第十八話 想いを届けて【後編】
王宮のお茶会当日。
春の陽射しがやわらかく庭を照らし、色とりどりの花々が風に揺れていた。
王妃様とのご挨拶を終えると、私は大切に抱えていた箱を胸の前でぎゅっと抱きしめる。
少しだけ緊張する。
(喜んでくださるかしら……。)
すると、その様子に気づいたエリアス殿下が優しく微笑まれた。
「リリアーナ。
今日は何か持ってきたの?」
私は照れながら、小さく頷く。
「殿下へ、お渡ししたいものがあります。」
そう言って箱を差し出すと、エリアス殿下は驚いたように目を丸くされた。
「僕に?」
「はい。」
「クララと一緒に作ったクッキーです。」
エリアス殿下は箱を受け取り、とても嬉しそうに笑われた。
「ありがとう。開けてもいい?」
私は少し緊張しながら頷く。
箱を開けると、丸いものや少し形の違うクッキーがきれいに並んでいた。
「わぁ!美味しそう!」
「初めて作ったので、少し形が違いますけれど……。」
エリアス殿下は一枚手に取り、ゆっくりと口へ運ぶ。
私は思わず息を止めた。
「……おいしい。」
その一言に、胸の奥がふわっと軽くなる。
「本当?」
「うん。すごくおいしい。また食べたいな!」
私は嬉しくて、思わず笑みがこぼれた。
「ありがとうございます!」
その後、お茶会が始まり、王妃様やお母様との会話を楽しんだあと、私はエリアス殿下と湖のほとりを散歩することになった。
春風が湖面を優しく揺らしている。
木陰に腰を下ろし、二人で残りのクッキーをいただく。
穏やかな時間だった。
「リリアーナ。口元についてるよ。」
「えっ?」
慌てて頬へ手をやる私を見て、エリアス殿下はくすっと笑う。
「動かないで。」
そう言って胸元から取り出したのは、蝶々の刺繍が入ったハンカチだった。
五歳の春に私が贈った、大切なハンカチ。
その蝶々を見て、思わず嬉しくなる。
「まだ使ってくださっていたのですね。」
「もちろん。大切な宝物だから。」
そう微笑んだ、その時だった。
風がふわりと吹き抜ける。
「あっ!」
ハンカチが風にさらわれ、空高く舞い上がる。
私は反射的に手を伸ばいた。
「待って!」
蝶々が羽ばたくように舞うハンカチは、そのまま湖の方へ流されていく。
あと少し。
そう思って踏み出した瞬間。
足元の土が崩れた。
「きゃっ……!」
体が大きく傾く。
冷たい水が全身を包み込んだ。
「リリアーナ!!」
エリアス殿下の叫び声が響く。
迷うことなく湖へ飛び込む姿が、一瞬だけ見えた。
――それからのことは、覚えていない。
気がつくと、遠くから誰かの声が聞こえてきた。
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「リリアーナ……。」
「お願いだから……。」
涙まじりの声。
ゆっくりと瞼を開く。
ぼんやりと見えたのは、真っ赤に目を腫らしたエリアス殿下だった。
「……殿下?」
その一言で、張りつめていた糸が切れたようだった。
エリアス殿下は私を強く抱きしめる。
「よかった……!」
「本当に……生きていてよかった……!」
肩が震えている。
私はそっと、その背中へ手を回した。
「ご心配をおかけして、ごめんなさい……。」
しばらく二人とも何も言えなかった。
やがて少し落ち着いた頃、エリアス殿下がふと思い出したようにポケットへ手を入れる。
「そうだ。」
取り出したのは、小さく崩れ、すっかり濡れてしまったクッキーだった。
「……こんなになっちゃった。
でも……。
せっかくリリアーナが作ってくれたから。
捨てたくなかったんだ。」
私は目を見開いた。
胸がいっぱいになり、涙があふれてくる。
けれど、その涙は悲しくて流れるものではなかった。
私は涙をこぼしながら、精一杯微笑んだ。
「ありがとうございます…っ、殿下…
また、殿下のためにお作りします。」
その笑顔を見た瞬間。
エリアスの胸は、今まで感じたことのないほど強く締めつけられた。
失いたくない。
その笑顔を、ずっと守りたい。
その想いが、静かに胸いっぱいに広がっていく。
けれど、まだ幼いエリアスは、その気持ちの名前を知らなかった。




