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第八十話 春を纏う日





「ゆっくり運んでください。」


侍女たちは慎重な足取りで、大きな箱を衣装部屋へ運び入れていた。


箱には王都でも名高い仕立て工房の紋章が刻まれている。


「こちらへ。」


クララが静かに指示を出すと、侍女たちは箱を部屋の中央へと下ろした。


「傷はありませんね。」


「はい。問題ございません。」


確認を終えたクララは、ほっと胸を撫で下ろす。


「ようやく、お届けすることができますね。」


その言葉に、侍女たちも嬉しそうに顔を見合わせた。


社交界デビューの日のためだけに仕立てられた一着。


公爵家にとっても、待ち望んだ瞬間だった。


「開けてもよろしいでしょうか。」


部屋へ姿を現したリリアーナは、箱を見つめながら小さく頷く。


「お願いします。」


留め具が外され、蓋がゆっくりと持ち上げられる。


丁寧に重ねられた白い布を一枚ずつ外していくと、その奥から純白のドレスが姿を現した。


「……。」


誰も言葉を発しない。


白を基調とした清楚なドレス。


胸元や袖、裾には淡い紫の刺繍が繊細に施され、一針一針に職人の技が宿っている。


決して華美ではない。


それでも、その場にいる誰もが目を奪われるほどの気品があった。


「素敵……。」


リリアーナは思わず小さく呟いた。


デザイン画を見た時も胸が高鳴った。


けれど、実際に完成した姿は、その何倍も美しい。


「職人の皆様も、最後まで何度も刺繍の色合いを調整されたそうです。」


クララが優しく微笑む。


「リリアーナ様に、一番お似合いになるようにと。」


リリアーナはそっとドレスへ手を伸ばした。


指先に伝わる上質な生地の感触。


思わず笑みがこぼれる。


「着てみてもよろしいですか?」


「もちろんでございます。」


侍女たちに手伝われながら、一つひとつ身支度を整えていく。


ドレスを身に纏い、背中の編み上げを結び終えると、最後に髪飾りが添えられた。


「お仕度が整いました。」


クララに促され、鏡の前へ立つ。


鏡の中には、白いドレスを纏った少女がいた。


幼さは残りながらも、その姿には公爵令嬢としての品格が宿っている。


「……本当に、私なの?」


思わず漏れた言葉に、侍女たちは笑みを浮かべた。


前世の記憶が静かによみがえる。


ゲームでも、この衣装を身に纏う場面はあった。


けれど、あのリリアーナはいつも険しい表情を浮かべていた。


今、鏡に映る自分は違う。


自然と笑みが浮かんでいる。


それはきっと、大切な人たちがそばにいてくれるから。


「皆様がお待ちですよ。」


クララの言葉に頷き、応接室へ向かう。


扉が開くと、お父様、お母様、そしてルシアンが揃っていた。


一歩、また一歩と歩みを進める。


最初に微笑んだのは、お母様だった。


「……本当に綺麗。」


目を潤ませながら、ゆっくりと近づき、リリアーナの手を包む。


「まるで昨日まで、私の後ろをついて歩いていた小さな女の子だったのに。」


「もう、こんなに素敵なレディになったのね。」


「お母様……。」


お父様も穏やかに頷く。


「アルディス公爵家の娘として、誇らしいよ。」


その言葉に、リリアーナは少し照れくさそうに笑った。


ふと視線を向けると、ルシアンだけが腕を組んだまま黙っている。


「兄様?」


声を掛けられ、ルシアンは小さく息をついた。


「……困った。」


「え?」


「社交界の連中には、妹へ近づくなと言って回らないと。」


真剣な表情に、お母様がくすりと笑う。


「ルシアン。」


「冗談ではありません。」


そう返しながらも、ルシアンは照れたように頭を掻いた。


そして、リリアーナへ真っ直ぐ視線を向ける。


「……よく似合ってる。」


短いその一言に、何より兄らしい優しさが込められていた。


「ありがとう、兄様。」


自然と笑顔がこぼれる。



✳✳✳✳✳✳✳✳



その頃、王宮でもまた、一着の礼装が完成していた。


漆黒を基調とした王太子の礼装。


胸元には紫の刺繍が施され、胸ポケットには同じ色のポケットチーフが添えられている。


鏡に映る自分の姿を見つめたエリアスは、胸元へそっと手を添えた。


「……これでいい。」


隣に並ぶ白いドレスを思い浮かべながら、穏やかに微笑む。


二人がその姿で向かい合う日まで、あと少しだった。

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