第二十四話 パンの値段
道を進むと別れ道に出た。今までスイスイと進んでいたリリーが歩みを止める。
「お父さん、パン屋さんはどっちかわかる?」
地下迷宮に営業中のパン屋があっても動じない。だが、初めて来る場所で道を聞かれても正解がわかるはずがない。
リリーに何かを試されている。一応、布から鼻を出して匂いを嗅ぐ。どちらから匂いが来ているかまるでわからない。正直に言えば、パン屋には行きたくない。まともなパンが出るか不明だ。パンを食べたければ、外で買ったほうが安心できる。
「正解はわからないが、俺の勘だと左かな」
リリーはジャンの考えの根拠を聞かなかった。リリーは当然のように左の通路へと歩き出す。自分で左だと答えた手前、一緒に行くしかない。通路を進むと、禿げた小男の二人組が剣を片手にかけてきた。
リリーは歩みを止めたのでジャンが前に出る。二人はジャンに向かってきたが、どちらも一太刀で片が付いた。敵が汚れた手拭を持っていたので、武器の血を拭う。目ぼしい物がないか調べるが、銅貨一枚も持っていない。
「はずれ、か。鎧は汚いし、剣もボロボロじゃ屑鉄がいいところか」
リリーがさっと剣を見てジャンの意見を否定する。
「いや、これは価値があるの。この剣を持って行くの」
武器について、ちょっとは善し悪しがわかるとジャンは自負していた。ジャンの目から見ればどちらも剣は屑鉄にしかならない。他の事なら黙っていたが、武器については口を出した。
「片方の剣に価値があると思った理由が知りたい。お父さんの目にはどっちもゴミ同然にみえる」
「こっちの剣は芯の部分に良い鉄が使われているの。これだけだと修理できないけど、他の武器を修理するのには使えるの。だから高く売れるの」
剣の修理は言うほど簡単ではない。良い素材を使っているから修理したいと考える傭兵はいる。だが、鍛冶屋に持ち込むと新品を買ったほうが安い結果が多い。
リリーが良い材料が使われているとした剣をジャンは拾う。軽く振るが、まるで手になじまない。状態も悪い。全力で振り抜いたら危険だ。途中で折れてどこに飛んでいくかわからない。普段なら捨てて行くが、リリーの機嫌を損ねないために持って行く。
「美味しいご飯に変わるのならいいか。ダメなら捨てればいい」
先に進むと荷馬車が二台かろうじて止められるほどの空間に出た。部屋が狭いのは別にいい。部屋を縦断するように伸びる通路も普通である。部屋に食器の載ったサイドテーブルがあるが、ギリギリあってもおかしくない代物である。
問題なのは部屋の隅にある円柱状の物体だ。火に掛けられている。円柱状の物体からは香ばしい匂いが出ている。上部から煙が立ち登っていた。
大陸にいた頃、大きな街で見た記憶がある。タンドールと呼ばれるパン焼き釜だ。薄く伸ばした生地を内部の壁面に貼ってパンを焼く。通路に充満していた匂いの元に辿り着いた。だが、パンを焼いている職人がいない。
さきほどの禿げた小男が焼いていたとは思えない。誰かが先ほどまでここにいた。
ジャンが用心しているとリリーが声を上げる。
「パンを売ってほしいの」
「はいよ」と老婆の声がする。ジャンが振り返ると通路の先に老婆がいた。老婆が現れた通路はジャンとリリーが今しがた通ってきた路だ。
部屋に来る前には、別れ道があった。普通に考えるのなら老婆はジャンが進まなかった通路にいた。その後、ジャンの後から部屋に到達した。だが、本当にそうだろうか?
老婆はジャンの横を通り過ぎてタンドールの中身を覗く。
「何枚必要なんだい?」
金歯二つを出して、リリーが注文した。
「六枚ほしいの。お金は金二粒で足りますか?」
薄いパン六枚が金歯一つと交換でも馬鹿高い。金歯二粒ともなるとボッタくり価格もいいところだ。老婆は金歯を確認してポケットに入れる。次いで、カマドの近くにある綺麗な布手袋をしてタンドール内からパンを取り出す。
リリーは顔に巻いていた布を外してパンを受け取る。
「お父さんは体が大きいから四枚ね」
ペラペラに薄いパンなので四枚では足りないが、さすがにこれ以上の支払いはしたくなかった。パンを手に取ると、熱いが焦げていない。こうなると、『老婆がどこから来たのか』がわからなくなる。
老婆はどうやってパンを火に掛けたまま部屋から出て戻ったのか。パンの生地は薄い。取り出す時間が遅れれば、焦げたはずだ。目の前のパンは軽く焦げ目がついて、良い感じに焼けている。
リリーが座ってパンを食べる。地下迷宮で謎の老婆が焼くパンには不信感がある。だが、リリーが先に食べているので体に悪いはずはない。熱いパンを口に入れると、とても美味しかった。これぞ人間の食事だ。
ボッタクリ価格でないのならリリーにお願いしてもっと食べたかった。
パンを食べていると、老婆が木のカップをリリーとジャンに差し出した。
「お茶だよ。パンを買ってくれたからサービスだよ」
暴利の塊のようなパンを売ったのだから、茶ぐらいのサービスでは割に合わない。目下気にすることは別にある。この部屋には水がない。タンドールはあるが湯を沸かす釜も鍋も部屋にない。
カップ自体はサイドテーブルの上にあった。だが、どこから水を出して茶を淹れたのか?ジャンは老婆の仕草をずっと注視していたわけではない。それにしても、あまりにも不自然過ぎる。リリーが受け取ったのでジャンも木のカップを受け取った。カップは熱を持っていた。
これが温かったなら、老婆が予め淹れて保管していたと考えた。カップから伝わる熱が作り置きを否定している。淹れてから時間が経ったにしては熱すぎる。少し口を付けるが、ほんのり甘みがある。
「このお茶を、いつどこで淹れました?」
ジャンの問いに老婆が意地悪く笑う。
「何を言うんだい、さっき目の前で淹れてたじゃろう」
老婆に真実を話す気はない。怪しい老婆だな、とジャンは警戒した。食事の終わりにリリーが動いた。ごく自然な動作で小さく畳んだ紙を取り出す。そのまま飲み干したカップに入れた。
老婆がカップを受け取る。老婆は隠すように紙を取り出した。何事もなかったかのように老婆は紙をポケットに入れた。
ジャンは疑問を口にした。
「このお婆さんとリリーは知り合いなのか?」
「ううん、違うの。なんで?」
リリーは老婆と秘密のやりとりを隠した。マズイ事をしたとジャンは己の迂闊さを呪った。老婆とリリーのやり取りは気付いてはいけなかったと感じた。
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