第五話:最前線のラブレター
「漆黒の堕天使よ、その翼で私の脆い魂を……くっ、あぁもう!」
自室のベッドの上で、栞は枕に顔を埋めて悶絶していた。
視界の右下で、システムウィンドウが派手なピンク色の光を放っている。
【心拍数:125bpm。羞恥反応レベル:極大】
【出力予測モード:『過剰求愛(変態的粘着)』】
明日の前線視察。そこで魔王軍との接触があれば、再び「言葉」を発しなければならない。
前回の謁見の間のような『宣戦布告』を防ぐには、魔法の入力値を「恐怖」から「羞恥」へと強制的に上書きする必要があった。
そのための燃料が、中学生時代にSNSの裏垢で綴っていた「痛いポエム」の暗唱である。
自分の尊厳を削り、黒歴史の炎で心拍数をコントロールする。言語学徒のプライドも何もない、泥臭いハックだ。
「……これで、明日平和交渉(という名の求愛)ができるわね」
*
翌日。国境の砦は、鉄の匂いと狂乱の渦に包まれていた。
「聖女様万歳! 魔の軍勢を焼き尽くせ!」
栞の乗る馬車が砦の門を潜った瞬間、地響きのような勝鬨が上がった。
三万の兵士たちの血走った目が、救世主たる栞へと注がれる。
彼らは皆、栞の一言が魔王軍を木っ端微塵にすると信じきっていた。
「さあ、シオリ」
護衛のアレクシスが、芝居がかった手つきで馬車から栞をエスコートする。
「君の清らかな魂で、この地の邪悪を払い除けてくれ」
違う。私はこれから、中二病のポエムを詠唱して敵を口説くのよ。
栞は無表情を保ちつつ、脳内で言語学の用語集を反芻し、心拍数を【80bpm】の平常域に抑え込んでいた。
砦の最前列。城壁の上から見下ろす荒野の向こうに、黒い砂塵が巻き起こっていた。
先頭に立つのは、見覚えのある巨躯。謁見の間から逃げ帰った魔将だ。
『狂王よ! 今日の我らは引かぬぞ! 貴様の首を我が主への手土産にしてくれる!』
魔将の怒号が、物理的な衝撃波となって砦を揺らす。
兵士たちが一斉に槍を構える。一触即発の極限状態。
(来る……!)
魔将の殺気に当てられ、栞の心臓がドクンと大きく跳ねた。
【心拍数:110bpm、120bpm……警告、ストレス値上昇】
このままでは、また『皆殺しにしろ』という翻訳が発動してしまう。
栞は城壁の縁を強く握り締め、目を閉じた。
そして、記憶の最下層に封印していた「あの詩」のクライマックスを、脳内に展開する。
(私の血は彼のために流れる、その冷たい指先で私の臓腑を弄って……!)
ドクン。
システムウィンドウの色が、赤からドギツイ桃色へと一瞬で反転した。
【心拍数:145bpm。羞恥値:オーバーフロー】
栞の震える唇が開き、魔力に増幅された声が戦場に響き渡る。
『ああ……そこ、もっと私を見て。あなたのその禍々しい角で、私の柔らかな絶望を限界まで抉り出して……! 血も肉も、全部あなたに舐め尽くされたいの!』
空気が凍りついた。
自軍の兵士たちが、槍を取り落とす。
怒り狂っていた魔将の顔が、恐怖と、全く別の意味での「嫌悪感」に引き攣った。
『な、なんという邪悪で……おぞましい精神攻撃だ……!』
魔将は後ずさりした。
狂王の殺意を覚悟して乗り込んできたら、想像を絶する変態的な粘着愛を向けられたのだ。
「全軍、退け! 狂王と目を合わせるな、魂まで汚染されるぞ!」
魔王軍が、蜘蛛の子を散らすように撤退していく。
一滴の血も流れることなく、前線は「平和」を守り抜いた。
膝から崩れ落ちそうになる栞。
その肩を、震える両腕が強く抱きしめた。
「シオリ……」
振り返ると、アレクシスの瞳が、かつてないほど熱を帯びて潤んでいた。
「君の愛は、そこまで深く、暗く、激しいものだったのか。私の至らなさを許してくれ、今夜こそ、君のその深い欲望に応えよう……!」
栞の視界の端で、心拍数計がエラー音を立ててレッドゾーンを振り切った。




