたとは信じられないほど冷たく、カリーナは怖くなった。
(嫌……死んだら嫌。だって……)
自分の中の黒い感情に気付いたカリーナは、床に跪き両手を組む。
(もし私が本当に偉大な魔女なら、ロッティちゃんを救う魔法を授けてください。他の魔法はいりません。一生じゃごりこを食べられなくても構いません。だから、どうか、どうかロッティちゃんだけは……)
とてとてとてとて。
一心不乱に祈り続けるカリーナの耳に、おかしな音が近付いてくる。
もしや……と顔を上げれば、まだ目覚めていなかった三体の使い魔のうちの一体、ミイラのぬいぐるみが、小走りでこちらへ向かっていた。
シャルロットの部屋のドアを難なくすり抜けるミイラに、リュシアンとカリーナは目を合わせ、急いでドアを開ける。
案の定、ミイラはシャルロットが眠るベッドへとまっすぐ向かい、白い両手を彼女へかざしていた。
シャルロットの身体が光に包まれ、ふわりと宙に浮く。ミイラの手からは白い包帯がするすると伸び、シャルロットの頭から爪先までを、ぐるぐると巻いていった。
(あんなに巻いちゃって大丈夫? 苦しくない?)
カリーナがそう心配したのも束の間、シャルロットを包んでいた包帯はするするとほどけ、ミイラの手へと戻っていく。シャルロットの身体は光とともにゆっくり下降し、再びベッドへ戻った。
みんなが固唾を呑む中、シャルロットはさっきとは打って変わって、穏やかな顔で眠っている。痩せていて血の気のなかった頬には、二十代の女性らしい健康的な肉が付き、ほんのり赤みも差している。口紅を塗って隠していた青い唇も、今は天然ものの艶々な桃色だ。
さらに美女度が上がったシャルロットにぼうっと見惚れていたカリーナだが、腕にぴょんと飛び込んできたミイラに、ふと我に返る。
薬草を調合する手を止め、同じくぼうっと事態を見守っていた医師へ向かい叫んだ。
「お医者様! ロッティちゃんを診察してみてください!」
診察の結果──シャルロットは『至って健康』だった。
全身を蝕んでいた病巣は跡形もなく消え去り、ただぐっすり眠っているだけだと告げられる。
「奥様、お嬢様を助けてくださりありがとうございます!」
治癒魔法でシャルロットの病を治したミイラのぬいぐるみと、それを創り出したカリーナに誰もが礼を言う。
しかしカリーナは、浮かない顔で歓喜の輪を離れ、すやすや眠るミイラ男を抱いて自分の部屋へと戻った。
カリーナの様子がおかしいことに気付いたリュシアンは、シャルロットを使用人らに任せ、すぐに彼女を追ってきた。
「カリーナ」
ミイラ男を抱いたまま窓辺に立つカリーナに、リュシアンは近付いていく。彼女の顔を覗き込めば、やはり黒い瞳には涙が浮かんでいた。
リュシアンはカリーナの両肩に手を置き、自分の方へ向かせると、優しい声音で語り掛ける。
「カリーナ。何が君を泣かせているのか、私に教えてくれないか? 君がこうして一人で苦しんでいるのを見ると……私も堪らなく苦しくなるんだ」
その言葉に、カリーナの涙腺は決壊し、頬へと涙が伝う。ぶるりと肩を震わせ、消え入りそうな声で答えた。
「私……髪の毛や目だけじゃなくて、心も真っ黒なんです。私がロッティちゃんに死んでほしくないと思ったのは、ロッティちゃんのことを想ってなんかじゃなくて、自分のためだから」
「……どういうことだ?」
「だって、死んだら永遠になってしまうでしょう? どんなに私が良い……母親になろうとしても、死んでしまった人には敵わないもの。だから、生きていてほしかったの」
──公爵様の心の中に、ロッティちゃんを残したくなかった。
そんな本当の気持ちは言えなかった。
健康になったシャルロットを見て、治さなければよかったと後悔してしまったことも……リュシアンへの想いに気付いてしまったことも。
全てを吐き出せないのだから、楽になれるわけなどない。涙はどんどん大粒になり、腕の中のミイラの包帯へと染みていく。
カリーナの涙にリュシアンもさらに苦しくなり、ミイラごと彼女を強く抱き締めた。
「あなたは良い母親だよ。誰も敵わない」
前なら嬉しかったはずの言葉も、今のカリーナにとってはただ切なく響く。
カリーナはリュシアンの胸を押し、温かな腕からすり抜けると、笑顔をつくり明るく言った。
「ロッティちゃんの傍にいてあげてください。目が覚めたら、どこもかしこも快適になりすぎていて、きっと驚いちゃうでしょうから」




