第105話 消えない笑み
「まぶし…」
カーテンから漏れる光でリリアーナはゆっくりと目を開けた。
……昨夜の出来事が、夢ではなかったことを思い出す。
鏡に映っていた、もう一人の自分。
冷たく微笑む、悪役令嬢リリアーナ。
「……。」
胸が締めつけられる。
目を閉じれば、あの笑みが脳裏によみがえった。
「……違う。」
小さく呟き、首を横に振る。
夢だったのかもしれない。
疲れていたから、見間違えただけかもしれない。
そう自分に言い聞かせながら、ゆっくりとベッドを降りた。
しかし――。
鏡台の前まで来ると、足が止まる。
鏡を見ることが怖かった。
もし、またあの笑みが映っていたら。
もし、もう一人の自分がこちらを見つめていたら。
自然と指先が震える。
「大丈夫……。」
小さく息を吸い込み、恐る恐る鏡へ視線を向けた。
そこに映っていたのは、いつもの自分だった。
少し青ざめた顔。
不安そうに揺れる紫の瞳。
見慣れたリリアーナの姿。
「……よかった。」
張り詰めていた力が抜ける。
やはり昨夜は、疲れから見た幻だったのだろうか。
そう思いながら視線を落とす。
机の上の一輪挿し。
そこに刻まれたひびは、まだ消えていなかった。
「……。」
胸の奥の不安は消えないまま、リリアーナは静かに部屋を後にした。
学園では、いつも通りの一日が始まる。
オリヴィアやフィンの明るい声。
セドリックの落ち着いた話し方。
エリアスの穏やかな笑顔。
何も変わらない日常。
それでもリリアーナは、どこか落ち着かなかった。
「リリアーナ。」
昼休み、エリアスが優しく声を掛ける。
「今日は少し顔色が良くない。」
「少し寝不足なだけです。」
「無理はしないで。」
「ありがとうございます。」
そう答えながらも、笑顔はどこかぎこちない。
エリアスは何かを察したようだったが、それ以上は何も聞かなかった。
夜。
自室へ戻ったリリアーナは、そっと鏡台へ近づく。
鏡には、やはり普段通りの自分しか映っていない。
「……考えすぎだったのね。」
小さく息を吐く。
少しだけ肩の力が抜けた。
今日はもう休もう。
そう思い、部屋の明かりを落として扉へ向かう。
静かに扉が閉まる。
部屋には誰もいない。
時計だけが、静かに時を刻んでいた。
その時――。
鏡の中のリリアーナが、ゆっくりと顔を上げる。
閉ざされた部屋には誰もいない。
それなのに。
鏡の中の少女だけが、ゆっくりと口元を歪めた。
その笑みは、美しく。
どこまでも冷たく。
まるで獲物を見つけたかのように。
静かな部屋で、鏡だけがすべてを見つめていた。




