第150話 選んだ未来
砕け散ったガラスの向こう。
そこには、何もなかった。
白く広がる空間。
果ての見えない静寂。
音さえ存在しない世界で、リリアーナは一人、立っていた。
「……ここは。」
仲間たちの姿はない。
エリアスも。
セドリックも。
ヴィンセントも。
フィンも。
オリヴィアも。
誰もいない。
静寂だけが、世界を包んでいた。
その時だった。
頭の奥で、聞き慣れた声が響く。
【悪役令嬢】
リリアーナはゆっくりと目を閉じる。
「……やはり、最後はあなたなのですね。」
返事はない。
ただ、機械のように同じ言葉だけが繰り返される。
【悪役令嬢】
【断罪】
【排除】
リリアーナは静かに首を横へ振った。
「私は。」
小さく息を吸う。
「悪役令嬢ではありません。」
【否定】
【誤り】
【悪役令嬢】
【断罪】
【排除】
「違います。」
今度は、はっきりと。
迷いなく言った。
「私は誰かを傷付けるために生まれてきたのではありません。」
静寂。
「私は誰かを笑顔にしたくて、大切な人を守りたくて、そのために生きてきました。」
頭の奥で、微かなノイズが走る。
【……】
【……】
それでも声は続く。
【役割】
【悪役令嬢】
【世界】
リリアーナは優しく微笑んだ。
「役割は誰かに決めてもらうものではありません。」
「自分で選ぶものです。」
風もない世界。
それでも、長い髪がふわりと揺れた。
「エリアス様が教えてくださいました。」
「セドリック様が信じてくださいました。」
「ヴィンセント様は、私を知ろうとしてくれました。」
「フィン様は、友達だと言ってくれました。」
リリアーナは思い出したかの様に少し微笑む。
そして、一番優しく。
「オリヴィア様は…」
涙が一粒こぼれる。
「ゲームでは、きっと私と敵同士になるはずだった方です。それでも、この世界では私に手を差し伸べてくださいました。」
「友達になってくださいました。」
空を見上げる。
「私は、その手が……本当に嬉しかったんです。」
一人ひとりの顔が浮かぶ。
温かな笑顔。
優しい言葉。
差し伸べられた手。
リリアーナの瞳に涙が滲む。
「私は一人ではありません。みんながいました。」
「だから。」
胸へそっと手を当てる。
「私は、ここまで歩いてこられました。」
長い沈黙が訪れる。
頭の中には、何も響かない。
リリアーナは静かに続けた。
「人は。」
「決められた役割だけで生きる必要はありません。誰かが決めた未来ではなく…」
「自分で選んだ未来を、生きることができます。」
「だから。」
涙が頬を伝う。
「未来は、一つではありません。」
「一人ひとりが、一つの欠片なんです。」
「その欠片が集まって。」
「未来を作っていく。だから誰にも。」
「未来を決めることはできません。」
静寂。
本当に静かな世界だった。
やがて。
頭の中に、かすかな音が響く。
【…………】
返事ではない。
言葉でもない。
ただ、小さなノイズ。
【…………】
少しずつ弱くなる。
【……】
リリアーナは息を呑んだ。
「あ……。」
聞こえない。
いつも聞こえていた、あの声が。
【…………】
さらに小さくなる。
そして。
──プツン。
完全に消えた。
リリアーナは目を見開く。
「……聞こえない。」
その瞬間だった。
バキッ。
世界全体に一本の大きな亀裂が走る。
続いて。
二本。
三本。
無数の亀裂が空いっぱいに広がっていく。
まるで。
見えない大きなガラスの天井に、ひびが入っていくようだった。
「……!」
眩い光が亀裂の向こうから差し込む。
そして。
パリン――――ッ!!
世界が砕け散った。
透明だった空間は、数え切れないほどの光の欠片となって舞い上がる。
キラキラと。
キラキラと。
まるで雪のように。
まるで星が降ってくるように。
あまりにも美しかった。
リリアーナは空を見上げたまま、その光景に見入る。
頬を、一筋の涙が流れる。
そして、もう一粒。
長い間抱え続けた恐怖が、静かに溶けていく。
唇が震えた。
「……終わったの?」
誰に向けた言葉でもない。
ただ、自然と零れ落ちた小さな呟きだった。
光の欠片は、優しくリリアーナを包み込みながら、どこまでも静かに降り続けていた。




