第二十九話 私ではない私
翌朝――。
リリアーナは、いつもより少し早く目を覚ました。
窓から差し込む朝日を見つめながら、昨日の出来事を思い返す。
セレナの、あの一言。
『あなたは悪役令嬢です。』
あれは一体、何だったのだろう。
考えても答えは見つからない。
「お嬢様、お時間でございます。」
クララの声に我へ返ると、リリアーナは小さく笑みを浮かべた。
「ええ。今行くわ。」
学園へ着くと、セレナは昨日のことなど忘れてしまったかのように、いつも通り笑顔で駆け寄ってきた。
「おはようございます、リリアーナ様!」
「おはようございます。」
その笑顔を見て、リリアーナは少し安心する。
(やっぱり、考えすぎだったのかもしれないわね。)
昼休み。
リリアーナは回廊を歩いていた。
向こうから、エリアス殿下が歩いてくる。
「リリアーナ。」
「エリアス殿下。」
自然と笑みがこぼれる。
「学園生活には慣れた?」
「ええ。皆様、とても親切にしてくださいます。」
穏やかな時間。
その時だった。
数人の令嬢が、嬉しそうにエリアス殿下へ駆け寄る。
「エリアス殿下!」
「ごきげんよう。」
「ごきげんよう。」
エリアス殿下は優しく微笑み、一人ひとりへ挨拶を返される。
その笑顔を見た瞬間。
胸の奥が、小さく疼いた。
(……え?)
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
その笑顔を向けられた令嬢たちが、気に入らないと思ってしまった。
(違う……。)
(私は、そんなこと……。)
その時。
頭の奥で、何かが囁いた。
【……ナ】
「……っ!」
思わず足を止める。
今のは、何。
誰の声。
聞き間違い……?
次の瞬間。
【チカヅクナ……】
頭の中へ直接流れ込んでくるような声。
リリアーナは思わず耳を押さえた。
「リリアーナ?」
エリアス殿下が心配そうに声をかける。
【エリアス殿下ニ…チカヅクナ!】
「……っ!」
その声と同時に、頭の中の声はふっと消えた。
「申し訳ございません。少し、立ちくらみが……。」
エリアス殿下は心配そうに眉を寄せられる。
「医務室へ行く?」
「大丈夫です。」
リリアーナは微笑んでみせた。
けれど、その笑顔はどこかぎこちなかった。
帰宅後。
夕食を終え、自室へ戻る。
静かな部屋。
誰もいない。
ベッドへ腰掛けると、昼間の出来事が何度も頭をよぎる。
(あの声……。)
聞き覚えのない声だった。
けれど、不思議と耳ではなく、
頭の中へ直接響いていた気がする。
「気のせい……よね。」
そう呟いても、胸のざわめきは消えなかった。
リリアーナは静かに目を閉じる。
胸の奥に残る小さな違和感だけが、
ゆっくりと静寂の中へ溶けていった。




