第134話 降り止まない雨
「……今、何て言った?」
エリアスの低い声が静かに響く。
その一言だけで、その場の空気は凍りついた。
穏やかな表情は消え、青い瞳には冷たい怒りが宿っている。
誰も口を開けなかった。
先ほどまでリリアーナを悪く言っていた生徒たちも、ただ戸惑ったように互いの顔を見合わせている。
何を言ったのか、自分たちでも分からないような表情だった。
重苦しい沈黙が流れる。
その時だった。
ぽつり。
リリアーナの頬に、冷たい雫が落ちる。
「……雨?」
思わず空を見上げる。
さっきまで青く澄み渡っていた空は、いつの間にか黒い雲に覆われていた。
「おかしい……。」
誰かが小さく呟く。
ゴロゴロ……
低い雷鳴が森の奥で響いた。
「急いで馬車へ戻りなさい!」
教師が声を張り上げた、その瞬間――。
ザァァァァァァァッ!!
まるで空が裂けたかのような豪雨が、一斉に降り注いだ。
「きゃあっ!」
「すごい雨だ!」
「走れ!」
生徒たちは慌てて走り出す。
制服は一瞬で雨を吸い、髪から雫が流れ落ちる。
激しい雨音が森中へ響き渡り、教師の声も、生徒たちの声も、すべて飲み込んでしまった。
リリアーナも走ろうとした。
けれど。
「……え?」
何も見えない。
すぐ隣にいたはずのエリアスの姿がない。
フィンも。
セドリックも。
オリヴィアも。
激しい雨の向こうへ消えてしまった。
「エリアス様!」
叫んだはずなのに、自分の声さえ雨音へ吸い込まれていく。
その時だった。
【アクヤクレイジョウ】
頭の奥で、誰かの声が響いた。
リリアーナは立ち止まる。
「……え?」
雨音とは違う。
耳で聞こえるのではない。
頭の中へ直接流れ込んでくる。
【アクヤクレイジョウ】
「違う……。」
リリアーナは耳を塞ぐ。
【アクヤクレイジョウ】
「違う……!」
雨は激しさを増していく。
視界は真っ白だった。
【アクヤクレイジョウ】
「私は……。」
震える声が漏れる。
「私は、悪役令嬢なんかじゃ……。」
その時だった。
ぽとり。
髪に飾られていた一輪の花が、雨に耐えきれず地面へ落ちた。
泥水が静かに跳ねる。
「あ……。」
リリアーナの瞳が大きく揺れる。
エリアスが、あの日初めて髪へ飾ってくれた花。
未来を変えられた証。
その花が、冷たい雨の中へ落ちていた。
リリアーナは震える手で花を拾い上げる。
雨で濡れ、花びらはしおれ始めていた。
それでも胸へ抱き寄せる。
涙なのか。
雨なのか。
もう分からない。
「……エリアス様。」
声が震える。
花を強く抱きしめながら、小さく呟く。
「助けて……。」
その一言とともに膝から力が抜けた。
リリアーナはその場へ崩れ落ちる。
激しい雨だけが、容赦なく降り続いていた。




