第107話 静かな異変
身支度を終えたリリアーナが部屋を出ると、廊下の向こうから聞き慣れた声が響く。
「リリィ!」
振り返ると、ルシアンが嬉しそうに手を振っていた。
「おはよう、お兄様。」
「今日も一緒に朝食へ行こう。」
「はい。」
二人は並んで廊下を歩き始める。
「昨日、街で新しい紅茶を見つけたんだ。」
「まあ、本当ですか?」
「ああ。今度一緒に飲もう。」
「楽しみです。」
自然と笑みがこぼれる。
ルシアンも、その笑顔を見て優しく目を細めた。
「やっぱりリリアーナは笑っている方がいい。」
「もう……お兄様。」
少し照れながら笑う妹を見て、ルシアンは満足そうに頷いた。
食堂へ入ると、公爵夫妻も穏やかな笑顔で迎える。
「朝から仲がいいこと。」
母の言葉にルシアンは胸を張る。
「当然です。世界一可愛い妹ですから。」
「お兄様!」
リリアーナが思わず頬を染めると、食堂には優しい笑い声が広がった。
その光景は、誰が見ても幸せな兄妹だった
その日、学園でも穏やかな時間が流れた。
エリアスたちとの他愛ない会話。
フィンが笑わせ、オリヴィアが微笑み、セドリックが静かに本を閉じる。
昨日まで胸を締めつけていたゲームの記憶は、少しだけ遠ざかったように感じられた。
(大丈夫。)
そう思いたかった。
夜。
自室へ戻ったリリアーナは、窓辺へ歩み寄る。
夕暮れの光を受け、小さなガラス細工が淡く輝いていた。
それは幼い頃、ルシアンから贈られたものだった。
「綺麗……。」
指先を伸ばしかけた、その瞬間——
パリンッ!!
鋭い破裂音が部屋に響く。
「……え?」
ガラス細工は、何にも触れていない。
それなのに、内側から弾けるように砕け散った。
無数の破片が床へ降り注ぐ。
「どうして……。」
リリアーナは立ち尽くしたまま動けない。
その時だった。
コンコン、と扉が叩かれる。
「リリィ? 今、大きな音がしたが大丈夫か?」
ルシアンだった。
リリアーナは慌てて散らばった破片へ視線を落とす。
胸がざわつく。
——このことを話してはいけない。
理由は分からない。
けれど、その思いだけが強く胸に湧き上がる。
「何かあった?」
再び扉の向こうから優しい声が聞こえる。
リリアーナは一度目を閉じ、小さく息を吸った。
「……大丈夫です、お兄様。」
そう答えながらも、床一面に散らばるガラスの破片から、目を離すことができなかった。




