第七十七話 知ると言う事【前編】
ヴィンセントのお話 前編
ヴィンセントは廊下を歩きながら、ふと足を止めた。
少し先に、リリアーナの姿が見えた。
王太子殿下――エリアスと別れたばかりなのだろう。
微笑みながら歩いている。
……いや。
「違う。」
ほんの一瞬。
その笑顔が消えた。
何かを考えるように視線を伏せ、すぐにまたいつもの穏やかな表情へ戻る。
見間違いだろうか。
いや、違う。
確かに見えた。
(何か、ありましたか……?)
理由は分からない。
何に悩んでいるのかも分からない。
だが、何かを抱えているように見えた。
「リリアーナ嬢。」
声を掛けると、彼女は振り返った。
「あら、ヴィンセント様。」
いつもの笑顔。
先ほど感じた違和感など、最初から存在しなかったかのような穏やかな微笑みだった。
「今日は図書室へ行かれるのですか?」
「はい。少し本を借りようと思いまして。」
「どのような本を?」
「薬草について書かれた本です。」
「最近は薬草の本をよく読まれているのですね。」
「ふふ。読めば読むほど、新しい発見がありますから。」
いつものように会話が続く。
質問をすれば、リリアーナは丁寧に答えてくれる。
それなのに。
(……違う。)
私が知りたいことは、それではない。
薬草のことでも、本のことでもない。
先ほど、一瞬だけ見えた表情。
あれは何だったのだろう。
「ヴィンセント様?」
「……失礼しました。」
考え込んでしまっていたらしい。
リリアーナは心配そうに首を傾げている。
「いえ、何でもありません。」
そう答えるしかなかった。
何を聞けばいいのか分からない。
何を知りたいのかは分かっている。
だが、それをどう尋ねればいいのかが分からないのだ。
人を知ることは好きだ。
だから私は質問をする。
好きなもの。
苦手なもの。
趣味。
考え方。
そうして少しずつ、その人を理解してきたつもりだった。
けれど。
(人は、それだけでは分からないのですね。)
初めて、そんなことを思った。
リリアーナは笑顔で別れの挨拶をし、廊下の向こうへ歩いていく。
その背中を見送りながら、私は静かに息を吐いた。
(もっと……。)
(もっと、リリアーナ嬢のことを知りたい。)




