第三十話 静かな侵食
入学してから数日。
リリアーナは少しずつ学園生活にも慣れ始め、セレナやクラスメイトたちと穏やかな時間を過ごしていた。
「リリアーナ様、この問題ですが……。」
「ここは、この式になります。」
「なるほど!」
「ありがとうございます!」
昼休みになれば、笑い声が聞こえる。
最初は遠慮がちだったクラスメイトたちも、今では自然とリリアーナの周りへ集まるようになっていた。
「今日はお天気も良いですし、中庭で昼食をいただきませんか?」
「いいですね。」
「私もご一緒してもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。」
穏やかな笑顔。
何気ない会話。
昼食を終えた帰り道。
回廊を歩いていると、向こうからエリアス殿下が歩いてくる。
「リリアーナ。」
「エリアス殿下。」
自然と笑みがこぼれる。
「少しは慣れたみたいだね。」
「はい。皆様、とても親切にしてくださいます。」
「それは良かった。」
その優しい笑顔に、リリアーナも安心したように微笑んだ。
その時だった。
頭の奥で。
【……ダレモコナイデ】
「……っ。」
(また……。)
けれど、それはすぐに消えてしまった。
「どうかした?」
「……いえ。」
「何でもありません。」
そう答えたものの、胸の奥には小さなざわめきが残っていた。
✳✳✳✳✳✳
午後の授業。
教師が教壇へ立ち、教室を見渡す。
「それでは、本日の授業を始めます。」
リリアーナは教科書へ視線を落とした。
その瞬間。
ズキッ――。
鋭い痛みが頭を貫く。
「……っ!」
思わず机へ手をつく。
視界が大きく揺らいだ。
(また……!)
次の瞬間。
目の前の景色が白く染まっていく。
そこは――。
教室だった。
今いる教室と同じ。
けれど、どこか懐かしい。
教師が教壇に立ち、穏やかな声で告げる。
『皆さんに、お知らせがあります。』
教室がざわつく。
『本日より、一名、このクラスへ編入することになりました。』
扉が開く。
一人の少女が、静かに教室へ入ってくる。
長い髪が春風に揺れる。
制服姿の後ろ姿。
少女は教師に促され、ゆっくりと教室の中央へ歩み出る。
『それでは、自己紹介を。』
少女が、ゆっくりと振り返る。
その瞬間――。
映像は、ぷつりと途切れた。
「っ……!」
激しい頭痛に襲われ、リリアーナは思わず頭を押さえた。
呼吸が浅くなる。
胸が苦しい。
「リリアーナ様!」
隣にいたセレナが慌てて立ち上がる。
「先生!」
教師もすぐに駆け寄った。
「リリアーナ嬢、大丈夫ですか?!」
「は……い……。」
そう答えるだけで精一杯だった。
額にはうっすらと汗が滲んでいる。
「医務室へ行きましょう!」
「いえ……少し休めば……。」
立ち上がろうとした瞬間、ふらりと身体が揺れる。
セレナが慌てて支えた。
「無理をなさらないでください…」
「ありがとうございます……。」
ゆっくり深呼吸を繰り返す。
すると、頭痛は少しずつ落ち着いていった。
だが。
胸の鼓動だけは、いつまでも速いままだった。
(今のは……。)
間違いない。
前世で何度も見たゲームのイベント。
(ゲームの記憶……。)
リリアーナは静かに息を呑む。
そして、一つの確信が胸をよぎった。
(イベントの前に……。)
(記憶が戻っている……。)
授業が終わっても、その映像は頭から離れなかった。
少女の後ろ姿。
振り返ろうとした瞬間に消えた映像。
見えなかった顔。
それでも、リリアーナには分かっていた。
「……もうすぐ。」
小さく呟く。
「ヒロインが、現れる。」




