第144話 世界の異変
冬の冷たい空気が学園を包んでいた。
昨日までと変わらない朝。
そう思っていた。
けれど。
「……?」
校門をくぐった瞬間、リリアーナは足を止めた。
静かすぎる。
いつも聞こえる笑い声も、談笑する生徒たちの声もない。
ただ、張りつめた空気だけが漂っている。
「どうした?」
隣を歩くエリアスが首を傾げる。
「……何か、おかしいんです。」
リリアーナが小さく呟いた、その時だった。
一人の男子生徒が立ち止まり、ゆっくりとこちらを向く。
その瞳には、何の感情も宿っていなかった。
続いて、もう一人。
さらに教師までも。
次々とリリアーナへ顔を向ける。
「……皆さん?」
呼びかけても返事はない。
ただ、じっと見つめている。
ゾクリ、と背筋が震えた。
その瞬間――。
【ジャマ】
冷たい声が頭の奥へ響く。
リリアーナだけに聞こえる声。
【サクジョ】
【イレギュラー】
空気が揺らぐ。
目の前の空間へ細い亀裂が走った。
「また……!」
次の瞬間。
男子生徒が突然走り出した。
一直線にリリアーナへ。
「危ない!」
エリアスが間へ飛び込み、その腕を受け止める。
「何をしている!」
しかし、生徒は何も答えない。
表情ひとつ変えず、なおも手を伸ばす。
「エリアス!」
フィンが駆け寄る。
その直後にはセドリック、ヴィンセントも姿を現した。
「これは……どういうことです?」
ヴィンセントが目を見開く。
異変は終わらなかった。
一人。
また一人。
教師たちまで無言で歩き始める。
全員がリリアーナだけを見つめていた。
「囲まれるぞ!」
フィンが叫ぶ。
「セドリック!右を!」
「任せてください!」
土魔法で進路を塞ぐ。
ヴィンセントが援護魔法を展開する。
エリアスは次々と襲いかかる生徒を押し返していく。
「リリアーナ!」
エリアスが振り返る。
「逃げろ!」
「ですが……!」
「早く!!」
その叫びに、リリアーナは唇を噛む。
みんなを置いていくなんて。
そんなこと。
それでも。
エリアスの瞳は迷っていなかった。
リリアーナは踵を返し、走り出す。
廊下。
階段。
背後から無数の足音が迫る。
どこへ逃げても追ってくる。
まるで学園全体が敵になったようだった。
「はぁ……はぁ……。」
逃げ着いた先は屋上。
勢いよく扉を閉める。
しかし。
ドンッ!!
ドンッ!!
激しく叩かれる音。
扉が軋む。
「そんな……。」
逃げ場はない。
後ろは屋上の縁。
その時。
バキッ!!
扉が破られた。
生徒たち。
教師たち。
無表情のまま、一歩、また一歩と近付いてくる。
リリアーナは後ずさる。
「来ないで……!」
それでも止まらない。
誰かの手が肩へ触れる。
押された。
足元が空を切る。
身体が傾く。
(落ちる――っ。)
その瞬間。
「リリアーナさん!!」
誰かが飛び込んできた。
強く腕を掴まれる。
ぐいっと身体が引き寄せられ、二人は屋上の地面へ倒れ込んだ。
「はぁ……っ。」
息を切らしながら顔を上げる。
そこにいたのは。
「オリヴィア……様…」
オリヴィアは涙を浮かべながら笑った。
「あの日は……。」
息を整え、リリアーナの手をぎゅっと握る。
「あの日は、リリアーナ様が私を助けてくださいました。」
リリアーナの瞳が大きく揺れる。
大会の日。
巨大な魔法獣から、自分を守ってくれたあの姿が脳裏によみがえる。
オリヴィアは少し照れくさそうに微笑んだ。
「だから……。」
「今度は私がリリアーナ様をお助けできました。」
その言葉に、リリアーナの瞳から涙があふれた。
「オリヴィア様…っ」
その時。
屋上の扉が再び開く。
「リリアーナ!」
エリアスだった。
その後ろにはフィン、セドリック、ヴィンセントもいる。
四人とも肩で息をしながら駆け寄ってくる。
「間に合った……。」
エリアスが安堵の息を漏らした。
しかし、その瞬間だった。
パリン――。
空全体へ、巨大な亀裂が走る。
青空を裂くように。
世界そのものへ刻まれた傷。
誰も言葉を失う。
リリアーナだけが、小さく呟いた。
「……世界が、壊れ始めてる。」
冬の空は、静かに悲鳴を上げていた。




