第三十五話 揺れる未来
学園から戻ったリリアーナは、自室で制服を脱ぎながら、小さく息をついた。
ここ数日は心も身体も張り詰めていたせいか、アルディス公爵家へ帰ると自然と肩の力が抜けていく。
窓の外では夕暮れの陽射しが庭園を優しく照らし、穏やかな風がレースのカーテンを揺らしていた。
コンコン――。
「リリアーナ。」
優しい声とともに、お母様が部屋へ入ってくる。
「少しお時間いいかしら?」
「はい、お母様。」
リリアーナがソファへ腰掛けると、お母様は一通の招待状を差し出した。
王家の紋章が金箔で美しく刻まれた、気品ある封筒だった。
「来週、王宮でお茶会が開かれるの。」
「王宮で……。」
「ええ。王家主催のお茶会よ。アルディス公爵家にも招待状が届いたわ。」
リリアーナは静かに頷く。
王宮のお茶会――。
それは王族や高位貴族が集う、華やかな社交の場。
前世のゲームでも、物語の流れが少しずつ動き始める、大切なイベントの一つだった。
「せっかくだもの。新しいドレスを仕立てましょう。」
「新しいドレスですか。」
「ええ。どんな色がお好き?」
不意の問い掛けに、リリアーナは少しだけ考える。
そして、柔らかく微笑んだ。
「そうですね…紫です。」
「紫?」
「はい。」
その紫は、ただ濃いだけではない。
夜空のような深い紫から、ラベンダーのような淡い紫へ――。
夜から明けてくる空の色の様な色
太陽が昇っていく空の色は
私の希望の色
そんな色が自然と心に浮かんでいた。
お母様は目を細め、優しく微笑む。
「とても素敵ね。あなたにぴったりだわ。」
「お嬢様にお似合いです!」
クララも嬉しそうに頷いた。
「金糸の刺繍を施し、胸元にはアメジストをあしらえてはいかがでしょう。グラデーションの生地なら、より気品が引き立ちます。」
リリアーナの瞳が少しだけ輝く。
「……素敵ですね。あの、でも胸元にはエリアス殿下から頂いたブローチを着けたいんです」
そんなリリアーナの言葉に母のエレノアも自然と笑みがこぼれた。
どんな未来が待っていても。
お母様と笑い合い、クララと他愛ない話をする、この穏やかな時間だけは変わらない。
その温もりが、張り詰めていた心を少しずつ解きほぐしていくのだった。
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もう外は暗くなっていた
誰もいなくなった部屋でリリアーナは、静かに窓辺へ歩み寄る。
夜風が髪を揺らし、月明かりが庭園を淡く照らしていた。
リリアーナは目を閉じる。
(次のゲームイベントは……。)
運命を変えるためには、未来を知らなければならない。
そう思い、前世の記憶を辿った、その瞬間――。
ズキッ――。
鋭い痛みが頭の奥を貫いた。
思わず息を呑む。
視界が白く染まり、意識がゆっくりと遠のいていく。
そして――。
そこには、前世で何度も見たゲームのオープニングが映し出されていた。
風に揺れる花びら。
陽光に包まれた王立学園。
笑顔で歩くオリヴィア。
穏やかに微笑むエリアス殿下。
楽しそうに語り合う仲間たち。
優しい音楽が世界を包み込み、誰もが幸せそうな時間を過ごしている。
しかし、その景色はゆっくりと色を失っていく。
光が消え、世界は静かな闇へと変わった。
そこに現れたのは――。
豪華な紫のドレスを身にまとった、一人の少女。
リリアーナ・アルディス。
涙で潤んだ紫の瞳。
震える唇。
何かを必死に訴えている。
周囲には、大勢の貴族たち。
向けられる冷たい視線。
誰かがリリアーナへ言葉を告げている。
けれど、その声だけは聞こえない。
映像だけが、静かに流れ続ける。
そして――。
リリアーナは力なく膝をついた。
美しい紫のドレスの裾が床へ広がり、その姿だけが鮮明に焼き付く。
「……っ!」
勢いよく目を開く。
呼吸が浅くなる。
胸が苦しい。
何度も何度も首を横へ振る。
「違う……。」
小さく呟く。
「違う。」
あの日のリリアーナとは、もう違う。
オリヴィアと交わした言葉。
温室で見つけた一本のひび。
自分の意思で選び、自分の言葉で紡いできた日々。
未来は、少しずつ変わり始めている。
リリアーナは静かに胸へ手を当てた。
「……大丈夫。」
その声は小さい。
けれど、確かな強さを宿していた。
「運命は、変えられる。」
窓の外では、満月が静かに夜空を照らしている。
揺れていた未来は、まだ誰にも決められていない。
だからこそ。
リリアーナは、その未来を自らの手で切り開くことを、静かに心へ誓うのだった。




