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第二十二話 風の声

 朝から天気が悪かった。今にも雨が降りそうで風も強い。こういう日は家にいたい。されど、決定権どころか、意見を述べる機会はジャンにはない。


リリーがリビングにやってきた。リリーはおどおどしながら、ジャンに挨拶をする。

「お父さん、おはようございます。今日もがんばろうね」


 態度は出遭った時に戻っている。リリーが許してくれたのか、忘れたのか、分からない。安心は無用。ここから家族ゲームという名の戦いの時間だ。


 下手に昨日の引きずるほうが危険だ。

「行こうかサッと稼いで朝食にしよう」


 寝室から出てきたミランダが長いタオルを二本投げてよこした。

「砂避けにでも使いなさい」


 ダンジョンまでの距離はたかが知れている。屋内に行けば、舞う砂が顔を打つ事態にはならない。普通ならばの話だ。島での生活が長いミランダが気付かないわけがない。とするなら、意味がある。


「有難く使わせてもらうよ」

 砂漠で戦った時の記憶が蘇る。布をサッと顔に巻いて、顔を保護する。


 リリーはどうやっていいか手間取っていたのでジャンが声を掛ける。

「貸して。こうやって布で顔を保護するんだよ。こうすれば口や鼻に砂が入らない。髪の中に砂が入ってジャリジャリすることもない」


「ありがとう。お父さん。リリーは嬉しいの」

 布から出ているリリーの目には喜びの色が見えた。どうにか、調子が戻ってきた。


 家の外に出ると思った通り、風が強い。風に混じって砂粒が顔に巻いた布にぶつかる。

 屋台を出しても砂を被るせいか、店は出ていない。砂が飛ぶ中では、軽食は売れない。


 明るいのだが、通りに人は少なかった。


 リリーは狂信の迷宮に向かって歩いていく。狂信の迷宮の中に入ると風は関係ないと思ったが、予想が外れた。迷宮のどこからか風が吹いている。風が吹き込むせいか、迷宮のどこからな人の声のような音がする。


「風の音とわかっていても、いい気はしないな。まるで、うめき声のようだ」


 きょとんした顔でリリーはジャンを見る。

「迷宮の中に声を上げる魔物がいるの。この声は魔物の呼び声なの」


 大陸での出来事なら、風が穴を抜ける時に音がする笛と同じだと教えた。地上と迷宮内では常識も一般的な知識も違う。リリーが『魔物の呼び声』というのなら、ジャンが正しいとする確証はない。


「この声を出している魔物ってどんな魔物なんだ? 弱点とか気を付けなきゃいけないこととかあるか」

「大丈夫、お父さんは安全だよ」


「リリーが守ってくれるからか?」


 歯切れも悪くリリーも応える。

「守る必要はないよ。だって、家族なんだもん。風鳴きは襲ってこないよ」


 小さい子供なら上手く言えないと考えた。リリーは違う。少なくても悪党島で子供として生活できるほどに賢く強い。


 リリーがプイとジャンから顔を反らした。教えたくないか、知る必要がないのかわからない。ただ、魔物はおり、風鳴きと呼ばれている。


 傭兵時代、二つ名を持つ奴はいた。弱い奴ならすぐ死ぬので誰も名を覚えない。強い奴は生き残るので、おのずと名が知れる。名前持ちは実力者であることは多い。風鳴きと呼ばれる魔物が名前持ちなら会いたくはない。


 リリーは前回と同様に光る球を頭上に出して進んでいく、少し進むと、右に曲がる通路があった。記憶力に優れているジャンではないが、さすがに異変に気が付いた。


「この通路、昨日はなかったぞ」

「そうだっけ」と素っ気なくリリーが答える。リリーは何事もなかったかのように右に曲がった。


 昨日なかった場所に道ができる。普通なら考えられないが、狂信の迷宮では目の前で起きている事実こそ普通である。


 通路を進むと風の音だけがよく聞こえる。距離にして二十mほど進むと静かになった。体の傍を流れていた空気も止まった。振り返ると、通路の先が行き止まりになっている。退路を塞がれた。


 傭兵時代の苦い記憶が蘇った。安全だと思った街道で敵と遭遇した。引き返そうとすると、前には敵の別動隊がいるとの報告がある。誘い込まれて、挟撃に遭い部隊は多くの死者を出した。


 ジャンは運よく先輩傭兵のサイモンと一緒だった。サイモンが戦い道を拓いてくれたので、ジャンは死ななかった。


「リリー、マズいぞ帰り道がなくなった」


 ピタッとリリーが立ち止まった。リリーが振り返るが、顔に不安の色はない。

「大丈夫なの。道はあっているの」


 異常事態が起きているのに、リリーは動揺していない。リリーがまた前を向いて歩き始める。ジャンはリリーが事態に慣れているのかと思ったが、段々別の疑惑が心に浮かんできた。


「もしかして、俺はリリーに誘い込まれているのか?」


 昔、挟撃された時も安全だと思った道が安全ではなかった。リリーがいるから安全だとかつてに安心していたが、実は危険なのではないだろうか。もしかして、リリーは俺を許していないのか。


 不安は疑念を呼ぶ。街道で行き残った経験がジャンの理性を繋いだ。焦燥を抱え、思い込みで動いてはいけない。獣に追われ、暗い中で駆け出すのと同等の愚行だ。


 急にリリーが声を掛けてきた。

「お父さん、どこか具合が悪いの?」


 唐突な質問であり、質問の意図が読めない。空腹ではあるが、ここまで弱っている態度をリリーにジャンは見せていない。


「そんなことはないよ。ただ、お腹が減ったなと感じただけさ。空腹と眠気は嫌いなんだが、向こうは俺が好きらしい。よくやってくるよ」


 街道での挟撃を生き残ったジャンには傭兵の先輩サイモンからの教えがあった。

『どんな時もユーモアを持て。それもできないなら虚勢の一つも張れ』


 ジャンのジョークにリリーがフッと笑う。

「お父さんはよく動くから、お腹が空くのも速いんだね」


「悪い事ばかりじゃないぞ。お腹が空けばたいてい物は美味しく食べられる。食事が美味しいと思えるのは幸せなことだ」


 やせ我慢ともいえる取り繕いだった。言葉にしたら、なんとなくやっていける気がした。


 正面を向いてリリーが軽く顎をあげる。

「よかったね。ご飯が向こうから来たの」


 カサカサと何かやってくる軽い音がする。音は天井を這うように近づいていた。

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