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第八十七話 導かれる先



「リリアーナ?大丈夫?少し押さえて。すぐに血は止まるから。」


「……ありがとうございます。」


震える声で礼を言う。


白いハンカチへ、小さな赤い染みが広がっていく。


「痛む?」


「いえ……これくらいでしたら。」


そう答えながらも、リリアーナの視線はワイングラスから離れなかった。


そこには今もなお、細いひび割れが浮かんでいる。


誰も気付かない。


給仕も、不思議そうな表情すら見せない。


まるで、最初から何もなかったかのように。


(やっぱり……。)


胸の奥が冷えていく。


(今までとは違う。)


鏡に浮かんだひび。


ガラス細工に走った亀裂。


あの時は、何度触れても何も起きなかった。


表面は滑らかで、傷一つ付かなかった。


だから、自分だけが見ている幻なのだと、自分に言い聞かせることができた。


なのに――。


今日は違う。


確かに、傷ついた。


この世界の異変が、自分へ触れ始めた。


「顔色が悪い。」


エリアスが心配そうに覗き込む。


「少し外の空気を吸おうか。」


「……大丈夫です。」


そう答えた瞬間だった。






【デテイケ】


耳の奥で、低い声が響く。





リリアーナの身体が小さく震えた。




(また……。)


【デテイケ】





一度では終わらない。


頭の中へ直接流し込まれるような、不気味な声。





まるで何かに急かされるように。


まるで命令するように。


「リリアーナ?」


エリアスがそっと肩へ手を添える。


その温もりに、意識が現実へ引き戻された。


「本当に大丈夫?」


「……はい。」


笑おうとする。


けれど頬は強張り、うまく笑えない。


その時、会場が小さくざわめいた。


「あれが……。」


「今年の社交界デビューの方ね。」


人々の視線が、一人の少女へ集まる。


淡い空色のドレス。


光を受けて輝く金色の髪。


優しく微笑みながら一礼する少女――オリヴィアだった。






その姿を見た瞬間、リリアーナの胸が大きく脈打つ。


昨夜の夢。


ゲームの画面。


何度も見てきたあの場面。


すべてが、目の前の現実と重なっていく。





(始まる……。)


その言葉が胸をよぎった瞬間――


【チカヅケ】


今までとは違う命令が、耳の奥に響いた。


リリアーナの瞳が、大きく見開かれる。


「――っ!」





知らず知らずのうちに、その足が一歩、オリヴィアの方へ踏み出していた。

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