第128話 分岐点
「……逃げても、何も変わらない。」
静まり返った自室。
窓から差し込む月明かりだけが、部屋を淡く照らしていた。
ベッドへ腰を下ろし、私はゆっくりと目を閉じる。
さっき見た、あの記憶。
あれは夢なんかじゃない。
私が歩んだ、もう一つの未来。
ならば――目を逸らしてはいけない。
「思い出さないと……。」
小さく息を吐く。
「あのゲームを。」
そして私は目を閉じた
白く靄がかかった後ゆっくり
瞼の裏に映像が映ってくる
青く澄み渡る空。
木々の間を吹き抜ける風が葉を揺らし、鳥のさえずりが森へ響いていた。
――王立学園三年生。
校外学習イベント。
木陰に腰掛けたオリヴィアは、一冊の本を静かに読んでいた。
「……あら。」
ページを閉じた彼女は小さく首を傾げる。
「どこまで読んでいたのかしら……。」
その時だった。
「どうかした?」
優しい声。
振り返ると、そこにはエリアスが立っていた。
「栞を挟み忘れてしまって……。」
「そういうことか。」
エリアスは微笑み、近くに咲く小さな花を一本摘み取る。
「これを使うといい。」
花をそっと本へ挟む。
「ありがとうございます。」
オリヴィアは嬉しそうに微笑んだ。
その瞬間――。
「まぁ。」
澄んだ声が森へ響く。
二人が振り返る。
紫のドレスを揺らしながら、一人の少女が歩いてくる。
リリアーナ・フォン・アルディス。
婚約者として、誇り高く微笑みながら。
「殿下。こちらにいらしたのですね。」
その視線はゆっくりとオリヴィアへ移る。
そして、本へ挟まれた一輪の花で止まった。
「それは?」
「殿下が、栞の代わりに……。」
「そう。」
短く答えたリリアーナは、花へ手を伸ばす。
「綺麗なお花ですこと。」
ふわりと微笑み――
次の瞬間。
ぎゅっ……。
花は細い指の中で無残に潰れた。
花びらが静かに地面へ落ちていく。
「こんな野花一輪で喜ぶなんて。」
冷たい笑み。
オリヴィアは言葉を失った。
「リリアーナ。」
低く、厳しい声が響く。
エリアスだった。
真っ直ぐリリアーナを見つめる瞳には、失望が滲んでいる。
「……何をしているんだ。」
「……っ!」
私は勢いよく目を開いた。
息が苦しい。
胸の鼓動が、今も耳の奥で鳴り響いている。
「思い出した……。」
あれは夢じゃない。
ゲームの記憶。
あの日。
校外学習で起きた、ほんの小さな出来事。
けれど――。
「あそこが、分岐点だった。」
花を握り潰した、たった一度の行動。
それはただの嫌がらせでは終わらなかった。
エリアス様の信頼は少しずつ失われ、オリヴィアとの距離は少しずつ縮まっていく。
最初は、悪役令嬢として誰かを傷つけようと思ったわけではなかった。
ほんの小さな嫉妬。
それだけだった
それが積み重なり、やがて取り返しのつかない未来へと続いていった。
「だから……。」
私は静かに拳を握る。
「今度は、あの日とは違う未来を選ぶ。」
月明かりが、決意を宿した瞳を静かに照らしていた。




