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第八十三話 旅立ちの刻



「リリアーナ様、お時間でございます。」





コンコン、と扉が叩かれ、クララの穏やかな声が部屋に響いた。


「ええ。」


リリアーナは静かに返事をすると、ゆっくりと立ち上がる。




侍女たちは最後の身支度を整え、ドレスの裾を丁寧に広げた。





白を基調としたドレス。


胸元から袖、裾へと施された淡い紫の刺繍は、可憐でありながら気品に満ちている。


最後にダークプラムの髪へ紫水晶の髪飾りが添えられると、クララは満足そうに微笑んだ。





「お支度が整いました。」


リリアーナは鏡の前へ立つ。







そこに映るのは、幼い頃の面影を残しながらも、美しく成長した一人の令嬢。




今日、この姿で社交界デビューを迎える。


けれど胸の奥には、昨夜の夢がまだ色濃く残っていた。


赤く染まる空色のドレス。


静まり返る会場。


そして、自分の口から放たれた冷たい言葉。





「……私は、あのリリアーナじゃない。」





鏡の中の自分を真っ直ぐ見つめ、小さく呟く。




「必ず……運命を変える。」


その瞳には、迷いではなく決意が宿っていた。







部屋を出ると、廊下にはアルディス公爵夫妻とルシアンが待っていた。


「お待たせいたしました。」


リリアーナが優雅に一礼すると、母は思わず息をのむ。




「まあ……。」


ゆっくりと歩み寄り、娘の姿を愛おしそうに見つめた。


「本当に綺麗……。こんな日が来るなんて。」


目元を潤ませる母に、リリアーナは照れたように微笑む。


「お母様。」


「少し大げさですよ。」


「大げさじゃないわ。」


母は優しく頬へ手を添えた。


「あなたは私たちの宝物ですもの。」


その言葉に胸が温かくなる。


「ありがとうございます。」


父も穏やかに頷いた。


「よく似合っているよ。リリアーナ」今日の主役は君たち若者だ。思い切り楽しんでおいで。」


「はい、お父様。」


リリアーナは嬉しそうに微笑む。




その隣で、ルシアンが妹の姿をじっと見つめていた。


「……綺麗だよ。リリィ」


少し照れたように笑う。


「正直、昔みたいに一緒に庭を駆け回っていた妹と同じ人物とは思えないな。」


「もう、お兄様。」


リリアーナがくすりと笑う。


ルシアンは妹の前へ歩み寄ると、髪飾りをそっと見つめた。


「少しだけ曲がってる。」


そう言って、優しく位置を整える。


「これで完璧。」


「ありがとう。」


「緊張してる?」


「少しだけ。」



素直に答えると、ルシアンは安心させるように微笑んだ。


「大丈夫。いつものリリィでいればいい。」


その言葉に、張りつめていた心が少しだけ軽くなる。


「お兄様、ありがとうございます。」


リリアーナは静かに頷いた。





一階の玄関へ向かうと、執事のオーウェンをはじめ、使用人たちが整列して待っていた。


リリアーナが姿を見せると、一斉に頭が下がる。


「リリアーナ様。」


「社交界デビュー、誠におめでとうございます。」


「ありがとうございます。」


リリアーナは一人ひとりの顔を見つめながら微笑んだ。


幼い頃から支えてくれた、大切な人たち。



その温かな祝福が胸に染みる。




オーウェンが静かに玄関の扉を開く。





外には、夕暮れの景色が広がっていた。


西の空は茜色から群青へと移ろい始め、庭園には柔らかな灯りがともっている。


屋敷の前には、アルディス公爵家の紋章を掲げた馬車が静かに待っていた。


リリアーナは夕焼けに染まる空を見上げ、小さく息を吸う。






いよいよ、この夜が始まる。


運命に抗うための、最初の一歩が。

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