第2章 第17話
天界に限りなく近い山は、空気が薄い。
そして、修行をするには適した環境だった。
俗世から離れた環境で、静かで邪魔もないからだ。
明紅は一人で修練に励み、毎日を過ごしていた。
そんなある日、明紅の縄張りである山の麓に誰かが来たような気配を感じた。
朱亮が清陽か、もしくは春蕾かと考えていたが、どうにも違和感のある雰囲気で、修練を途中でやめて麓へと向かった。
何者かがいる場所へと向かうと、そこにはあたりをきょろきょろと見渡している一人の少年がいたのだ。
まだ幼いような見た目をしている。十か、まだ十にも満たないぐらいだろう。
明紅は「誰だ」と声をかけた。その言葉にその少年はこちらを向いた。
「えっと、ここはどこですか?」
「妖鬼界だ。人が来て良い場所ではない」
そこまで言ってみたが、明紅には人ではないものの気配をその少年から感じていた。
人間以外の血を感じるのだ。
むしろ、人よりも濃い、妖の気配すら感じる。不思議な感覚だった。
「ええ、ここが? 俺、なんか勝手にここ来ちゃって……」
「勝手に? どういうことだ」
「瞑想をしていました。そこで……ここの風景が勝手に頭によぎって、綺麗だなって意識を集中してみていたんです。眠ってしまったのかもと勝手に思っていました」
「瞑想していたらここに?」
「はい……あの、どうやったら帰れますか?」
「こっちに来なさい」
仕方がないとため息をついた。明紅は家に少年を連れてくると、長椅子に座らせた。
「名前は?」
「胡明然です」
「胡明然?」
一文字に「明」が入っていると嫌でも自分の同じ血筋が入っているのではないかと勘繰ってしまう。
これは明櫻の存在を知ったことの影響だろう。
しかし、人間界で「明」の名前を持つ人など大勢いる。
気にする必要はない。
そう思ったとしても、この人とも妖とも言い切れないこの少年から察するに、あり得ない話ではなかった。
「家は?」
「えっと……家っていうか……うーん、なんて言えばいいんだろう」
その少年が考え込んだ瞬間、明紅の頭の中にあまりにも鮮明な映像が入り込んできた。
大人になった明然が皇帝しか座ることの許されていない玉座に座っていたのだ。
その瞬間、今の王朝が裴ではないのではないかと察する。もしかして──。
「明然、君の一族は皇族か?」
「え、なぜそれを?」
「ここに住んでいるのがどういう存在なのか知らないのか?」
「知りません」
自己紹介するのは苦手である。自分は偉いのだと言いたいのだと思われそうだから。
「……天狐さまは知っているか? 妖狐の神様だ」
「はい」
「その補佐をしている」
「もしかして、明紅陽さま?」
本名を知られていたことに目を丸くした。
「なぜ」
「父の知り合いに聞きました。裴王朝を倒すのに手を貸してくれたのは明紅陽さまだと。天狐さまの補佐役だと」
「……誰だ、それ」
明紅は普段本名を教えることはしない。だから、明紅陽という字を知っていることさえおかしいのだ。
「えっと……名前は分かりません。でも、裴王朝の皇太子だった方だそうです」
明紅は目を見開いた。
あの皇太子。
──裴弦。
なぜ知っているんだろう? 名前を教えたことはない。
もしかしたら朱亮が教えたのだろうか?
しかし、朱亮が明紅の名前を教えることはしないと明紅は理解していた。
なぜなら朱亮は普段そこまで関わらない相手には偽名を使っていることを知っているからだ。
意味が分からなかった。
「……まあ、いい。とりあえず……こっちに来ることができたら戻ることはできる。戻れなかったら家まで送る。いいね?」
「はい」
「目を閉じて」
そう言って明紅は移動したい場所へ転送する術を教えた。しかし──。
すべてを教えても、その少年はその場所に居続け、明紅は苦笑いした。
「送っていくよ」
そうため息をつくと、少年はしょんぼりしながら「ごめんなさい」と謝ったのだった。




